4 弟子として先輩に

第34話 burning desire「初めて自分で願ったこと」

 6日の夜、日記をつけようと冊子を開いたとき、目に飛び込んできた自分の気持ちの数々を見て明奈は止まった。


 日記とは本来自分の当時の気持ちを綴る者なのだから当然といえば当然だが、最近は奨や明人と一緒に居るのが楽しいということばかりを書いている気がしてならない。


 明奈はふと思う。自分にとって、先輩はなんなのだろうか、と。


 雇用主。それは変わらない。そして自分を育ててくれる師匠でもある。それには間違いない。しかし、果たしてそれだけでここまでこんなことを書くだろうか。


「明奈ー、奨が新作のスープを試食してほしいって、降りてきてー」


 大きな声で返事をして、自分の2階の部屋から1階へと降りていく。机に並べられたカップに入ったスープが3つ。1つを当たり前のように明奈に差し出す。


「おわっち。火傷したわー、ないわー」


「そうか。舌を出せ、1度低い水で冷やしてやる」


「それまだお湯じゃねえか」


 いつも通り言い合いをする2人の前で、明奈はそのスープを口に含んだ。


「おいしいです!」


「前に比べて摂取カロリーと糖質を抑えた口さみしい夜にぴったりのスープだ。最近夜食食いまくって太り始めの可能性のある明人向けにな」


「俺だってちゃんと運動してるしー。戦闘訓練に参加してからむしろ体重減ってるぞ」


 こんななんということのない瞬間、明奈の心は落ち着く。自分でもそれを自覚していた。訓練をしている時よりも、こうしてのんびりしながら2人を見て、たまに話しかけられているだけで明奈は満足だった。


 むしろ最近は、もしも2人がいなくなったら、という方が怖いとさえ、少し思えてきている。


 明奈は思う。


(私。きっとこの2人の先輩と、3人でもっと一緒にいたい)


 何かをしたいわけではなく、ただこの2人の弟子として傍にいられるだけでいい。将来性のない小さな夢だったが、明奈は、それが初めて自分で持った確かな願いだった。


 故に、彼女は真面目だからこうも考えてしまう。


 やはり、自分も何か力になろうと。源閃が来ても、自分のできる限りのことをしようと。


 死ぬかもしれなくても、それはどうしてもやりたいと思えたのだ。戦えば奨が勝つにしろ負けるにしろ、戦いの後遺症を引きずる可能性は高い。それも、明人が言う限りは、相当ヤバいというもの。


 もちろん、閃が直接奨を狙ってくるのなら、明奈にできることは何もない。その事実は変わらないが、閃が別の手段で接近してくるのなら、なにかはできるかもしれない。


 明奈は、そう考えた。






 8日の昼すぎ。


 午前中に剣術の訓練から帰ってきてすぐ、奨はまた外出した。


 源家の子供をさらっている襲撃者。最近は同じ時間に5人以上の怪しい人影が見られたこともあり、子供を狙う謎の襲撃犯は複数犯であるという味方が有力になってきている。


 しかし未だ事件の進展について何一つ公表がなく、数日前たまたま再開した光も、八十葉と御門、源家と天城家配下による合同調査を行っていながら、敵を捕えるに至っていないと言っている。


 それどころか、配下が何人かやられてしまい、結局被害を増やし続けているとも。


 冠位の戦闘員すら倒す謎の襲撃者の話は、源家領土たるこの島の人々に徐々に不安を募らせている状況だ。


「俺の心配よりも、自分の心配をした方がいい。絶対に家を出るな。たとえ誰に誘われたとしても」


「……はい」


「そうだ」


 奨は家を出る前に、何かをデバイスで作り出す。小さく黒い立方体のなにか。


「一応それを、服のどこかに忍ばせておいてくれ。もしものことがあってもすぐに戻ってこられる。まあ、俺もできる限りすぐ戻るようにするから」


「はい。行ってらっしゃい」


 奨は走ってどこかへと走り去っていった。


 ちなみに、明人はいつも訓練の後の時間は昼寝だ。今もぐっすり、

「ふへへへ」

 幸せな夢を見ている最中である。


 明奈は先ほど渡された黒いキューブを服のポケットにしまい込み、今日の訓練の結果を日記に書き込もうとした。


 数十秒後、閉まったばかりの戸が数回叩かれる。


 その音で明人が目覚め、

「どーぞぉー」

 と言ったため、戸は開かれた。


「ごめんください」


 そこに立っていたのは春だった。また、奨がいなくなったタイミングで、現れたのだ。


「おろ、何か御用です?」


「襲撃者の件で、進展がありましたので。招待客であるあなた様にご報告をと思いまして」






「おいしー。これ明奈ちゃんがつくったの?」


 渋めのお茶の口直しにちょうどいい甘さの餡を使った手作り饅頭。奨が念のためと来客用にとっておいたものだが、その来客が来たため、明人が使用許可を出して明奈が作った品。


 目を輝かせながら差し出されたお菓子をもぐもぐする春。奨はお菓子作りを研修初期から教えていたのだが、それが実は楽して甘いものを食べられるようにというひそかな欲望からだったとは、今の明奈が知る由もない。


「なつかし……」


 春はそんなことを言いながら、明奈によって作られたお菓子を次々と口に運んでいく。


 明人は困惑する。明奈がおもてなしとして少しお菓子とお茶を用意したものの、春がそっちに夢中になり15分以上本題に入らないとは思わなかったのだ。先ほど明奈を褒めた言葉が、宿に入って初めてしゃべった言葉だ。


 さすがにこれ以上は待ちたくない明人が本題に入るよう促す。


「ああ、しゅみません」


 お茶で口の中の甘味を流し込むと、一度深呼吸。先ほどまで幸せそうに菓子をもぐもぐしていた顔から一転、明奈が良く知る源家従者としての品の良い顔へと変化した。


「ええ、と。襲撃者の件ですが、昨日、現行犯が1人捕まりまして」


 明人にとっても明奈にとっても初耳の事項だった。


「よく捕まったな」


「その襲撃犯は妙な銀色の腕輪をつけていて、閃様曰く、6年前の事件と関連があるのではないかと。そこで、関係者である奨様に一度本家に来ていただきたいと思っています」


 奨を源家本家に。


 はいそうですか、と明人は返事はできない。その閃様に狙われているという話になっている。


 それに明人が気になる点はもう1つあった。


「その事件。あんたも関係があるはずだ。わざわざ奨を呼ばなくてもあんたがいる」


 明人としては相手の揚げ足を取ったつもりだったが、春は想定内だったのかいたって自然に答えた。


「……そうですね。今の私は源家の従者。奨様に来ていただくという仕事を無視するわけにはいきません」


 明人はまだ納得のいっていない顔をする。


「6年前、お前は何者かにさらわれたはずだ。そこからどうして源家に来ることになった? それを聞かないと襲撃者の件でお前を信用できない。俺らが見たアイツのデバイスは、探していた組織の証ともいうべきものだ」


「では、こうしましょう。私の頭の中を調べてみてください」

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