『シング・イン・ザ・レイン』

CAST:メアリー、今泉 アズマ


『雨の日は出歩きたくないけど…… まあ、用事なら仕方ないわよね』


幾本もの白い雨粒の軌跡が灰色の雲から降り注ぐ。事務所の裏戸を開けた途端、メアリーの化学センサーが沸き立つ土の香りを捉えた。朝から降り出した雨はついぞ降り止まず、昼前だというのに街は薄暗いままだ。


メアリーは長いスカートアーマーを気にしながら、お淑やかな振る舞いを心がけて濡れた道を行く。前へ傾けた透明なビニール傘の向こうには霞たなびく街並みが透けて見えた。道路の水溜まりを切りつけていくタイヤの音がやけに響く。


目的地はまだ遠い。しばらくは代わり映えのない風景に付き合わなければならないだろう。彼女はそんな退屈を紛らわせようと、軽く鼻歌を口ずさむ。メモリーの片隅に残っていた、いつかどこかで聴いた曲。スクリーンの中で楽しげに歌うミュージカル俳優の姿が彼女のAIにフラッシュバックした。


《雨と歌おう》

《ただそれだけで》


《天にも昇るような》

《幸せを噛みしめながら》


《雲に向かって笑おう》

《黒い空を見上げて》


《太陽は私の心の中に》

《愛は止まない雨のように》



傘を叩く雨粒の音はさながら拍手のよう。興が乗ったメアリーは濡れるのも厭わずに大きく腕を奮い、雨の喝采を一身に浴びる。もはや鼻歌とは言えなかったが、メアリーは『どうせ見物人などいないだろう』と、そう高をくくっていたのだが……


ぱちぱちと、雨音に掻き消されそうな拍手の音。それは微かだったが、メアリーの聴覚センサーは確かにそれを捉えた。『自分以外に誰かが居る』。火が出そうなほどに熱く、赤くなった顔で恐る恐る振り向くと、そこにはひとりの女性が佇んでいた。彼女は6本指の手をおずおずと振りながら、いかにも気まずそうにメアリーへ笑いかけた。


「……すみません、聴いちゃいました」

「ご、ごめんなさい。人が居るとは思わなくて」


真っ赤な顔でぎこちなくへらへらと笑いながら、メアリーは隠れるようにビニール傘を深く被る。だが、透けているので特に隠れられている訳ではない。傘の骨を伝って流れる雫の向こうで、黒髪の女性が雨音に負けじと声を上げた。


「……あ、えっと。その歌、私も知ってます。いい曲ですよね。確か、ミュージカル映画で……」


メアリーに釣られたのだろうか。彼女の顔はなぜか赤みを帯びている上、取り繕うように言葉を紡ぎ続ける。当事者よりも慌てふためく姿を見ていたからか、メアリーは次第に冷静さを取り戻しはじめていた。


「ええっと、その、あなたの歌…… そんなに悪くなかったですよ。いや、変な意味ではなく……」

「もう大丈夫、大丈夫ですから。あまり言われると逆に恥ずかしいです」 


『またご縁があれば、今度は一緒に歌いましょう』。気を取り直したメアリーは、改めて黒髪の女性へそう伝えた。少なくとも、赤の他人を必死に慰めてくれる彼女は悪い人ではなさそうだ。


女性と別れたメアリーは、再び鼻歌を口ずさみながら雨に煙る街を進む。傘を打つ雨粒の拍手の向こうに、見知らぬ誰かのハーモニーを感じながら……

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