取材

いなくなった生徒に取材は出来ない。

自ずから残った家族への取材になる。だが傷を抉ることにもなるわけで、拒否されることもまた当然にあった。


生徒1(女)

家族への取材は不可。両親は離婚。母親は現在も精神を病み入院中。

周辺への取材から。生徒1は不妊治療での少し遅めの子供で、両親には大切に育てられていた。

失踪後、母親は何度か自殺を試みて未遂、父親の方はそれに疲れて離婚を選択。


クラス内で似た状況(不妊治療等)、環境(一人っ子)の生徒が他に12人。両親の離婚が8組。残る1組は心中、3組が諦めたと思われる。

誰も当時の住所にはいない。


生徒2(男)

不良少年と定義される問題児。失踪した時は停学あけ翌日。下に弟妹がいて、親には「ほっとしているかも知れない」と打ち明けられた。


生徒2と親しかった、素行の似た生徒は1人。こちらは生徒1と状況、環境が同じで両親は離婚している。


生徒3(女)

兄弟と差別されていた。親の口からは「いなくなったのが、あの子でよかった」と言われた。

それを広言していたため、周辺から責められ、事件後二ヶ月ほどで転居を余儀なくされた。

「あいつのせいで」という怨み言も聞いた。


生徒4(男)

上に兄がおり、兄への聞き取り。

兄本人の大学受験の年だったため、両親が早々に転居を選択。兄はまだ弟の無事と帰還を祈っている。

両親はすでに諦めたもよう。


生徒5(男)

上に兄がいる。取材は拒否。両親はすでに死亡。

同じスポーツをしていた仲の良い兄弟だったそうだが、弟の失踪後、兄は競技を辞めてしまった。


生徒6(男)

両親が自営業。騒ぎから遠ざけるために、兄と弟だけ隣県の祖父母宅へ。


………

ほとんどの両親が取材を拒否。内容にも大きな差異はなく、我が子のことでありながら「忘れたい」か、「いなかったもの」としたいという態度。

特に兄弟がいた場合、そちらの子供を守るためにか、強く拒絶されることが多かった。

兄弟の反応は、親同様に忘れたいか、いなかった扱い。逆に今も生存の可能性と、帰ってくるのを信じている、で分かれた。


駐在員への取材。

週刊誌の記事にするべく、出版社からアポを取ってもらい会った。

結婚3年、子供は先月1歳を迎えたばかりという。

ほぼ事件直後のことで、憔悴しきっていたが、本人の本来の性質なのだろう、受け答えは落ち着いていた。

本人の知る限りのことを話してくれたと思う。

最後に仕事を辞めたこと、そこへ留まることを教えてくれた。


A夫婦はお互いに一人っ子で、A夫親家、A妻親家は共に息子・娘と孫を失った。

どちらからも取材は拒否された。

B夫婦は、B夫側に兄がいたが、B妻側は妻弟も共に消えたので、夫婦の親家に温度差が有り、B妻親家は逆恨みを自覚していたが、B夫親家を恨んでいた。

C夫婦にはそれぞれ妹がいたためか、それらしい確執はなく、互いに悲嘆にくれる関係となっていた。C夫妹は、悲しみながらも「どこかで無事でいてくれると信じています」と、希望を口にした。

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