第35話 abduction「拉致命令」

 専門の知識が必要にはなるが、テイルとデバイスを通じて人の脳内の記憶を映像やテキストの形で見ることができる。これはあくまで閲覧だけであり、記憶の抜き取りや新たな記憶の埋め込みはできない。特殊なデバイスを使えばその限りではないが。


 春の記憶の中には、ところどころ源家によってブロックされているデータもあった。


「パスコードはマカラク2269ミナモトです」


「は? 教えていいのか?」


「閃様に許可されています。最も最重要機密はそもそも私でも知りませんから。でも口外禁止で。それと私の脳に何か変な細工がされた時点で、私は爆発します」


「とんでもない洗脳対策してるな……。俺はできないから安心しろ。こえーぜまったく」


 春の言う通り、6年前の誘拐の首謀者や組織の拠点などの場所はなく、今回の襲撃者についての情報もない。さらに記憶が人為的に消された形跡はなかった。つまり春は本当に組織について何も知らないということだったのだ。


 脳内閲覧用ヘッドホンを外した春は、こんな小さなのでできるんだぁ、と独り言を言いながら明人オリジナルの装置を興味深く見定める。


「ひやひやしたぞ……マジで。てかなんで何も知らないんだ」


「奴隷のようなものでしたから。組織は私に何も知らせずモノのように扱っただけ。私だけが反抗心を持った役に立たない厄介者だと分かってからは私に何もしなくなって、ゴミみたいに捨てられたところを源家に拾ってもらったんです」


「あんたの友は」


「皆は私と違って従順でしたから。今でも私たちを誘拐した組織に使われているかもしれない。でも、もう助ける術はないです。源家で働いてからいろいろな情報を集めましたが、まるで影のように日向には出てこない」


 語る春の顔は諦めからか、もう奨の探す友のことなどなんとも思っていないような顔だった。


 奨は旅の中で当時春たちをさらった者の首謀者が、6年前の腕輪をつくった科学者に近い存在であることまでは突き止めている。証拠もいくつか握っていて、間違いと言うことはほぼない。


 そうなると春をさらった理由を普通に考えれば、人間を〈人〉に変化させる実験の為だろう。


 春の『日向には出てこない』言うことも決して否定はできない。現に源家だけでなく、冠位の八十葉家や御門家もこの襲撃者事件の対応は後手に回っている。


 そうでなければ源家という八十葉家の直下家の領土で事件が今日までのような深刻化をする前に、冠位の家が何かしら首謀者に対するアクションを起こしているだろう。


 人間を〈人〉に変える腕輪は明らかにの社会での〈人〉の権威失墜を引き起こす。そうなると〈人〉の組織が黒ということも考えにくい。


「御門様は言っていました。人間が〈人〉に変わることはあれば、今の社会は完全に崩壊すると。無用の混乱を起こすテロリストを捕まえるために、今回の襲撃者事件はいい機会だと」


 明人はさらに難しい問題を解くような顔で春を見る。


 しかし、春は今回の襲撃者事件に関与している可能性は低いということが分かった。それだけで奨を源家本家に行かせる理由にはならないのだが、懸念材料の1つがなくなったのは悪い話ではない。


「話がずれたな。元に戻そうか。奨に源家本家に来てほしいって話だったな。けど、本人の許諾無しで返答は無理だ」


「閃様はあなたにもぜひ来てほしいとも言っておりましたよ。奨様1人だけだと、心細いだろうからと」


「俺がいたところで、頼もしくなんかないからなそれ。それに仲良くする気は毛頭ないな」


「そうですか……わかりました。では少々お待ちください……」


 春は唐突に立ち上がると、懐から手の平サイズの機械を取り出す。そして一度外へと出た。耳を澄ませると閃様という言葉が出て来たので、恐らく主と通信をしているのだろう。


「明人先輩。もしかして」


 明奈が口を開く理由を、明人は察する。


「奨を名指しで呼ぶ辺りとっても怪しいよな。まだ襲撃者事件がなんも進展していない。その間に奨と戦うなんて無茶はしないと思うが……」


 明人は念のため、奨にデバイスによる音声通信を試みるが繋がらない。仕方なく、メッセージだけは送っておくことに。


 それと同時に外に出ていた春が戻ってきた。


「すみません。主と通信をしていました」


「本人が帰ってくるまで待つか? 奨が行くかどうかは分からないからな」


 明人は未だ春とその裏にいる源家に不審感を持ちつつも、表面上は平静を装って、春に聞く。


「いいえ、それには及びません。もう、限界だとのことで」


 一方の春は、違和感を覚えるほどの清々しい笑みを見せていた。


 ふと、春を横から見ていた明奈の目に、春のデバイスが起動した瞬間が入る。


 まさか。そう思った時にはもう遅かった。


「申し訳ありません。どちらか一人を強引に連れて来い、と言う命令が下りました。我が主ながら野蛮ですよ」


 突如明奈の腕を掴み強引に引っ張る。


 あまりに急な態度の変貌に、警戒を緩めていなかった明人もさすがに反応が遅れる。


 明人がデバイス起動の合図をした瞬間、春の手から1発の光弾は発射された。


 デバイスが起動するまでの時間、明人は無防備。その弾丸をもろに受ける。


「が……体が」


「体を痺れさせる程度のものです。殺しはしないので安心してください。少し、明奈ちゃんを借りますね?」


「おい待て!」


 その明人の叫びを春が聞くことはなく、明奈をものすごい力で引っ張り、宿の外へと連れ出した。その表情は引っ張られる明奈が知らないあまりに冷たいもので、鳥肌が立つほどだった。






 心配そうに後ろを見る明奈。その目は明らかに明人の身を案じている。


「明人くんなら心配いらないわ。痺れてるだけよ」


「私を、どうするつもりですか?」


「怖がらないんだ。前に比べてだいぶ肝が据わってるね。閃様は駅の前に連れて来いって言ってたわ」


 いつも通りに話しかける春。先月までは頼れる教育係だった彼女も、今の明奈にとっては奨という主を狙う源家の敵。


 明奈は油断せず、それでも行動は起こさない。今逃げても、逃げ切れるような能力がないのは分かっているから。


「私をさらっても無駄です」


「いいえ。無駄じゃないわ。閃様が何をしようとしているかは知らないけど付き合いは長いから予想はできる。仮にあなたが、私の予想通りの立場になったら、奨は必ずあなたを助けに来る」


「仮にそうなったら、私は、貴方に、閃様に挑みます。奨先輩が助けに来る前に」


「本気? 無茶じゃない?」


 無茶なのは百も承知だった。それでも明奈はもう決めている。もっと先輩2人ともっと一緒にいたいからこそ、大事な時には絶対に甘えないと。


 自分の主である2人に危険が及ぶくらいならば、自分が2人を守るために、自分から行動するのだと。


「やめた方がいいわ。奨も明人くんも、たぶん自分をかなり責めることになる」


「私は、せいぜい1ヵ月くらいを一緒に過ごした程度です。私なんかより、奨先輩は何年も旅をしてきたその目的を優先してほしい」


「試してみる?」


 春は通信用の装置を取り出して操作する。春は数十秒くらいデバイスを操作したのはメッセージを送る文字を打つためだった。


「今打ったメッセージをあの2人が源家に連絡先として登録していたアドレスに送信する。メッセージは2つ。貴方が閃様に囚われていて来ないと殺すということ。2つ目は私から、しっかり2人で話がしたいっていう内容」


「春さんはまだ奨先輩と話したくないんじゃ」


「主様の人間コレクションの標的に奨が選ばれちゃったし。もう少しじっくりやる猶予が欲しかったけど仕方ないかな」


 春が一呼吸はさんで、奨と会いたくないというその真意を語り始める。


「私が奨にまだ会いたくなかったのはね。きっと私、ちゃんとあったら我慢できなくなっちゃうの。私、昔から奨のこと好きだから。私以外に従うのなら殺したいと思っちゃうくらい。心がどきどきして幸せなの」


 明人なら。この一言で春の狂気に気づいたかもしれない。しかし、明奈にはそれが分からない。ただ春が敵になり怖いことを言っているというくらいの認識だった。


 しかし、先ほど春が機が訪れたと自分から言った。それは奨が数年越しで願っていた再会だ。


 これまでの生半可ではない旅の目的が果たされるとなれば、そちらを優先するのは当然のことだ。そうでなければならない。そうしなければ、これまでの旅はすべて無意味になるのだから。


「ふふ、楽しみだな」


 いつもは温厚な春の今の笑みは、どこか黒い感情が垣間見える者になっていた、


「奨、私は願っているわ。あなたが私の憧れのままだって」


 独り言。


 しかし、明奈には聞かれてもいいのか、その声は決して小さくはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る