雨音とホットミルク
彼女をアパートまで連れ帰り、まず玄関先で、ごしごしとバスタオルで拭いてやった。その間に風呂を沸かす。そして、スウェットや予備の下着を渡してバスルームに押し込んだ。サイズは違うだろうが、そこは我慢してもらうしかない。
彼女は、私にされるがままに、大人しく身を任せていた。瞳にはわずかな疑心をにじませていたけれど、冷えきった体を温める方が先だ、とでも思ったのかもしれない。
脱いだ服は洗濯機に入れ、回しておくように言っておいたけれど、この雨だと、乾くのは明日になるかもしれないな。そんなことを考えながら、私も手早く着替えを済ませた。
少し考えて、ミルクパンで牛乳を温め始めた。沸騰しないように、ゆっくりとかき混ぜる。
湿った部屋の中で立ち上る湯気は、いつもよりずっと濃くて、まるで牛乳そのもののようだった。
蜂蜜を加えて、二つのマグカップに注ぐ。シナモンを振りかけると、白に茶色がぱっと広がって、その強い香りで鼻がむずむずした。一口啜ると、その強烈な味と香りが体中を駆け巡って体の熱を呼び起こす。そして、蜂蜜の甘さが体の力を抜いてくれ、ふぅっと大きく息をついた。
ガタガタと音がして、彼女がバスルームから現れる。金髪で上下スウェットのその姿は、一昔前、コンビニの前でたむろしていたヤンキーそのもので、普段なら絶対に近づこうとさえ思わないタイプだ。
驚いたのは、彼女の素顔。
メイクで作られたものだと思っていた彼女の派手な顔立ちは、印象が少し幼くなったくらいで、殆ど変わらなかった。
アーモンド形の少しつり上がった大きな目が特徴的な、綺麗な顔立ちをした女の子。歳は二十歳前半と言ったところだろうか。
「ありがとう、ございます」
そう言いながらぺこりと頭を下げる。彼女が言葉を発したのは、私と出会ってからこれが初めてだった。
「服が乾くまでしばらく掛かるだろうから、座って。あと、これ。温まるから」
蜂蜜とシナモン入りのホットミルク。もう一つのマグカップをテーブルに置いて、彼女に勧めた。
彼女は、こくりと頷いてソファに座り、マグカップを手に取った。
しげしげと中を覗いて、不思議そうな顔をする。
「牛乳、苦手?」
彼女は小さく首を横に振って、ふぅっと息を吹きかけると、おそるおそる口を付けた。
ズズ、と彼女がミルクをすする音。そして、雨音が部屋に響く。
私たちが帰ってきたときよりも雨は強くなっているようだ。
これからどうしたものかな。そう悩んでいると、かたり、とマグカップを置く音がした。
見ると、彼女はうつらうつらして、睡魔と戦っていた。
「眠くなった? よかったら少し眠って。雨も止みそうにないし」
「でも……」
彼女は少し抗うように頭を振ったが、すぐに瞼が下がってしまう。
「大丈夫、眠っていいわよ」
促すようにソファに体を横たえてやると、彼女はするりと眠りに落ちていった。ソファの上で体を丸めるその姿は、まるで子猫のようだった。起こさないよう、そっと毛布を掛けてやる。
雨音に、彼女の小さな寝息が紛れ込んで、部屋が不思議な音で満たされる。今まで私の部屋で聞いたことのない音。
カーテンの隙間から外を覗くと、暗闇から飛んでくる水滴が窓ガラスにぶつかって弾ける。いくつも、いくつも。次から次へ、数え切れないくらい。
一瞬、それが部屋に入り込もうとする誰かの手に見えた。
慌ててカーテンを閉めると、雨音は少し遠くなり、彼女の寝息の存在が強くなる。その聞き慣れない音の中で、私は温くなったミルクを飲み干した。
シナモンがちくちくと喉を刺し、底に溜った蜂蜜はひどく甘かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます