第37話 master's duty 「師匠の義務」

 明奈の暗い顔を見て、明人は銃口を閃に向ける。


 閃は全命令権を鋼に与える旨を部下たちに伝え、自らの通信デバイスをしまう。既にお互いが武器を実体化させている状態。どちらかが攻撃を仕掛けた時点で戦いは始まるだろう。


「不服らしいな。言いたいことがあるのなら今のうちにしておけ」


 ご機嫌に明人に猶予を許す。この猶予の時間にどのような細工をしても自分は絶対に負けないという自信からの行動。


「犯人が捕まったと聞いたぞ。そいつを縛り上げて拷問でも脳の高出力スキャンだのすれば引き出せなかった情報はないはずだ。なのにこんなことに現を抜かして」


「連中の脳に情報はなかった。当然吐くはずもない。俺達はまだ、何の手がかりも得られていない」


「なんだと」


 信じられない。明人はそう言いたげだが閃に不自然な間や言いよどむ点がないところが厄介にもそれが本当のことであることを示している。


「お前の言う通り脳をスキャンしてデータを閲覧した。生け捕りにした襲撃者の仲間だから、何か首謀者の特定ができるはずだと信じた。だがない。なにもない。結局また襲撃者対策は手詰まりでな」


 それではせっかく捕えた敵も使い道がない。


「故に可能な限り捕まえて当たりを引くしかない。最近は夜に毎日被害が発生している。故に多くの家の強力を借りて迎撃に当たることになってる。ノーヒットはないだろう。今後街は戦場になるだろうな」


 襲撃者になぜ組織に関する記憶がないのか、腕輪の実験体であり組織のために戦う戦闘員でもあるならば、組織の事情について何かしらは知っていて然るべきだ。


 その仕組みを解決しない限り、明人は閃の言う迎撃作戦で事態が好転するとは思えなかった。そしてそれは奨の求める真相と仲間の行方に大きくつながること。無視するわけにはいかない事項でもある。


「そんな情けない状況で、よくもまあ、奨を狙う気になったな」


「それにはとても同意するところだが、こっちにも事情はあってね。それはそれ、これはこれというやつさ」


「太刀川奨を捕獲するのは些事とでも言いたいのか」


「弱者をどうにかするのは、片手間で行うべき雑務だ」


 ここで2人は会話は途切れた。明人が真剣な表情なのは誰の目から見ても明らかだったが、明奈から見て今の明人は非常に機嫌が悪そうだった。


「いつもそうだ。勝手な都合で、お前ら〈人〉は人間が必死に生きる邪魔をする」


「否定はしない。だがいつの時代も強い者が恵まれ、弱い者は強い者に隷属するか死ぬしかない。時代によって何をもって強者とするのかが違うだけだ。この時代は、ただ生物として強い者が強い」


 ここで2人の会話は終わる。明人の銃を握る手に力が入った。


 6時45分。未だ奨は現れないまま、夕焼けは消え、いよいよ街が闇に包まれ始める。この辺りは街灯もあるため、目の前が真っ暗になってしまうということはない。


 明奈は何とか動けないかと足掻いて、未だ器用に動けるほどではない。目の前で明人が戦い始めそうなのを、未だ黙って見ることしかできない。


 このまま明人が自分を助ける為に戦って、もしも殺されることになったら。


 その最悪な未来を予想し、体中の血の気が引く感覚に襲われる。そしてそれは今にも現実となろうとしていた。


「須藤明人。陳腐な台詞だがはっきり言えば格が違う。相手にすらなれないと弁えろ。愚かな男ではあるまい?」


 返答はない。それは彼自身が虚勢であっても勝てるなどと言えないくらいに実力が離れているからだ。代わりに、源閃に放った言葉はただ1つ。


「明奈を、返してもらうぞ。そのためなら、俺はなんだってやらせてもらう」


「ほう。死ぬ覚悟はあるということだな。受けてたとう」


 閃の剣は白く光り始めた。空気を破る音がする。その光が決して触れざるべき破滅の概念だと自白している。


 砂の大蛇を一撃で溶かしつくした裁きの一閃を明奈は思い出さざるを得ない。


「先輩……!」


 体は動かない。このままでは先輩が死んでしまうのに。明奈は自分のあまりの無力さに涙がこぼれてしまった。


 いつもこうして、何かに助けを求めることしかできない。なんと自分は、弱いのだろう。


 矛先を明人に向けた閃。


「やめて! 私になら何をしてもいいから!」


 ――光が収まった。明人も完全に戦う気でいたので、武者震いではない体の震えを我慢して銃を構えていたところ呆気にとられる。


 自分の声が届いたのか。一瞬そう思ったが、それが違うと分かったのはすぐあとだった。


 明奈の目に、この場に新たな人間が現れたのが映った。明人も明奈の変わった表情で察する。誰が来たのかを。


「なんで来た?」


 明人は唖然とする。しかし、明人が見るその男の表情には何の躊躇いも後悔も感じられない。


「それはお前と同じ理由だと思うぞ」


 この時間源流邸へと向かっているはずの、奨が、源家本領島駅前のこの地に確かに存在した。


「意外だな。お前はてっきり春の方へ向かうと思っていたが?」


 奨を静かに迎え入れる閃。その口ぶりから、春が奨にこのタイミングで接触しようとしていたのを知っていた、ということを暗に伝える。


「見捨てない。約束したからな」


「そうか。俺は律儀な奴は嫌いじゃない」


 閃はこの時点で明人と明奈を無視し、完全に興味を奨の方へと移していた。


「野良犬。源家の暗部を知ったお前を逃がすのは威信に関わる」


 相対する2人は共に不敵に不気味な笑みを浮かべている。その中に宿っているのは相手へと強大な敵意と、自分が殺されることはないという絶対の自信だった。


 閃は待ちわびた戦いの火ぶたを切るために言う。


「俺は躾は得意だ。すぐに俺に従うことが幸せだと思い知らせてやるさ」


 剣の先を奨に向け、ゆっくりと奨との距離を詰める。


 一方で奨も逃げる様子はなく、

「飼い犬を探しているなら、もっと可愛げのあるやつの方がいい」

 閃の挑発に真っ向から応える。


 これから戦う2人だけが分かる。これは宣戦布告だった。ここから先に和平はあり得ない。


 奨が戦闘用のデバイスを起動する。対して閃は一気にその距離を詰めるべく、地面をしっかりと踏み込み奨に向けて走り出した。


 奨は手にある球体を持つ。それを明奈も明人も見たことがあった。


 以前明奈を襲った襲撃者が撤退をするときに使った目くらましの光の球。明奈は目を閉じ、明人はそれを見てサングラスをつける。


 一方で見覚えのない閃は、すぐさま目の前にシールドを展開し、さらに〈爆動〉の準備もする。


 しかしシールドは基本的に視界を奪わないように透明度が高く、直後、球が放つ激しい光は、シールドを通しても閃の視界から奨の姿を消すには十分だった。閃も激しい発光を前に反射で目を閉じてしまう。


 奨の動きは速かった。明人に素早く『ついて来い』と合図を送る。明人はその隙に明奈に近づき手を握ると、同時にデバイスを起動し、身を隠し閃から逃げられるよう、戦闘補助の技を想像する。


 1つ目の〈透過〉は相手から見て体を透明にする技。2つ目は〈忍歩〉。自分の体と物の接触で発生する音をなくすことが可能。3つ目は〈霧中〉。相手の使うレーダーなどの探知から自分の身を隠す術。すべて接触している人間にも同様の効果が適用される。


 それぞれが1分につき最大値の20パーセントもの数のテイルを使うため、同時に使用すれば1分で明人のテイル残存量がほぼなくなる。永続的に使えない分、その隠密能力は強力で閃であっても見つけることはできない。


 奨は後方に席がある2人乗り用の自動二輪車をテイルで作り出すと、明奈を抱えている明人を後ろに乗せ、源家領土の中央を貫く主幹道路を全速力で走りだした。


 光は消えた。再び場が見えるようになった閃の周りには人質も、戦う相手だった奨もいなかった。かろうじて道路を逃げたバイクが1台、走り去っていくのを見届けただけ。


「……ふふ、ははははは! 面白い奴だ。どこまでやれるか、俺が確かめててやる」


 閃もまた武人。宣戦布告に狂喜し、奨が逃げていった主幹道路の方に向け全力で走り出す。






 2人の間に明奈は挟まり少し潰されながらも、奨の腰を掴み振り落とされないように力を籠める。


「明人、明奈を離すなよ。今フルスピードだ。落ちたらただじゃ済まない」


「分かってる! でも、助かったぜ。つか時速180キロは出てるな。完全にスピード違反だ!」


「どのみち捕まるんだ。全力で逃げるほかない。しばらく行ったら曲がるぞ! 隠れ家を改める」


 閃も〈爆動〉を使えばある程度速くは動けるだろう。しかし〈爆動〉は瞬間的に加速はできても、継続的に使用しながらその速さを維持、さらに加速して高速移動し続けることは理論的に可能でも実行不可能に近い達人技だ。


 ならば1回で1000キロとか出せばいいと思うだろうが、敵を追う際にはそれも現実的ではない。少しでも調整を間違えれば相手に追いつくどころか追い越してしまったり、自分の意図しない方向へ吹っ飛んでいく。


 こういう事情があるからこそ、奨も明人も乗り物を使っているのだ。


 今後の方針を考える2人に対し、明奈はただついて行くだけでいいので風をきる音や周りで始まった迎撃戦の音など、様々な情報が耳から入ってくる。


「……あれ?」


 何かおかしい。明奈は、まるで後ろから何かが走って追ってくるような音が聞こえる気がした。


 気のせいだろう。そう断じようとしたが、徐々にその音は大きくなっていく。


 嘘だ。そんなの嘘だ。不可能だそんなの。


 しかしもしもそれは本当だったら――。


「先輩! 後ろに!」


 奨はバックミラーを確認し、明人は後ろを振り返る。


 その瞬間、主幹道路の全ての曲がり角が、身の毛もよだつ白い光の壁によって遮られ、奨たちは逃げ道を失った。

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