『蜜色の牢とナイトメアイーター』


 そこにあったのは、鮮やかな飴色の琥珀が映るテレビの四角い画面。カメラが琥珀の周りをゆっくりと旋回しながら、次第にズームアップしていく。いよいよ画面が黄金色に満たされると、今度は影絵のように羽虫の黒いシルエットが浮かび上がってきた。


『……樹木から分泌された樹脂が…… 

『……虫や小動物が閉じ込められたまま化石となり……』

『……まさに“タイムカプセル”……』


 ここは小さなアパートの一室。壁際に押しやられるように置かれているテレビが、『虫入りの琥珀』について淡々と解説を続けている。

 時刻は夜の9時を過ぎ、窓の外はすっかり夜に埋もれている。今日も一日が静かに終わろうとしていた。

 ぼうっとテレビを眺めるサワガニの『田蟹イサド』と、カマキリの『水蝋いのり』のふたりも、もはやその番組から情報を得ようとはしていない。ただただ流れる音楽とナレーションに身を委ね、半分寝ているような夜を過ごしているだけだ。


「……虫入り琥珀って、ガラスに虫を閉じ込めれば簡単につくれそうだね……」


 華奢な腕で頬杖をつきながら、いのりが呟いた。ただの独り言だったが、隣で爪を弄っていたイサドが『そういえば、本物と偽物の見分け方を聞いたことがある』と言い出した。

 いのりは言葉の代わりに、視線で続きを促す。それほど興味がある訳ではなかったが、せっかくイサドが教えてくれようとしているのだ。無碍にするのは彼の性分ではないし、何よりイサドの機嫌を損ねたくなかった。


「……ニセモノはさ、樹脂に死骸を埋め込む訳じゃんか。死骸は動かない。だから、ニセモノの琥珀は綺麗なんだと」

「じゃあ、本物はどうなるの?」

「樹液に絡められた虫は、そこから逃げだそうと暴れる訳だ。その時に、脚や翅なんかが取れたりして…… だから、ホンモノの琥珀は綺麗じゃないんだと。まぁ、控えめに言ったって苦しんで死ぬ訳だからな」


 そこまで言って、彼女は『厭な話だ』と眉をひそめた。『自分で話しはじめたのに』とからかうように笑ったいのりも、画面に映る虫入り琥珀が急に恐ろしく思えてきたようで、わざとらしくイサドの方へ顔を向け『もう、今日は休みましょう』と呟いた。

 ふたりは放送を続けていたテレビの電源を消す。鮮やかな映像が消えた後、漆黒の四角い画面に反射したふたりの姿は、まるで琥珀に閉じ込められた昆虫のようにも見えた。


ーー

ーーーー


 その夜。


 夢というものは不思議なもので、どれだけあり得ない状況に投げ込まれたとしても、当人は『そういうもの』だと受け入れてしまう。例えば、『樹液に呑み込まれ、今にも琥珀に閉じ込められそうになっている水蝋いのり』のように。


「……きゃっ!? ちょっと、何これ?」


 急に足が踏み出せなくなり、前のめりにつんのめったいのりは狼狽した声を上げる。状況が掴めぬまま足元を見やると、まるで鮮やかな蜂蜜のような樹液に両足が絡め取られている。


(! これって、まさか……)


 いのりの脳裏にはテレビで流れていた虫入り琥珀のイメージが浮かび上がってくる。それと同時に、彼の心臓は締め付けられるように縮み上がった。『このままでは……』。背中を厭な汗が伝う。彼の鼓動が加速するたび、樹液はそれに呼応するようにその量を増していく。溢れる樹液から逃れようと藻掻いても、体は言うことを聞かない。夢とはそういうものだ。

 気が付けば、樹液はいのりの太腿まで包み込みはじめていた。泣きそうになりながら、いのりはまだ自由の利く4本の腕で樹液を拭い落とそうと試みる。しかし、獲物を捕らえることが得意なはずのカマキリの腕でさえも、流動する樹液を捉えることはできなかった。

 それどころか、腕と腕の間、指と指の間、体中の隙間という隙間に樹液が流れ込み、満たし、固めていく。冷たい樹液が肌に触れるたび、そこから少しずつ体が鉱物に置き換わっていくような感覚。これは恐怖から来る錯覚だろうか。それとも……


「……た、助けてください! 誰か! ヤトノカミさま、 イモリさんでもいいです! 誰か居ませんか!? イサドさん! 助けて……」


気がつけば四肢はすべて絡め取られ、もはや藻掻くことすらままならない。宝石のように光り輝く樹液に躰を覆われながら、いのりは喉が張り裂けんばかりに叫ぶ。だが、助けが現れるはずもなく……


《食い物の匂いがするから来てみたが、ここまでオーソドックスな悪夢は久しぶりだな》


 焦燥しきったいのりの耳に、呆れるような声が響く。彼は一瞬声を潜めたがすぐに気を取り直し、藁にも縋る思いで声の主を探す。


「誰か居るんですか!? た、助けてください! このままじゃ、私……」

《いいから。まずは落ち着いて、声の主は目の前にいるって、思い込んでみろ。ここは君の夢なんだから》

「……え、ま、前? 前に居るんですか!?」


 謎の声に導かれ、視線を前へ向けたいのり。その刹那、彼の眼前に “まるでテレビの電源がついたかのように” 人影が出現した。つま先から鼻の頭まで漆黒の皮に覆われているその人影は、不釣り合いなほど大きな瞳を黒い顔の中で爛々と輝せている。その瞳には焦燥しきったいのりの顔が映っていた。漆黒の体の中央で、腰だけがまるで鞍のように白く抜けている。すぐ下の臀部には雲のようにたなびく尾がほのかな黄金色の光を放っている。頭には鋭い牙が2本。その姿はまるで……


「……マレーバク?」

《惜しい。ただの“獏”だよ。聞いたことぐらい…… あるよな?》


 その『獏』はわざとらしく肩を落とす。いのりは突然の乱入者に不意を突かれたようで、自身の状況も忘れ、落ち込む獏に話しかけた。


「……獏! あ、いや、獏さん。お名前は聞いたことありますよ!もちろん。 まさか、お会いできるなんて……」

《……いや、いいんだ。ま、夢の中でしか会わない訳だし、しょうがないよな、うん》


『それは置いておいて』と、獏は何かを移し替えるようなジェスチャーをする。神獣なのにやけに“ノリが軽いな”といのりは思ったが、ヤトノカミさまも似たようなものだったと一人で納得していた。


《じゃ、本題だ。今から君の悪夢を食べさせて貰うけど、いいよな? 》

「……あ、そうでした! 獏って、そういうものですもんね。お願いします、助けてください!」


 獏はつかつかと樹液の塊に歩み寄ると、パキッと軽い音を立ててひと欠片を割り取った。まるでべっこう飴のような色合いをしたその欠片を、今度は軽めの煎餅のようにサクサクと音を立てて齧る。


《歯触りは良い。でも、味は薄いな。おおかた、寝る前に怖い話でも聞いたんだろう。“鮮度”が良い夢って、だいたいそういう理由なんだよな》

「へぇ……」


助けが来た安心感からか、いのりの返事は気が抜けている。樹液を割る音と、獏がそれを噛み砕く音。小気味良くどこか心地良いようなその音を聞いていると、いのりの心拍もだんだんと落ち着いてきたようだ。そうこうしている間にも、彼の体を包んでいた樹液は獏の胃袋へとどんどん収められていった。


《……ま、こんなもんだろ。ごちそうさまでした》

「よっ……と。 あ、抜けました! 助かった!」


 樹液から解放されたいのりは大きく伸びをした。緊張がほぐれたのか、どっと疲れが襲ってきたようだ。夢の中だというのにも関わらず、いのりは眠たげにあくびをひとつした。そんな彼を見て、獏は『眠くなったのなら、そろそろ目覚めの時だ』と目を細めた。 

 そして、別れを惜しむ間もなく、いのりの意識は現実へと引き戻されていった。


《……さ、次は一角獣でもひやかしに行くか……》


ーー

ーーーー


 朝。窓の外は白い光に包まれている。硬いソファーの上で目を覚ましたいのりの視界には、不安げなイサドの顔がいっぱいに広がっていた。


「ふあ、イサドさん。布団、貸してませんでした? そっちで寝てたんじゃ……」

「あー、うなされてたから、様子を見に来てたんだよ」


『悪い夢でも見たか?』と、イサドはいのりの目覚めを促すようにソファーから一歩引いた。半身を起こしたいのりは、まるで羽化したての昆虫のように伸びをして体をほぐす。温かな血が体中を廻り始め、しだいに頭も冴えてきた。

 だが、イサドの言う《悪夢》については、ついぞ思い出せなかったのだった。



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