第2話 薫風に立つ
つくばの街には、南北に二つの大通りが走っています。
一つは、街の西側を南北に走っているから西大通り、もう一本は、東大通りです。
なんと言うこともない名前の付け方です。
遊びに来た友人が、さすが、学園都市だ、「東大」通りがある、でも、ここにあるのは筑波大学だろう、なんでだって、とぼけたことを言っていたことを思い出します。
その東大通り、先だっての暑い盛りに、その筑波大学病院に行く際、久方ぶりに通りました。
すると、あの枝ばかりが空を突き刺す槍の穂先のようだった街路樹が、瞬く間に葉をつけて、まばゆいばかりの緑をまとっていることに驚いたのです。
今年は、殊の外、寒いと感じながらも、春は確かに自然の中に訪れているんだと……。
筑波山の手前に、宝篋(ほうきょう)山という山があります。
登山もできるようですが、私はまだ登ったことはありません。
いつも自宅から眺めているだけです。
その宝篋山も奥にある筑波山より早くに緑の衣装をまといました。それが春の陽差しに照らされて、緑緑して輝くのです。
先だって、我が宅の西にある田んぼ道を歩きました。
今年は、連休が終わった頃合いに、田植えが始まったようです。
いつもなら、連休中にとっくに終わっている田植えが、幾分遅れているのは、御代の代替わりが理由ではなく、気温の低さがそれであると察しが容易につくのです。
顔見知りの農家の方が、田植えを一人で行っていました。
今は苗を畔において、それを機械に設置して、一人で田植えができるのですから、時代は変わりました。
昔だったら冷害だっぺよ。わしら百姓は飢えで、二進も三進もいかんべぇって、きっと笑っていうはずですが、この時は、一刻も早く田植えをしたいらしく忙しく働いていました。
だから、手をかざして、お互いに挨拶をして、私は歩き続けました。
かたや、落花生畑では、夫婦二人して畑の準備をしていました。
苗植えも、収穫も、いつも二人でしているのです。
もうすぐ、苗を植えるから畑を綺麗にして、肥料を撒いて、耕しているのだと思います。
二人して、あまりに夢中に作業をしているので、声をかけるのをやめて進んでいきますと、今度は、麦の穂が風に揺れていました。
まだ、実るのには、時間が必要なようです。
穂が真っすぐに伸びています。
やがて、この穂が一斉に風に揺れる頃、麦は刈り取られるのです。
すると、近所にある手打ちウドンの店が、つくば産小麦で打ったウドンと銘打って提供が始まります。
外国産とつくば産の違いなどわかる舌は持ち合わせていませんが、それでも、初ものは縁起がいいと、ご近所の旦那が、ウドン行こうって誘いに来ます。
それももうまもなくです。
春は、風が強く、自転車乗りにはきつい季節です。
真冬、頭から足のつま先まで、風よけに身を包み、柔らかい日差しを浴びて走る方がよほど気持ちがいいと文句を言いながら、それでも、向かい風を思い切り受けて、私はアグリ・ロードをえっちらほっちらペダルを踏むのです。
春は、また、この風で港も大荒れです。
キャビンで、時を過ごしていても、風に船が持っていかれ、そのたびにロープが音を立て、船が大きく揺れるのです。
春の風は、港の船さえも大きく揺らし、そこはかとない不安を私にもたらすのです。
それでも、私は、船の中でひと時を過ごすことが嫌いではないのです。
春の風が、大海原を疾走するヨットの中にいるそんな感じを作ってくれるからです。
冬の終わりころのことでした。
研究所のある敷地の垣根の下をビニールで覆っている作業員の人たちがいました。
そこにはえてくる雑草をそのビニールを張ることで、抑えようというのです。きっと、その方が雑草を除去する経費よりも安く上がるに違いありません。
そんな道筋を卓球の練習の帰り道、重たい足をひきづって歩んでいました。
まだ張られていないところに、芽鱗(がりん)がいくつもいくつも落ちていました。椿でしょうか、その蕾を覆っていた透明の皮膜のようなものを芽鱗と呼んています。
それが冬の陽差しに照らされて白く光りを放っているのです。
しかし、芽鱗の命は長くありません。
陽の光にあたれば、水分を失って、あの瑞々しさも消え失せる運命です。
夏野菜の苗を仕入れに、ホームセンターに出かけます。
その隣には、桜の木と柳の植えられた公園があります。桜の淡い桃色と、柳の垂れ下がった枝に芽が出て緑色のコントラストに感動して、苗を買うことをあとまわしにして、iPhoneをかざして写真を撮ります。
今、桜の花は散り、柳の緑が五月の風にゆっくりと揺れています。
柳は、葉を出す前に、ひっそりと花を咲かせると言います。
今年も、それを失念して、見損なったとがっかりしたのもつかの間、桜が葉桜となって、すっかりと口の端に乗らなくなったころ、その柳の花が実を結び、種を白い綿毛と一緒に飛ばすのです。
それを柳絮(りゅうじょ)と言います。
美しい日本語とつくばの百景の中に身を置いて、私は五月の薫風の中に立っているのです。
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