『半獣たちの休日』

 透き通るように晴れた、晩秋のある日。青いキャンパスに白いハケをひと撫でしたような筋雲が空に掛かっていた。カサカサと枯れかけた葉が風に鳴り、そして散っていく。


「草刈り、ふたりが来てくれて助かったよ…… マジで感謝してる」


 乾いた落ち葉を踏みしめながら、大きな犬耳を揺らし『滝本 ショウマ』(仲間からはエノコロと呼ばれている)が大げさに感謝の意を示す。その背中には枯草が詰まった袋が何個も乗せられているが、彼女は大変そうな素振りをまったく見せない。なぜなら、荷物を載せた彼女の下半身は亜麻色の毛皮で覆われた四つ脚、つまり四脚獣そのものだからだ。安定感のあるその半人半獣の体は、重い荷物を物ともしない。


 その両脇を固めるのは、跳ねた黒髪が目立つ『今泉アズマ』と、厚手のダウンジャケットから緑色の肌を覗かせる『清滝スミレ』。ふたりはエノコロの頼みで、彼女の暮らす集合住宅周りの草刈りを手伝っていたのだ。


「困ったときはお互いさま、気にしないでね?」

「いやー、それにしてもこんなに早く終われるなんて! 人手があるっていいなぁ」

「……私はまだ終わってないと思うんだけどなぁ」


 わざとらしく天邪鬼な声を上げたのはアズマだった。返事の代わりに、エノコロとスミレのふたりは頭上に『?』を浮かべてアズマを見る。彼女は怪訝そうなエノコロの肩に腕を乗せ、『体がすごいことになってるぞ』と彼女へ耳打ちした。


「え? 体が? ……あっ、うわっ!」

「あ、『くっつき虫』だ! これはひどい 」


 エノコロの体には、コセンダングサやメナモミ、チヂミザサやイノコヅチなどの動物散布型の果実…… つまり、ひっつき虫が大量に付着していた。『ああ』、とエノコロは大きく落胆の溜息をついた。あいにく、彼女はそれほど体が軟らかい方ではない。この量のひっつき虫を取り除くには文字通り“骨が折れる”だろう。


「最悪……」

「そんな顔しないで、最後まで手伝うよ。スミレはどうする?」

「乗りかかった船、今さら降りられないよね」


 『決まりだ』と、アズマは再び笑った。エノコロはばつが悪そうに頭を掻いたが、ありがたい申し出であることは間違いない。背に乗せた集草袋を物置に降ろし、エノコロはふたりに向き直った。


「……じゃあ、私の部屋でくっつき虫取りをお願いしても良いかな? 正直、申し訳ないんだけど……」

「いいっていいって。友達なんだしさ、最後まで手伝わせてよ」

「スミレは偉いなぁ。お礼にお茶ぐらいなら出せると思うよ」

「……そのセリフは私のだと思うんだけど。まったく、アズマったら……」


 ―—―――—―――—――


 エノコロの部屋は独り暮らしにしては広めだが、3人が入るにはさすがに狭い。机や掃除機を片付けて何とかスペースをつくり出すと、アズマとスミレはそこに寝転がるようエノコロに指し示した。もちろん、毛皮に付いたひっつき虫を取り除くためだ。だが、当のエノコロは『何か恥ずかしい』と、今さら照れはじめた。アズマはそんな彼女を見て、『ひっつき虫をたくさんくっ付けてる方が恥ずかしいと思うけど』と、呆れ顔で一蹴した。


 アズマに促され、エノコロは渋々床に寝転がる。残ったふたりもそれに続き、彼女の横に腰を下ろした。目を凝らさずとも、エノコロの犬半身に付着した大量のくっつき虫はすぐに分かる。『これは長丁場になるぞ』と、ふたりはちょっとした後悔と諦めの視線でお互いに目配せしたが、今さら後戻りはできない。覚悟を決めて、小麦色の毛皮に指を潜らせた。


 少し気後れしたとしても、いざ始めてしまえばアズマは集中して作業に取り組めるタイプだった。6本の指を櫛のように使い、毛皮を梳くようにしてひっつき虫を取り除く。彼女が手を動かすたび、『さっ、さっ』と軽い音が小気味良く部屋に響いた。

 

 一方のスミレは、アズマの真剣な横顔をしばらく見つめていた。恐竜の血が流れている彼女の鉤爪は細長く鋭い。彼女は『万が一エノコロを傷付けたらどうしよう』と気後れしていたが、アズマに体を預けるエノコロを見て踏ん切りが付いたようだ。細長い3本の指をまるで精密機械のように動かし、ひっつき虫の一粒一粒を丁寧・確実につまみ出していった。


 エノコロは何も言わず、ふたりに身を委ねる。もちろん犬半身も彼女の体の一部なので、アズマの指の流れとスミレの爪の刺激はしっかり伝わっていた。自分ではない誰かに毛を掻き分けられ、皮膚を突かれる感覚。規則性も何もないが、逆にそれが心地良い。少しずつ憑きものが落ちていくような感覚も相まって、エノコロの意識は次第に遠のいていった。


 ―—―――—―――—――


「……エノ、こっち側は取り切ったから、反対側を向いて欲しいんだけど……」


 片面のひっつき虫を取り切ったアズマは、エノコロの犬半身を動かそうとした。だが、何かを察したスミレに制される。ひとときの静寂。だがその一瞬でも、微かに聞こえてくるエノコロの寝息を聞き取るには十分だった。ゆっくりと上下する犬半身の胸郭を見ながら、アズマは呆れたように首を横に振る。


(まったく…… いいご身分だこと)


 ぼやきながらも、エノコロを起こすまいと小声で呟くアズマ。スミレはそんな彼女を見て微笑み、そっと立ち上がった。


(ふふ。私らも休みますか)

(キッチンの戸棚の中にお菓子があったはず。そこのケトルでお湯沸かして、お茶にしようか)

(……アズマさん、やけに詳しいね。ここ、エノコロの家だよね? )


 ―—―――—―――—――

 

 濃い飴色の紅茶に口を付け、アズマとスミレがひと息つく。


(あの子、よっぽど気持ち良かったのかな。まだ裏側のひっつき虫が取り切れてないけど……)

(まあ、いいんじゃないかな?  一緒にゆっくりしましょう)


 傾きかけた陽光が窓から射し込み、気持ち良さそうに寝息を立てるエノコロの毛皮をほんのりと輝かせた。

  

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