『暖かな傷痕』

CAST:メアリー・豊・芽吹



「……お疲れさまでーす。お先に失礼します」

「ん、お疲れー」

「お疲れさま」


 晩秋の夜は早い。太陽が沈むようにさっさと退勤した芽吹は、事務所の扉から夜風を吹き込ませて去っていった。彼女には帰りを家で待つ家族が居るが、独り身同士の私とメアリーはふたりでお仕事続行だ。寂しくないといえば少し嘘になる。


「……さすがに冷えるね」

「じゃあ、切り上げて少し休まない? お茶淹れるわ」


 私の言葉を待っていたかのように、メアリーはそそくさと事務所から姿を消した。どうせ、そう急ぎの仕事でもない。私もノートパソコンを畳み、かすかに漂ってきた紅茶の香りを追ってラウンジへ向かった。


「……ここからの夜景、綺麗だよね」

「知ってるのは私たちだけだからね」


 考古館内のラウンジからは、パノラマ窓を通して眼下に広がる街の明かりが一望できる。普段は考古館の来館者が使っているのだが、それはあくまで昼間の顔。たまにふたりでこっそりと、静かな夜のラウンジでティータイムを楽しむことがある。150歳近くにもなれば、少しは大人っぽく背伸びもしたいというものだ。


 ほのかな渋みのある紅茶はまだ十分温かい。ふたりで持ち寄ったお菓子を齧りながら、ゆったりと流れる時間に身を委ねる。


 ふと視線を感じ、私はメアリーの方へ向き直った。案の定、ばちりと私たちの視線が交錯する。一体いつからそうしていたのだろうか、彼女はマグカップから立ちのぼる湯気の向こうからじっと私の顔を見つめていた。


「どうしたのよ。私の顔に何か着いてる?」

「分かってるくせに。……ねえ、その傷の話。また聞かせてよ」


 メアリーは細めた目でじっと私の頬に刻まれた傷を見つめながら、甘えるようにねだってきた。いつものガイドロボットらしい張りのある明るい声とは違う、低く落ち着いた声だ。


 私の頬に刻まれた、消えない傷とその歴史。メアリーが傷の話を聞きたがるのはこれがはじめてではない。彼女は決まって、怒っているときや疲れているとき、そして、機嫌が良いときにこの話題を切りだすのだ。


「ん…… これで何回目?」

「忘れたわ。だから聞きたいのよ」


 彼女は一体、毎回どんな気持ちで私の話に耳を傾けているのだろうか? 私はあくまで同僚であるから、彼女のことを深く知ることは出来ないし、出来たとしてもしないだろう。ただ、話を聞いているときの彼女の顔はとても満ち足りている風に見える。


 だがそれは、私が彼女のうわべだけを見て勝手なことを言っているだけだ。落ち着いた顔をしていても、心中は穏やかでないのかもしれない。でも、ひとつだけ確かなことがある。満足げに相づちを打つ彼女の顔を見るたび、私はとても嬉しくなるのだ。自分でも『なんて独りよがりなのだろう』と思ってしまうほどだ。



「知りたがり屋のお嬢さん、引き返すなら今のうちよ」

「望むところよ、ワガママな語り手さん」


 結局のところ、私たちは自分勝手にお互いを想いながら、自分勝手に物語を紡ぐことしかできないのだろう。ああ、今夜は長くなりそうだ。

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