「猫さん」特製チャーハン
そういえば、彼女はどうしたんだろう。
昨日、彼女と出会った場所に差し掛かり、私はようやくそれを思い出した。
きっと、彼女はもう部屋にいないだろう。
名前も、彼女が泣いていた理由も聞けなかったことが残念だった。せめて、昨日の雨宿りが、ほんの少しでも彼女の助けになっていればいいけれど。
しかし、私の予想は見事に外れた。
アパートの階段を上がる途中、どこかで夕飯の支度をしているのか、いい匂いに食欲を刺激される。
今日の夕飯は何を作ろうか。思案しながらドアに鍵を差し込んだとき、その匂いがこのドアの向こうから漂ってくることに気付いた。
慌ててドアを開ける。
「あ、おかえりなさい」
昨日と同じ、スウェット姿の彼女が笑顔で私を迎える。
左手にはフライパン、右手にはフライ返し。いい匂いの発生源はあそこだ。
「あの、昨日はありがとうございました。あと、朝ご飯も美味しかったです。それでこれ、お礼に作ったんですけど………」
彼女はそう言って、フライパンの中を指差した。それはウインナーと卵、ネギのチャーハン。
「帰ってくるタイミングよくて助かったー。最悪レンチンかなって思ってたんですけど、チンしたチャーハンって美味しくないですもんね。あ、用意するから座って待ってて下さいね」
促されるままにテーブルに着くと、皿に盛られたチャーハンが運ばれてくる。
「皿とか勝手に使っちゃいましたけど、後でちゃんと片付けるんで」
そう言って彼女はまた笑った。戸惑いながらもチャーハンを口に運ぶ。
「どう、ですか?」
「あ、うん。美味しい。ありがとう」
正直それは、少ししょっぱくて脂っこかった。それによく見ると、ところどころに白いままのご飯がダマになっている。
けれど、一人暮らしの自分の部屋で、他人の作った料理を食べる、という行為には、味の良し悪しとは違う何かがあった。
彼女は私が食べるのを見ると嬉しそうに笑って、自分のチャーハンにも手をつけた。ふぅふぅと吹き冷ます姿を見て、
「もしかして、猫舌?」
「そうなんですよ、すっごい猫舌で」
くすりと笑うと彼女は不思議そうな顔をした。
「ごめんなさい。でも、あなた猫みたいだなって」
「猫かぁ。言われたことないかも」
「「猫さん」ね」
そう言うと、彼女――猫さんはまた笑った。
「じゃあ、お姉さんは「雨さん」だ」
「雨さん?」
「雨の日にあたしを拾ったから」
お互いにくだらないあだ名を付けて、私たちは一緒にチャーハンを食べた。
その日から、猫さんは私と一緒に暮らし始めた。
何か取り決めをしたわけでもなく、自分でも不思議なくらい、ただ自然にそうなっていた。
猫さんは、私が仕事に行くのを見送り、夕飯の支度をして私が帰ってくるのを待っている。
猫さんの料理は大雑把で味付けも濃いめだったし、量も多い。それでも、誰かの作ったものを誰かと食べる、それがとても楽しかった。
毎日作ってくれる夕食の材料は、猫さんが買ってきてくれる。一度、お金を渡そうとしたら「これは雨宿り代だから」と言って、受け取ってもらえなかった。
猫さんが日中何をしているのかは知らない。ただ服や化粧品など、少しずつ猫さんの荷物が増えていった。恐らくどこかに、ちゃんと帰るべき家があるのだろう。それでもそこに帰らないのは何か理由があるからだろうか。
本名は何というのか。何歳なのか。仕事はしているのか、それともまだ学生なのか。
猫さんが寝ている隙にでも荷物を漁れば何か分かるだろう。
でも、私はそうしなかった。
猫さんも、私のことを「雨さん」と呼んでいるが、郵便物などから本名が分かってもおかしくないし、どこかで会社勤めをしていることも察しているだろう。
私たちは、ほんの少しの踏み込みを器用に避け続け、お互いのことをあだ名で呼び合い、他愛もないことだけを話して過ごしていた。
「雨さん、今日はこれでーす」
「また何か見つけたの?」
「激辛スナック! ハバネロより辛い唐辛子パウダー入りだって。やっばー! 今日こそ雨さんの悶絶する姿を見てやるんだから! ああ、乱れる雨さんの姿が早く見たい!」
「この間、激辛カレーで悶絶したのは猫さんでしょ」
猫さんは、ときどきこうやって何か面白いものを買ってくる。
おかしな味の飲み物やお菓子、キャラクターの顔が描かれたシートパックや、最近流行の美容グッズ、猫さんオススメの漫画本など。
どこか無機質だった私の部屋が、いつの間にかごちゃごちゃして色を持ち始めていた。そして、自分が人一倍辛さに耐性があることも、恋愛漫画よりもバトル漫画が好きなことも初めて知った。
その日、激辛スナックを食べて悶絶する猫さんの姿を見て、私は久し振りに心の底から笑ったし、スナックも辛くて美味しかった。
あまやどり ロジィ @rozy-novel
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