『飽きが来ない秋』
いよいよ秋がやってきた。人々は寒さに肩を竦めながら、秋曇の白い空を見上げては早足で去っていく。
夏の暑さで傷んだ街路樹の葉は、色づく前に秋風に吹かれて散っていく。街角に溜まったその枯れ葉を踏み鳴らし、ひとりの女性が街を往く。
彼女の名は『今泉 アズマ』。ヒトとモグラのハーフである彼女は、その12本の指をいかにも寒そうに擦り合わせていた。
『何か、温かいものが食べたいな……』
彼女はふと足を止め、その赤らんだ鼻をすんすんと鳴らす。体がカロリーを求めていたからか、どこかから漂ってきた甘い香りを鼻が捉えたのだ。モグラの血を引く彼女にとって、鼻は目にも等しい感覚器なのだ。
そして何より、彼女はお腹が空いていた。甘味の魅力を無視できる訳はなく、彼女は断固とした足取りでその出所へ歩んでいった。
『おお、たい焼き屋かぁ』
湯気を上げる狐色のたい焼きが店主から客へ手渡されていく。アズマはそれを遠巻きに眺めながら、『ふむ』と顎を掻いた。『たい焼きならばおみやげにも、自分用のおやつにもちょうど良い。事務所に渋いお茶でもあれば最高だ……』
そんなことを考えながら、ふらふらと焼き上がりを待つ列に並ぶ。列が1歩進むたびに、たい焼きを買い上げた人が甘い香りを携えながらひとりずつ帰っていく。はやる心を落ち着かせるように、アズマは財布の小銭を数えて待つ。
「5個で550円です。お買い上げありがとうございましたー」
焼き上がったばかりのたい焼きを受け取り、アズマは浮かれた気分で列から外れる。ふと振り返ると、いつの間にか、彼女の後ろにも数人が並んでいたようだ。
たい焼きを楽しみに待つ人々はみな屋台から目を離さない。ほのかな優越感と温かなたい焼きを胸に、彼女は事務所に急ごうとした。
道すがら、何とはなしに列を眺めていたアズマは、ひとりの女性の前で目を留めた。群青色の髪、水色の巻きスカート、大仰なヘッドセット。見間違えるはずもない。いつかの雨の日、霧に霞んだ街の中で歌っていた女性が、記憶そのままの姿でアズマの目の前に現れたのだ。
「あれ、貴女は。もしかして、あの時の……」
「……あら! ええ、覚えていますとも。まさかこんなところで!お久しぶりです」
立ち振る舞いも、服装さえも記憶そのままという訝しい点もあるにはあるのだが、再会を喜ぶアズマにとっては些細なことだ。
自らを『メアリー』と名乗ったその女性は、アズマの買い込んだたい焼きに目を落とした。さっきまであれほど意気揚々としていたのに、今さら気恥ずかしくなったアズマはごまかすように笑う。『私も買いに来たんですから、大丈夫ですよ』と、メアリーも頬を緩ませた。
「たい焼き、もう買われていたのですね」
「ええ。たまたまお店を見つけたので、事務所へおみやげに買っていこうかなと。あと、自分も食べたかったので……」
「あら、素敵じゃないですか!」
『メアリーさんも』と、アズマが返す。『たい焼き、お好きなんですか?』。メアリーはハッとした顔つきになり、続いて恥ずかしそうに鼻頭を掻いた。
「ええ、もちろん好きです。好きなんですけど……」
「?」
「何だか、たい焼きを見ていたら知り合いを思い出してしまって。せっかくだから、買っていこうかな、と思いまして……」
ーー
ーーーー
「……」
「……アズマさん?」
「……」
「アズマさん、食べないんですか? さっきからずっと、たい焼きを見てるだけですよ?」
五福が心配そうに、ひたすらたい焼きをじっと見つめるアズマに話しかける。ここは事務所の休憩室。数十分前に手土産を携えて帰宅したアズマは、それからずっとうわの空だ。
「あ、今私のことを呼んでた? ごめん、考え事を……」
『らしくないですよ』と、五福は2匹目のたい焼きを平らげた。動物の中でも特に消費カロリーが激しいモグラとコウモリなだけに、アズマが目の前の甘味に手をつけないというのは余程のことだ。
「どうしたんですか? たい焼き、いらないなら貰いますよ」
「いや、食べる。……えっと、五福さ。『たい焼きに似てる人』って、どんな人だと思う……?」
真剣な顔をして、訳の分からないことを五福に質問するアズマ。五福はそれを聞いた途端に噴き出し、赤い顔をしたまま慌ててテーブルを拭った。
「ゴホッ、す、すみません。え、たい焼きに似てる人って、どういうことですか?」
『今日、知り合いに会って……』と、アズマは顛末を話す。五福は分かったような分からないような顔をしていたが、しっかりと3つ目のたい焼きに手を伸ばしていた。
『……その、メアリーさんの知り合いが、たい焼きに似てるんだってさ。どんな人だろうなーって』。アズマが組んだ腕を解き、熱いお茶に口をつける。五福は3つ目のたい焼きを半分ほど齧ったところで、目線はもうすでに4つ目のたい焼きを向いていた。
「……中に餡子が詰まってるとか? それか、焼き目が付いているとか……」
「ええー、それはないですよ。知り合いもテキ屋をやってるとか……」
「……案外、知り合いが魚だとか?」
『そうしたら、共食いじゃないですか』と、4つ目のたい焼きを掴んだ五福が笑った。
『でも、あり得なくもないよ。イモリさんや、サワガニさんみたいな人もいるし……』と、アズマはようやくたい焼きに口をつける。表面の焦げた皮の歯応えと、柔らかな生地のコントラストが楽しい。焦げの仄かな苦みと餡子の甘さが混ざり合ったところで、熱いお茶でごくりと飲み下す。
ふう、と満足げに一息吐いたアズマの隣で、たい焼きを4匹も平らげた五福が声を上げた。
「あ、そうそう。この前、人魚に会ったんですよ!」
「人魚? 桑都に海はないでしょうに」
「空です、空! 空飛ぶ人魚! もしかしたら、メアリーさんの知り合いって、その人じゃないんですかね?」
「……一理ある、かも」
『そうでしょう、そうでしょう』と、興奮した様子で、五福は人魚と出会った時のことを話し始めた。不思議なこともあるものだと、アズマはたい焼きのおかわりへ手を伸ばしたが、たい焼きはもうすべて五福の胃袋に収まってしまっていた。
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