外伝2-31 記憶を取り戻す時に
「どうしたの? 急に」
季里の方を向いた明奈はいつものような口調で話しているものの、季里には目の前の彼女の目が笑っていないことが分かっている。
「私、もっと役に立ちたい」
「役に立つ必要はない。こちらはあなたを巻き込んだ側だ。そもそもいつ暗殺されてもおかしくなかったこのアジトへ一緒に連行したのも申し訳なく思っている。だからあまり無理させないようにしようと思ってた」
明奈はゆっくりと立ち上がり、寝台に寝かせていた〈天使兵〉の様子を見る。すやすやと寝息を立てている女性型の〈天使兵〉は、外見は14歳くらいの少女であり、戦闘服ではなく明奈が用意した軽装に、服を変えていた。
「でも、それだけじゃないだろう?」
「うん。
明奈の問いに、季里は偽りなく答える。
「私が今昇が戦っている歩家の長女であるのは薄々感じてた。それでこのアジトに来てはっきり言われた。今の私にはまだ実感がないけど」
「それが記憶を戻すのとどんな関係がある」
「私が戦い方を思い出せたら、きっと役に立てる。私だけ安全なところで待ってるのは、もう嫌」
明奈が良い顔はしていないのは明らかだった。
それは言わずとも季里は理解している。今自分の記憶を戻すことはただのリスクでしかない。記憶の失う前の歩季里がどのような〈人〉だったかは、昇も明奈も話さないため知らないが、それでも兄らしき男と会った時を思い出せば少しは予想できるというものだ。
記憶が戻ればまた季里は昇の敵となる。それは誰から見ても明らかなことだった。
しかし、明奈はすぐに季里の申し出を否定するわけではなかった。
「まずあなたの質問への回答をすると、それはできる。脳へアクセスして、脳内の記憶をデータ化、それを別の機能している場所に移動させるだけ。ただし、脳にかなりの負荷がかかる行為だし、そもそもの準備もいる。何より私は今は昇の補佐だ。私からそれとなく訊いてみての返答でやるかどうかは判断する」
「いいの?」
「むしろだめだと思ったならなんで聞いた?」
「ダメもとで」
「記憶を取り戻したいというのは当然の欲求だ。季里がそれを望むのなら、私にはそれに反対する道理はないよ。ただ……」
明奈は季里に近づき、その顔を覗き込む。
「少し、焦り過ぎじゃないか? 言うのは別に今じゃなくても良かったでしょう? なのにここに押し掛けてきてまで私に会いに来るなんて」
「その……昇には言えないから」
「だったらあいつが寝てから部屋で言ってもいいだろう。ここに押し掛けるほど急いでいたの?」
「それは……」
「昇に対して後ろめたいならやめた方がいいと思うけど。もしも記憶を取り戻したら、貴方は昇を殺し合いになる可能性は高い」
記憶関連の話が本人から強く出たここが潮時だと明奈は判断した。
明奈は、季里が記憶を失う直前、何をしていたのかを話すことに。
季里は害虫駆除の感覚で、昇はすさまじい怒りを露わにして、廃校の外で殺しあった事実を、明奈は自分の知る限り話す。
概ね予想通りとはいえ、今の関係と昇の態度からは想像できないほどの殺し合いだったことを訊き、季里は自分が思っていたよりも衝撃を受けていた。
「……まあ、正直に言うと。記憶を取り戻したあなたが今とどう違ってくるのかは分からない。記憶が戻る前に何もかも戻るかもしれないし、逆に記憶喪失中の記憶によって何かが変わるのかもしれない。それは戻してみないと分からない」
「うん。でも私は、足手まといはもう嫌」
「昇はそんなこと思ってないと思う」
「違う。昇がそうでも私は嫌。目の前で何かが起こっているのに、自分の立場のせいで何もできないのは嫌。それだけは嫌なの。一緒に悩みたい、苦しみたい。自分だけ安全なのは嫌」
季里の口調が強くなる。〈天使兵〉の件だけでここまで気持ちが荒ぶるだろうかと明奈は疑問に思った。
今の言葉は、叫んでいるわけではないのに、感情がかなり籠っていたように明奈には聞こえたのだ。
まるで、ずっと昔から嫌いなものやことを強いられた時に駄々をこねる子供のような。そんな風に明奈には見えたのだ。
(気のせい……いや、それを決めるのは私じゃない)
その違和感をここでは明奈は棚上げして、話を進めることにする。
「季里の望みは分かった。だがこれ以上は時が来るのを待ってほしい。その間、季里にもやってもらうことがある」
明奈は季里を手招きする。
入り口に立っていたはずの季里を招いた場所は寝台の近くだった。
「記憶の有無にかかわらず、今の季里役に立つ護衛は必要だと思ってな。その子の手を握ってそのままでいてくれ」
「何を……」
「そこまで察しが悪い訳じゃないだろう? 契約だ。今からこの天使兵を、お前のデバイスと接続する。そうすれば、この〈天使兵〉は季里を守ってくれるようになる。でも、通常の召喚兵器と違って、〈天使兵〉は意志を持つ兵器だ。まずはそいつを躾けるなり仲良くするなり、使い物にしておくようにしておくといいよ」
〈天使兵〉は伊東家が調整した召喚兵器であり、本家お抱えのエンジニアが直接手を加えているはずの兵器なのだが、それを明奈は調整したという。当然〈天使兵〉は伊東家独自の技術が使われて、その技術が盗まれないようにセキュリティシステムも厳重に張られているところを、明奈はたった1人でそれを解析したということ。よほど高い技術力を持っていないとできないことだ。
「すごいね……。普通出来ないよそんなこと」
「昇が最小限の傷で、生かして連れて帰ってきてくれたおかげだ。損傷が激しかったらさすがに無理だったよ」
「いや、それでもさ……」
「手を離すな。今から最終段階に入る」
「あ、はい」
季里は明奈の言う通り、天使兵の手をぎゅっと握りしめる。
明奈がキーボードを高速で叩き始めた。
その状態が10分続いて。
寝かされていた〈天使兵〉が目を覚ます。
襲われないかすこし心配になったものの、女性型の〈天使兵〉は目の前の季里を新しい主だと認定。
「マスター。初期設定を開始いたします。生体情報のスキャン、およびいくつかの問答を行いますので、そのままお待ちください」
季里に告げる。
明奈は成功にひそかに控えめなガッツポーズをして、その後部屋を後にする。
「じゃあ、あとは季里に任せる。後、さっきの話は、季里からは何も言わないでおいてね」
それだけを言い残して。
季里はそれに頷き、目の前の〈天使兵〉による『初期設定』を済ませた。
明奈が先に部屋に戻ると、昇があくびをしながら考えごとをしていた。
ぼーっと天井を見て何かを呟いている。
「阿呆な顔を晒しているな」
「おわ……!」
明奈が戻ってきたことにようやく気が付いた昇は、次の瞬間には笑顔になり、
「そうだ、きいてくれよ!」
嬉しそうに自分に吹き始めた追い風、先ほど食堂での話を明奈に報告する。明奈もそれには満足して頷きながら話を聞いていた。
「なるほど。なら、明日から忙しくなるな」
「ああ。やることは多いぜ。明日はさっそくジオラマシミュレーションと来人に手伝ってもらって、発電所までどう行くか、そしてどう攻撃するか話し合う予定だ」
「そうか。なら中の戦力についての扱いは気をつけろ。結局今、どれほどの兵がここにいるかなんて入ってみないと分からない。だから、発電所に入ってからの話はするな。お前が詰めるべきは発電所の中に入るまで。そこに至るまでの間で自分の策にはどれほどのメリットがあるかを強調する。それを考えればいい」
「あ、はいぃ」
「昇……当事者がそんな情けない声出してどうするの」
「いやぁ、本当に頭の回転が早いなぁって」
「いや、それくらいは考えつけ」
ツッコミを入れられてしまい昇は、確かに、とつぶやいて苦笑するしかなくなってしまった。
しかし、ここで今日はもう寝ると言われては困る明奈は、先ほどの話をここで切り出すことに。
「なあ、昇。いいか?」
「ん?」
「季里が、記憶を取り戻したいと言ってきたら、お前はどうする?」
「なんだよ急に?」
「次に行くのは歩家本家だ。そこなら彼女の記憶が十分に戻る可能性はある。だけど本人は行くつもりらしい。なら、そこで記憶が戻ったら、お前はどうする?」
あくまで、記憶を戻すという話ではなく、記憶が戻ったら昇はどう動くのかを尋ねた。
明奈は返答にしばらく時間がかかるだろうと思っていたため、昇が迷わず返答をしてきたことに驚いた。
「戦うしかないなら戦う。季里の動き次第だろ、そんなの」
「後ろから刺されるかもしれないぞ。普通に考えれば、季里はここで始末しておけと誰だって言うはずだ」
「リスクだからな。さすがの俺もそれは分かっている」
昇に迷いはなかった。
「あいつがもう一度決着をつけるのを望むのなら、俺はそれに応えるつもりだ。後ろから刺されることがあったら……まあ、警戒はするけどしょうがない。俺とあいつは元々敵同士。殺されてもいいのに近くにおいておくことを選んだのは俺なんだから、その責任はとる」
「季里を遠ざけたり、始末したりしようとは思わないのか? お前は歩家を潰すと言ったはずだ。アイツは敵だぞ」
「……最初は利用するだけ利用しようとは思ってたけど、やっぱり性に合わなかったみたいだよな。ずっと一緒に過ごしてきて、今のアイツなら、俺仲良くできそうな気がするんだよ。それを最後まで信じたい自分も正直いるんだ」
「本気か?」
「ああ。俺は嘘はつかない。もちろん欲張りな分、覚悟はしてる。でも、アイツが記憶を取り戻しても、俺達と一緒に居てくれるなら、変えてしまったのは俺だから、俺ができる限り責任を取る。あいつを必ず悪いようにならないよう頑張るよ」
「……責任を取る……か」
明奈は昔、同じ言葉を聞いたことがある。
『責任はとる。絶対に明奈を捨てたりしない。明奈が俺達と道を違えるその時まで』
大好きだった師匠の言葉。
それを同じことを昇は言ったのだ。
この一言があったからだろうか。
昇のその言葉を信じて、明奈は季里の記憶を戻すことを決めた。
昇がここまで覚悟を見せたのだ。記憶を取り戻して即時敵対するなら始末するが、もしも季里が昇と共に戦うと言ったのなら、昇のためにそれを最後まで信じてみようと。
「分かった……ありがとう」
「何がだよ」
「いや、お前は面白い男だよ。本当に」
力が入らない左腕をさすりながら、明奈も季里の処遇について覚悟を決めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます