外伝2-7 料理人明奈
明奈が待っていたのは調理室だった。
「この寺子屋の先生が随分と酔狂な性格で助かった。私が調べたなかで家庭技能科の科目を教えている寺子屋は京都でしか見たことがない」
明奈がこの部屋についた途端、部屋の壁際に設置された棚の中を確認はじめる。基本的には調理道具と皿があれば十分だったのだが、幸運にも保存食料が隠されていたため、拝借して料理を作ることにした。
ちなみに、テイルによって保存技術は旧時代よりもさらに上がり腐敗を1000分の1まで抑える技術が確立している現代では、ほぼすべての食糧を20年以上保存できるようになっている。ここで明奈が置いてあった食材を使って食中毒を起こす心配はほぼない。
自分のストックを消費せずに食べ物を頂けるのは彼女にとって悪い話ではない。明奈のご機嫌が少し良くなる。
「こんな部屋で何するんだ。他にもあんま壊れてない場所あっただろう」
「別に腹がいっぱいと言うわけでもないだろう。話をするなら食べながらの方がいい。何より私がまだ起きてから何も食べてないんだ」
「お前、料理本当にできるのか。あれって華族様の趣味だとばかり思ってたが」
明奈が昇のその言葉に笑うという反応を見せた。昇はなぜ笑われたのか分からなずすぐにその原因を探る。
「なんだよ」
「はは。なあに。少し前の私と同じことを言っていると思ってな」
「少し前か。そう言えば、お前は『学校』育ちだったんだよな。どこの」
「今はもうないが、八十葉家領源家の本土のやつだ」
基本的にお勉強をサボりがちで一般教養があまり身についていない恐れがある昇もその家のことは知っている。八十葉家といえば、倭の中でもたった2つしかない親人間派の1つの家であり、主に人財育成を得意としている家である。
源家は約2年前までは八十葉家の中でも最大の教育機関を持っていて輩出した人間の数はかなり多いと昇は聞いたことがある。
「へえ……じゃあ、おまえどこかの家所属してるのか」
「いや」
「いやって、それかなり源家に目がつけられるんじゃないか?」
「知らないのか? 源家という家はもうない」
源家は2年前に滅んだ。〈影〉と呼ばれる反〈人〉支配を掲げるテロ組織に。
「え! マジ……?」
「なんだ、お前2年前の話だぞ」
「いや、俺はもう少し前に捕まってそれ以降の話はさっぱりなんだよなぁ」
適当な机に季里を案内して、彼女が座ったその隣に座る昇は、早速、自分が囚われた3年前に比べて世が変わっていることを実感する。
「源家……?」
一方で今まで話が一体何なのかをさっぱり理解できていない季里。
目が点になっている。そんな様子を昇は見逃してはいなかった。
「今の話は」
「……何の話だか」
源家はかなり有名な家なので、たとえ思想が相反する伊東家領でも、傘下である冠位の智位歩家の令嬢である彼女が、存在や実績を知らずに、
「でも、なんか難しそうな話ですね。あなたは意外と教養があるのでは?」
輝かしい笑顔で昇を評価することはあり得ないことである。
明奈もそれを見てさすがに驚いたのか、昇に向けて自分が料理をしている間に昇にやっておいてほしいことを口にする。
「お前、隣の彼女にいろいろ教えておけ。ああ、でも私の話とお前の話じゃない。そうじゃなくて一般教養とか社会情勢……はいいや。お前も疎そうだ」
「へいへい。俺はどうせ世間知らずだよーだ。仕方ないだろ」
「何も言っていないだろう。お前が知る限りで、彼女が忘れていたらまずいことを確認して逐一教えてやれ。どうせ40分くらいは暇になる」
40分。思ったよりも長い時間指定。
「明奈、お前何作るつもりだ?」
「久しぶりにまともなキッチンがあるんだ。たまには暖かいものを私も食べたい。お前達も食べたければ我慢するんだな。ちなみに献立は……まあ、中華ね。この材料でできるのは」
「それウチにあったやつだろ。使っていいのかよ」
「どのみちもうここには戻らない。なら、使えるものは使いきった方がいいだろ」
昇は彼女の答えに納得して、指示通りに隣の季里へいろいろと話をしながら、必要な情報を与えていくことにした。
記憶を刺激すれば何かのきっかけで、歩家としての季里が戻ってくる可能性はあるものの、何も知らない状態で連れまわせる状態ではないことは、昇でも分かっている。できる限り歩家についての情報を避けながら、今の彼女が忘れてしまっている現代の常識を思い出させることにした。
「そうだな……とりあえず呼びやすいように名前を言っておこうか。お前は季里って名前だ。俺も明奈もそれだけ知ってる、ああ、俺の名前は昇な」
「あなたは昇、そして向こうの女性が明奈さんですね」
「とりあえず名前は教えておくぜ。さて、まずはデバイスの話からか?」
「デバイス……」
「やっぱりそれの使い方が分からないとこの先困るからなー」
40分と言ったが明奈が下ごしらえにこだわったせいでお待ちかねのご飯ができるまでは1時間も費やした。
しかし昇も昇で、何も知らない子供ような反応を見せる季里に対してデバイスや一般常識の確認を行うのに苦戦。その結果時間の延長はむしろ都合がよかったのかもしれない。
昇と季里の前に明奈が用意したのは宣言通りの中華料理だった。
「これは……?」
1時間ほど丁寧に説明や質問に対応をしていた昇の方が季里は話しかけやすかったのだろう。昇に目の前に出された自分の知らない料理について尋ねる。
しかし、昇も首を傾げるばかり。
一方で久しぶりにのびのびと料理ができてご満悦の明奈が明るい表情で季里の質問に答える。
「ラーメンというものを作ってみた。具はネギと肉を使っている。後は麻婆豆腐だな。野菜がないのが残念だったが、今後の活動のためのエネルギーにはなるだろう。何分、これが私たちが行動を共にしてから最初で最後の温かい飯になるかもしれないからな」
「調理実習はパンが玄米だったからな。麺ってのは初めて見たぜ」
昇は頭よりも先に体が動くタイプであるという明奈の評価に違いはない。得体がしれないものを前にまずは食ってみようと即時判断し、手を動かせるのは間違いなく彼の長所である。
「おお……なんか」
「不満?」
「いや、めっちゃうまい! へえ、これがラーメンか……季里も、これは大丈夫じゃないか?」
昇の勧めに従って季里も黄色の細麺を口に恐る恐る入れる。
「……醤油ベースのつゆとしっかり絡みますね」
明奈は何気ないその一言を聞き逃さなかった。
「醤油は覚えているのか」
「はい。なんか私、覚えていることと覚えていないことがあるみたいで」
明奈も麺をすする。
「うわ、なんだよそのおしゃれな食いかた」
「そうか。麺料理自体が初めてだもんな。私の師匠はこうやって麺をすすって食べてた。真似をしているんだ」
「へえ……」
もう一度麺をすすって口に運ぶ明奈をじっと見る昇。
そこで昇は明奈の意外な一面に気づくことになる。面を運ぶところではない、その直後、自分の料理を味わって出来栄えを確認している明奈は、昇が今まで見た中で一番自然な笑みを見せていた。
今までは肝が据わっている男勝りな活発少女のイメージしかなかった昇だったが、今の満足そうにご飯を食べる明奈は、とても可憐に見えたのだ。
「何見てるの」
「いや、そのー、お前もしかして飯食うの好きなのか?」
「独り身で旅をしてると、どうしても精神を安定させる趣味が必要なんだ。私にとっては少ない喜びを感じるときだよ。ところで麺は伸びると厄介になる。麻婆豆腐はともかくラーメンは計画的に食った方がいいぞ」
「え、そうなのか」
昇は明奈の忠告を受け、慌てて麺をまた口に入れようとしたが、先ほどの明奈をみてすするのを見様見真似で行った。
「……んぐぅ」
失敗。気管にスープが入りかけて即時中断する流れに。
「まあ、慣れるまではしかたないさ」
「くそ……お前も」
昇は隣の季里に、無理して真似すると息が辛くなると経験者的助言を行おうとして、彼女の方へと向く。
「むぐむ……ん。この食べ方は非常に興味深いですね」
季里はもう一口。もうものにしたように明奈の真似ができている。
「なんだとぉ……」
「ん。おいしいです。明奈さん」
「それは良かった。季里のお口に合うかどうか少し心配だったの」
そのやり取りに自分が一歩遅れている昇はもう一度挑戦しようと、デバイスで創った箸をラーメンへと向けるが、その隣にある麻婆豆腐に意識が傾く。
用意されたレンゲで思いっきりすくい上げ一口。
ここで1つ、明奈のことを語っておこう。
明奈は基本的に何でも好きだ。非常に甘々なものも、とてつもなく辛い物好きだ。
たまに痛いほど辛い物を口にして激痛を感じて喜ぶことがある。生半可な痛みでは、甘く感じていて、自分には生ぬるいと感じるらしい。旨味と強い痛みを同時に感じられるギリギリを攻めて辛い料理を作ることが多い。
そんな彼女の作った麻婆豆腐は当然ながら、辛い。
「ぁああああああああ!」
「どうした」
「無理無理無理無理。てめえ、うまいけど、これは、後から」
「情けない男め。隣を見ろ」
叫びだす昇、その滑稽な様子が大変お気に召したのか季里はここで初めて笑った。
「よかったな。お前のことをとてもお気に入りらしい」
「くそ、季里も食ってみろよコレぇ」
自分が昇を笑いものにしていたことに気づき、少し罪悪感を感じたのか季里は拒むことなくその赤い食べ物を口に運んだ。
「……ん。ぅう。ふう」
「どうだ」
「おいしいです。絶妙な加減ですね。辛みと旨味が」
「あら、これは」
明奈が勝ち誇ったように昇にどや顔を見せる。
昇にとっては、自分だけがなんとも情けない姿を晒してしまったことより、うまいこと明奈に踊らされたことがおもしろくない。
「くそぉ……」
しかし、このように美味な食事を同年代の仲間と共にすること自体が久しぶりで懐かしく、何より悪くない気分だった。
そして同時それは、明奈も、そして季里にとっても楽しい時間になったことは間違いない。
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