雨の日に君は
私が彼女と出会ったのは一月ほど前。天気予報が外れた雨の日だった。
その日、私は傘を持っていなかった。
だから、仕事の帰りに駅前のデパートに寄って傘を買った。税抜き一九八〇〇円の真っ赤な傘を。
「こちらのメーカーは、修理やメンテナンスも受け付けていますから、長くお使い頂けますよ。大切に使ってあげてくださいね」
にっこりと微笑んだ店員はそう言って、レシートと一緒にショップカードをくれた。こういう傘は修理して使う物なのか。いい物とはそういうことなんだろうな、と思う。高くても、自分が気に入った物、しっかりと作られた物を大切に、長く使う。安く手軽に物が手に入る時代、いつの間にかこういうことは忘れてしまいがちだ。
雨の日特有の湿気をたっぷり含んだ電車は、いつもよりのろのろと重たそうに走っているような気がした。ようやく到着した駅から外に出ると、熱のこもった湿り気から解放され、体がほんの少し軽くなる。
買ったばかりの傘を開くと、ぱんっと音がして、鮮やかな赤が広がる。予想外れの、そして突然の雨だったせいか、いつもより多い透明なビニール傘の群の中で、私の赤い傘はほんのりと明かりが灯っているように見えた。
赤い布地の上で雨が弾けて流れ落ちていく様は、咲いた花が一瞬で砕け散るかのようで、とても美しかった。アパートまでの道を辿りながら、ときおり目線を上げて、その様子を楽しんだ。
ふと前方からゴツ、ゴツとくぐもった音が聞こえることに気付く。傘を少し上げると、傘の上で雨の流れが変わり、私の背中に小さな滝ができた。十数メートルほど先からこちらに、女性が歩いてくる。
彼女は傘を差していなかった。
先ほどから強くなってきた雨脚のせいで全身ずぶ濡れ。それなのに、彼女は雨が降っていることも、自分がずぶ濡れであることも気にしていない。いや、それよりも、雨が降っていることにさえ気付いていないように見えた。
長い金髪、雨に濡れても落ちない頑丈で派手なメイク、黒のトップスの、本来ならひらひらと広がっているはずの袖口はぺたりと彼女の腕に貼り付いて、水滴を落としている。デニムのショートパンツから形のよい足が伸び、ブルーのハイヒールがよく似合っていた。このハイヒールから、私が聞いたあのゴツ、ゴツという、重く、どこか引きずるような音が鳴っている。
俗に言う「ギャル」という種類の女の子。私とは、縁のない世界の女の子だ。
もう秋口なのに、あんなにずぶ濡れで寒くないのかしら。他人事ながら心配になる。あまりじろじろと見るのも失礼かと思い、目線を傘で遮った。また、小さな滝ができる。
しかし、彼女とすれ違った瞬間、気付いた。気付いてしまった。
「あの」
思わず声を掛けていた。
彼女が足を止めると、あのヒールの音が消え、私たちの間には雨音だけが残る。ゆっくりと振り返った彼女は、とても綺麗な顔をしていた。ずぶ濡れのその姿は、どこかマネキンを思わせた。
そうだ、やっぱり――。
「よかったら、私の部屋で雨宿りしていかない?」
彼女は、少し迷うように視線をゆるりと彷徨わせた。そして。私の顔を見て、小さく頷いた。
ずぶ濡れの彼女を傘の中に招き入れ、二人で私のアパートへ向かう。ヒールのせいで私よりも高いところにある彼女の表情はよく見えなかった。
だけど、間違いない。
――彼女は、泣いていた。この雨の中で。
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