万葉の里
中川 弘
第1話 万葉の里
令和になったから、その名の由来が万葉集にあるから、ならば、私も万葉集にあやかろう、というのではないのです。
万葉の里とは、我が宅にあるモミジの木の品種が持つ名なのです。
春先、まだ、気温がだいぶ低い頃、西の庭に畑を作るため、その万葉の里を抜き取りました。
そして、それを大きめのテラコッタに植え替えて、様子を見ていたのですが、見事に芽吹き、葉を茂らせてきました。
樹の命を保てて、ほっと、一安心をしているところなのです。
何年か前に、我が宅に、モミジの樹が一本欲しいと、植木屋さんに探しに行った時のことです。
この木は、ヤマモミジの一種で、枝変わりです、なんてことを言われました。
まだ、芽吹いてもいない、枝ばかりの木を見て、枝変わりってなんだと、そう思って、植木屋さんに問いました。
モミジといえば、新緑の時節は、鮮やかな緑に染まり、やがて、秋になると真っ赤に紅葉するものですが、これは、芽吹いた頃から、赤みを帯びたモミジなんです、なんてことを言うんです。
日本庭園に似合う、高級感のあるモミジですって、付け加えてきました。
我が庭は、日本庭園ではありませんが、なんでもへそ曲がりっていうのが好きなもんで、私、その苗木を選んだのです。
我が宅に植えられたその万葉の里は、ほどなくして、葉を芽吹きだしました。
そして、そこには、紫がかったギザギザの葉で、黄色、時にはオレンジ色に見える縁取りがあったのです。
最初の年、そのモミジの葉を見たとき、正直言うと、ちょっとがっかりしたのです。
だって、新緑のモミジの葉を見ることができないことに、今更のごとく、気がついたのですからです。
『徒然草』のどの段だったか、卯月ばかりの若楓、すべて、万の花、紅葉にもまさりてめでたきものなりなんて一節がありました。
四月あたり、芽吹く楓の葉は、桜をはじめとする春の花々や、秋の紅葉にもまして、素晴らしいと言うのです。ここで言う楓というのは、まさに、モミジの樹のことです。
若き日に、京の街をぶらぶらしたことがあります。
すっかりと名を忘れていますが、そこはモミジの名所だと言います。
秋だったら、そのモミジの真骨頂を見られたねと、連れの京育ちの女に言いました。
すると、秋もいいけれど、春のこのころのモミジも良いんだと優しい京言葉で言うのです。
日頃は、標準語を使って喋っているのに、こうしたところに来ると、自然と京ことばが出てくるのです。
モミジの葉っぱは、落葉樹やさかい、薄いの。
広葉樹みたいに厚い葉っぱちゃうの。
そやさかい、春の京都の強い陽射しを受けて、照り輝くの。
ほらって、彼女、寺の一角に立ち止まって、空を指差したのです。
モミジの若葉が、折り重なって、陽の光を通し、時に薄く、時に、濃い緑を演出していました。
しばらく歩くと、白壁がほんのり、モミジの葉のその緑を映して、染まっている箇所に出くわしました。
あぁ、なんて美しいことかって。
私、その緑に染まる彼女の表情を見たのでした。
そんなこともあったので、『徒然』のあの一節を私は殊の外覚えていたのかもしれません。
しかし、我が宅の、へそ曲がりが購入したへそ曲がりのモミジは、その葉を蘇らせた時から、すでに、赤紫の色をそこに宿し、秋には、くすんだ色合いになって、葉を散らしていくのです。
でも、私、今は、我が宅の庭に、万葉の里と名付けられたモミジがあってよかったと思っているんです。
春にみどりみどりした葉を茂らすモミジは、そこここにあります。
そうではなくて、新緑の季節に、赤いモミジ葉を茂らすなんて、へそ曲がりの家のへそ曲がりのモミジなんだから、最高だと思っているのです。
それに、あのみどりみどりした、薄い葉を通して、ふりそそぐ色の反射を、我が宅では見たくないのです。
そっと、胸に秘めて、おきたい、そんな感傷があるからなのです。
万葉の流行る季節に、万葉の名を持つ、赤紫色の葉を持つモミジが、次第に色をくすませていくのを、今年は、ウッドデッキの上で、そっと見つめていきたいと、そんなことを思っているのです。
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