『虹の向こうに』

CAST:今泉アズマ・河守五福


 気だるげな午後、雨上がりの空。すでに過ぎ去った雨雲の切れ端が、黄金色の空に灰色の影を落としていた。そんな雨の名残のもやに包まれた街の片隅で、空を見上げるふたりの人影。


「おーい、コウモリ! 来てよ、虹が出てるぞ」

「わ、ホントだ! なんだか久しぶりですね」


 アズマが指さす空の彼方。まるで雲海に架ける橋のように、七色に光る虹が黄金色と灰色の空に浮かんでいた。


「大っきいですね。何メートル、いや、何キロかな?」

「……追いかけていったら、もっと近くで見えるんだろうかね」


 ちょっと子どもっぽいかな、とアズマは自嘲するように肩をすくめる。空に浮かぶ虹は、ともすればすぐにかき消えてしまいそうなほど淡く、じっと見つめるアズマの瞳にはその光芒さえ映らない。


「……アズマさん、それ、やりましょう! 消えちゃう前に!」


 アズマの横顔を見つめていたコウモリが、決意を込めた声を上げる。『どこへ』と問う間もなく、翼を広げたコウモリは『虹の向こうへ』とアズマを背に乗せ飛び立った。


 ーー

 ーーーー


 空は限りなく広い。まとわりつくような霞を突き抜けながら、コウモリは空を飛び続ける。目指す虹は遙か彼方だ。ひしとコウモリの背に抱きついていたアズマは、ある彼女の異変を感じ取っていた。コウモリの肩に回した彼女の両腕は、ぜいぜいと上下する胸郭と荒い息遣いを確かに感じていた。


「ちょっと、大丈夫? ……無理してない?」

「大丈夫…… な、ハズです。多分……」


 いくら空を飛べるとはいえ、コウモリの最大高度はせいぜい十数メートル。人を載せていれば速度も出せないだろう。夕暮れの空、虹は次第に薄くなりはじめていた。


「無理しなくていいから! 早く止まりなって!」


 青ざめた顔に引きつった笑顔を浮かべながら、コウモリは『ごめんなさい』と呟いた。飛び続ける体力と気力はとうに失っており、着陸さえもやっとという具合だ。最後の力を振り絞り、なんとかアズマを降ろしたコウモリは、その場に崩れるように倒れ込んだ。ぐるりとひっくり返った彼女の視界は暗くかすみ、もはや空の虹が映ることは無かった。



「……とりあえず、思いつきですぐ行動するのは止めような。人に迷惑かけるようなことはダメだよ」

「……すみませんでした」

「謝らなくていいから。分かった?」

「はい……」


 コウモリはボロボロの体でモグラの背におぶさりながら、今にも泣き出しそうな震え声で返事をする。街はとうに夕暮れを過ぎ、夜を迎えようとしていた。


 どこへ着陸したかもよく分からないまま、ふたりはあてもなく家路を目指す。アズマは背中に負ぶったコウモリがやけに軽く、そして小さく感じられた。


「……あの、えーっと…… なぁ、コウモリ、いや、五福。私もさ、前はよく先輩に怒られた。『無茶するな』って。向こう見ずで、無鉄砲だった」

「……」


 おずおずと言葉を紡ぐアズマの首筋に、冷たいしずくが零れた。アズマは何も言わない。かつて彼女の先輩がそうしてくれたように。きっといつか雨が上がり、空には虹が架かるはずだ、と教えてくれたあの人のように。


「だからさ、大丈夫だよ。また気をつければいい。今ならまだ、何度でもやり直せる。これからもずっと、私は五福の味方だから」

「……先輩、ありがとうございます」


 “虹の向こう”はまだ遠い。だが、それはひとりきりの旅ではない。かすかだが確かな道しるべを信じ、ふたりは夜の帰り道を歩んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る