第142話 独身です

「うるさいわね! わたしだって好き好んでじゃないの。あんまり見苦しいことしないでよね!」


おっぱいちゃんは歩きかけたところで足を止め、こちらを振り返ってそう言った。


僕はこれが最後のチャンスだ、と思った。

囮にすると決めたならば、さっさと立ち去ればいいはずなのだが、先ほどからいちいち反応を返してくれる辺り、彼女に罪悪感があるからじゃないだろうか。

一押し。もう一押し彼女の心に訴えかける言葉を言えれば、助けてくれるかもしれない。

ただ、考えている時間はない。次のひと言が勝負である。

そして僕が半分混乱状態のまま口に出した言葉は……


「待ってるんだ。うちに、ネコが……腹を空かせた、ネコが待ってるんだ!」


……あれ?

僕は何言ってるんだ?


「はあ? ネコ?」


おっぱいちゃんの顔も、「何言ってるんだ」と言わんばかりに歪んだ。


だよね! やっぱり、こんな状況下で、それが何だって感じだよね!

詰んだ? 僕、詰んだっ!

いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!


「ぷっ! あははははははははははっ」


……ぁ?


唐突に笑い始めるおっぱいちゃん。

僕はそれが何を意味するか掴み切れず、茫然と見つめるしかなかった。


「ネコって、あの猫よね? 普通、そこは『女房と子供が……』とかでしょ?」


そこか。

そこにツボったのか。

確かに、一般的な道徳観に照らし合わせれば、人間……嫁や子供の存在に比べて猫なんて軽い理由と判断されるかもしれない。

きーっ! 悔しい。僕にとっては、唯一の家族なんだよ!

……まあ、先ほど口走って失敗したと思った理由もその辺りであることは間違いないのだが。


「僕は嫁も子供も居たこと無いんだよ……」


「ちょっ! そこ?」


おっぱいちゃんは苦しそうに腹を抱えている。

畜生。よくわからないが、そこまでツボることなのだろうか。

馬鹿にしやがって。


「……ふう、いいわ」


おっぱいちゃんは気持ちを切り替えるように息を吐くと、そう言いながらこちらに歩み寄ってきた。

そして、どこからか取り出した折り畳みナイフをバチン、と展開させる。


……!!!

まさか、「楽しませてくれたお礼に、せめて殺してから置いていってあげる♡」とかいう感じですか! 

そうなんですか!


うつ伏せに転がる僕の背中に、ガシッっとおっぱいちゃんのブーツの底が強くめり込むの感じた。


「ひいっ!!! もう駄目だあ~っ」


「……何言ってるの?」


バチンッ。


突き刺さるナイフの予感に強張らせていた両腕が、突然弾けるように自由になるのを感じる。

僕はその両手を使ってガバッと上半身を反転させ、おっぱいちゃんのほうに向き直った。

距離を開けたかったのだが、即座に喉元に突き出された刃先に、それは許されなかった。

どちらにせよ、足はまだ拘束されている。いまだに僕の命はおっぱいちゃんの手の中というワケだ。


見つめ合う、瞳と瞳。

ああ神さま。これがベッドの上で生まれたままの姿どうしだったらどんなにステキなことでしょう。

ひーっ!


数秒後。

おっぱいちゃんは、「ふう」とため息をつくと、ナイフを僕の脚元にポトリと転がした。


「……足のは自分で切って」


「……え?」


僕は、おっぱいちゃんの真意が理解できずに一瞬固まってしまった。


「助けてあげるって言ってるの」


「……!!!」

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