第5話 eat out! 「3月15日 お腹がすきご飯を食べる」
次の朝。小鳥の鳴く音で目を覚ます。
噂通りの布団の寝心地にこれまでの人生の中で一番の睡眠をした気がする明奈だったが、誘惑には負けずに体を起こし、すぐに新しい主2人のいる1階へと向かった。
「おはよ」
「よく眠れたか?」
現在は朝の6時。それにも関わらず目がぱっちりと覚めている。従者なのに主より遅く起きるのは無礼の1つ。早速失敗をしてしまった明奈はすぐに謝まろうとした。
「起きてこいと言ってないんだ。いいよ」
「でも」
「明奈が来たからと言って早起きも朝のルーティーンも怠けるつもりはない。君が気にすることじゃないさ」
「何かお手伝いできることはありますか。なんでもやります!」
「お、今なんでもと?」
ボケに走った明人の頭を奨がひっぱたき、
「朝食を食べに行こうか」
と軌道修正した。
(昨日だけじゃなくて、今日の朝も、何もできなかった。私、大丈夫かな……)
明奈の心に、見捨てられることへの不安が募っていた。
源家の本家が存在する人工島は3つのエリアに分かれている。
今明奈と先輩2人がいるのは、人々が生活を営み、店や迎賓館がある招待客用に用意された都市エリア。
かつてこの国の観光地の1つだった鎌倉という地を参考にして整地されているという話も頷ける街並みだ。
奨と明人は商店街の道を歩く。奨と明人が目の前で朝飯を何にしようか話を続けていた。
お腹がすくという感覚は、人間特有のものだ。〈人〉は栄養摂取を必要としないものの、舌を満足させる美味を求める欲求はあるので料理というものは存在している。
たとえ、デバイスとテイルで再現できるとしてもだ。
「明奈は何がいい?」
「え……、その、先輩方のお好きなように」
難航する朝ご飯選び。奨が後ろを向き、明奈に質問を投げたものの、明奈は答えを返すことができない。
「やっぱり美味しいもの食わないとな。朝は和食がいい。米を食うぞ、米」
「こめ?」
今度は明奈が首を傾げる。明人はさすがに、米という言葉が分からないとは思ってなかったのか、明奈が疑問をもったことに驚きを隠せなかった。
「ご飯だよご飯。知らないのか?」
「お米。高級食材ですよね……? 私なんかが食べていいものでは」
「えぇマジ? 食べたことない?」
明奈は迷いなく頷く。明人はどう反応を返せばいいかすぐに判断できなかった。
「なら、定食屋に入ろう。明奈の成人祝いだ。ちょっと高めの物をたのもうか」
判断が早かった奨の提案に明人は賛成し、再び歩き始める。
「あの、そんな」
明奈は、自分が贅沢なことを言ってしまったかと思い、心臓をバクバク動かしている。
心配をかけまいと平然を装った顔を見せ頷きを返す明奈を見て、
「俺らが決めたことだ」
明人が一言。
明奈は自分の真意が知られていないことにほっとしつつ、これからは一語一句、話す内容に気を付けようと心に誓った。
店員の例の挨拶を受けて、店の中に入る。和食をメインにするこの店はやはり、倭の国の古代からの伝統様式に倣った内装になっていた。
座敷席が空いていたので、そこに腰を下ろす。
「どれにしようか」
奨は早速、メニューを手にして、少し楽しそうにメニューを見る。
明奈はこのような場所には慣れていない。学校では健康な体をつくるため、食事は徹底管理されてきた。自分で食べるものを決めるという経験がなく、困惑を隠せない。
「あ、もしかして、こういうところにも行ったことないのか?」
明人は明奈の今の心境をようやく察する。奨も明人の言葉を聞き、しまった、という様子で明奈に詫びを入れた。
「すまん。配慮が足りてなかったか」
突如として主に謝られ、明奈は再び混乱してしまう。
明奈にとって『謝る』とは下の人間が上の人間へと非礼を詫びる時にするもの。決して目上の人が行うことではない。
他者から見れば、明奈はどんな反応をすればいいか怯えている表情だ。
「俺も前は孤児でな。初めてこういうところに連れていってもらえた時は驚いたよ。君もせっかく外に出たんだ。遠慮は許さないぞ。しっかり食ってけ」
明奈は従者としての自覚を強く持っていることは、これまでの言動ではっきりしている。
故に奨は、最後をやや命令っぽく言うことで、彼女ができる限り余計なことを考えないように促した。
「はい!」
明人は今の反応を見て、最初の内は彼女にかける言葉を工夫することを決心する。
明奈がいろいろ食べられるように、と考えた奨が、定食ではなく大皿でおかずをいくつか頼み、三人分のご飯とみそ汁を持ってきてもらっていた。
「奨先輩が嬉しそうですね」
「あいつ、食事の時は上機嫌なんだよ」
「そうなんですか?」
「いつもは無愛想に見えるんだけど、何か食ってるときは、幸せそうなんだよな」
それを聞いた奨は、真っ向からその言葉にコメントを返す。
「美味いものを食う。これ以上の贅沢はない。それが嫌いな人間がいるか?」
2人のやりとりは昔からの親友という間柄にしか見えない。本当に仲が良いのだなぁ、と明奈は思った。
目の前に白いご飯。源家では万を超える価値のある食物だと教えられてきたものが目の前にあり、緊張から体を震わせている。
「遠慮せず、一口食べてごらん」
目の前に置かれた箸を手に取る。炊き立ての白米を口の中へと運び込んだ。
「ん……」
広がるほのかな甘み。明奈にとって初めての感覚だった。体が、脳が、喜んでいるのを感じた。
明奈が隣を見ると、明人が笑っていたのが見えた。
飲み込み、そして明人にどうしたのかと尋ねた。
「いや、その、いい顔してたからさ」
少し、明人の顔が赤くなっていた。明奈はその意味をまだ理解できなかった。
「明奈が笑ってくれて、こっちとしても、なんか少し安心したよ。男二人と急に同行することになって、さぞ怖かっただろうと思ってたからさぁ。いやホント」
笑っていたという。明奈はそれを自覚していなかった。しかし、納得はした。自分が笑っていたことにも、奨が夢中になるのにも。
それだけの良い感情が自分の中に生まれていたことを自覚していた。
「そ、そんなことないです。その、ありがとうございます!」
これは主への礼儀ではなく、素直なお礼の言葉として、自然と出た言葉だ。
「いいや。食べよう。今日もこの後はいろいろとやることがあるからな」
奨もまた箸を動かし始めた。早速おかずへと手を伸ばし、口に放り込む。
一方で明人は、まだ明奈のことをじっと見つめていた。何故かうっとりとしている。
「おい、何じろじろ明奈を見てる」
奨に言われ、慌てて明人は箸をとった。
明奈は初めての料理に夢中になっていたが故に、明人のこの行為には気が付かなかった。
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