『空を泳ぐ』

CAST:河守 五福、氐 豊

 

夜の空をコウモリが飛ぶ。煌々ときらめく街明かりを下に見ながら、濃紫色の空に黒い影を浮かび上がらせていた。


 彼女は結った髪を揺らし、上着をはためかせて空を謳歌する。宙返り、急旋回、急降下…… 重力を挑発するように翼を打ち振るう彼女は自由そのものだ。


『やっぱり、飛べるって楽しい!』


 遮るもののない空、こんなこともできるぞと、彼女は居もしないオーディエンスへ向かってアピールする。彼女は口を噤んでコウモリの視覚たる超音波さえ封じ、さらに両目をも瞑る。上も下も、ましてや前も後ろも関係ない世界。野性的なスリルが脳内で眠っていた本能を叩き起こす。どこまでも続く空は彼女の独壇場だ。と、思われたのだが。


「……わっ、ぶつかる!」

「え、ええっ!? 」


 急に響いた自分以外の悲鳴に、コウモリは慌てて急制動をかける。鳥か?飛行機か? はたまた異星人か? 跳ね上がる心臓を抑え、恐る恐る開いた目に飛び込んできたのはひとりの『人魚』だった。


「ぶつかるかと思ったわ…… 気をつけてね、空はあなただけのものじゃないんですよ?」

「……え? あ、その、ごめんなさい、本当に。気をつけます……」

「……? どうかしました?」


 興奮冷めやらぬコウモリは、目の前の光景に目を白黒させている。衝突されかけた人魚の方が落ち着いているほどだ。『人魚が、空を飛んでいる?』 常識外れの出来事を受け、コウモリの脳の使われていなかった部分がスパークした。


「……いや、その…… 怒らないでくださいね。人魚が空を飛んでるなんて、信じられなくて……」

「“泳いでいた”んです。ちょっとした夜の散歩」


 人魚はそう言うと、破れかけたヒレを翻しひらりと宙を舞った。その体は乾き、散りばめられた大小の鱗は疎らだ。魚半身と人半身の境目には楔が乱雑に打ち込まれており、見るからに痛々しい。それでも、コウモリは彼女から目が離せなくなっていた。


「何というか…… すごい、ですね」

「あら、ありがとうございます。……そうだ。私、“豊”って言います。今度は、ちゃんと挨拶して会いましょうね?」

「あっ、はい! えっと、私は五福。河守五福です」

「いい名前ね。それじゃあ、また! この空のどこかで」


 豊と名乗ったその人魚はそっと微笑み、淡い月光と街灯りに満たされた宙へ飛び立った。彼女はまるでコウモリへ見せつけるように、ひらりひらりと身をひるがえして空を“泳ぐ”。まさか人魚が飛べるだなんて、にわかには信じられないだろう。だが、これは現実だ。


 このどこまでも続く空を駆けていたのは、自分たちのようなコウモリや鳥だけではなかったのだ。彼女の頭の中に、急に視界が開けたような、そして世界が広がったような不思議な感覚が生まれた。


『空ってやっぱり、面白い!』 


 まだ見たことのない世界、まだ会ったこともない人々が、この広い空のどこかで今も息づいているのだ。『それを知りたい』と新たな想いを地平線の彼方に馳せながら、コウモリは再びその翼を振るった。


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