『缶の味』
黒々と塗り潰された空に、街灯りが白く滲む。
「はー、寒……」
「寒いねぇ……」
橙色の街灯に照らされて、肩を繋げて並び立つ人影が浮かび上がる。白い息をこれ見よがしに吐きながら、足音さえも揃って街道を歩むのは『燦』と『潑』のふたり。ふたりは文字通りの“一心同体”、彼らが羽織っている二着のコートは丁寧に肩口が繋げられており、まるで最初からふたりの為に作られたもののようだ。その厚手の襟に半ば首を埋めながら、燦は閉まったシャッターを横目で見る。部外者の侵入を拒むそれは、冬の夜をさらに寒々しく感じさせた。
「何か、温かいものが飲みたいな。燦は?」
「……確かに、コンビニでも入る?」
『あればだけどね』と、彼女は白い溜息をついた。街道の灯りといえば、点々と灯る街灯と家々から漏れる光だけ。コンビニらしい、夜中でも煌々と輝く灯りが無いことは街道を一目見ればすぐに分かった。
「……『探険したい』って言ったのは潑なんだからね。私は止めたから」
「ごめんって……」
ふたりは『ちょっとした好奇心』で夜の散歩へ出向いた。だが、桑都生まれで土地勘のないふたりにとっては思っていたよりも長い散歩になってしまったようだ。家々の暖かな灯りひとつひとつが、ふたりの寒さと寂しさをやけに引き立てる。
その時、燦が急に立ち止まった。片割れが足を止めたせいで撥は前につんのめる。何とかバランスを取り戻した彼は、不服そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「あー、ビックリした…… 急にどうしたよ? 」
「思い出したの、温かいもの!」
足早に歩き出した燦に半ば引きずられるようにして、撥はその後に続く。冷たい空気が彼の肺を締めつけるが不思議と苦しくは無い。燦の熱い鼓動と血流が撥の体にまで廻っているからだ。
その勢いのまま、燦と撥は小さな公園へ辿り着いた。燦曰く、この公園の近くで小さな灯りを見つけていたとの事。撥が『トイレでは?』と冗談めかして問うと、彼女は返事の代わりに大きく首を振った。
「あれは自販機だったよ、きっと!……ほら!」
「あ、ホントだ」
燦が意気揚々と指さす先には、確かに自動販売機があった。ボトルや缶が整然と並ぶ直方体を見間違えるはずも無い。燦は赤い頬をもっと赤くして笑い、撥はそれに微笑みを返す。そして、ふたりはどちらともなく明かりを灯す自販機の前まで歩みを進めた。
ポケットをまさぐり、財布を出す。小銭を選び、自販機に入れる…… ごく普通の、正しい自販機の使い方だ。ただひとつ特殊だったのは、これがふたりの手で行われているということ。片方が財布を差し出せば、もう片方が何も言わずに小銭を取り出す。そんな風に、ふたりは言葉を交わさずともそれぞれがこなすべき仕事は分かっていた。
そんなふたりが選んだのは、缶の《お汁粉》。まず最初に手に取ったのは燦だった。熱を保ったままの缶を握り、つららのように冷たくなった5本の指を温める。しばらくその温かさを味わっていたが、ふと横を見るとなんとなく物欲しそうな撥と目が合った。燦が彼に缶を差し出すと、撥は待ちわびたかのようにそれを握りしめた。
「……温まった? そろそろ飲もうよ」
「オッケ。ちょい待ち……」
撥が缶を返すと、今度は燦がプルタブを開く番だ。缶の飲み口は小気味よい音を立てて開き、透き通る空気に湯気を立ち上らせた。今さら遠慮することもなく、もともと缶を持っていた撥はそれに口を付けた。控えめな甘さのお汁粉が体の中を温めていくのが分かる。舌の上で転がるゆるい小豆の粒を噛み潰し、流れるように隣の燦へ缶を受け渡した。
缶を受け取った燦は、ほんのりと濡れた飲み口に躊躇うことなく唇を当てる。撥はその様子を、何を考えるでもなくただぼんやりと見ていた。彼らにとっては、今までに何十回、何百回も繰り返した行為だ。燦は温まって赤くなった唇を舐め、『缶のお汁粉って、最後は鉄の味がするよね』とロマンも何も無い感想を呟いた。
「スチール缶だからかな? 撥はしない?」
「……ちょっと貸してみ、飲んでみる」
撥は燦からまた缶を受け取り、くいとひと息に呷る。だが、もはや汁気も小豆も出ては来ず、ただ薄い雫が垂れるだけ。明らかに笑いをこらえている燦に向かって、『分かってて渡したな』と撥は眉をひそめた。
結局、撥は“鉄の味”は分からずじまいだった。いつか仕返しをしてやろうと、彼は燦の味がする自身の口を拭った。
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