第4話

 僕はセンパイの原付でスーパーへ向かっている。

「あー! くっそ腹立つー!! なんなんだよあの人!」

「あんな人に憧れて! 俺は!」

「俺だってわっけわかんねえって! バーカバーカ!!」

 僕はセンパイの使っていたフルフェイスのヘルメットの中でひとしきり喚いた。今まで飄々としていて、自分なんかが追いつくなんて一生できないと思っていた人が、あんなみみっちい泣き言を漏らすとは思っていなかった。そんなことを抱え込んでいることに気がつかなかった自分の幼稚さに腹が立った。お互いに、今まで通りにやっていけると相手に甘え続けていた結果だった。


 ——この感じで原付乗ってると、漫画や映画じゃ大体事故って死ぬパターンだな。


 そう思ったが、特に何もなくスーパーに着き、買い物を済ませて帰還した。


「ただいま!」

 僕は乱暴に帰宅を告げると、そのままキッチンに立った。すると、部屋のドアがゆっくりと開き、困惑した表情のセンパイが顔を出した。

「お、おかえり……」

「今日は! 二日酔いを吹っ飛ばせ! トマトたっぷりベジタブルカレーです!!」僕はスーパーの袋を両手に掲げ宣言した。

「わ、やったぜ」センパイの目が輝く。

「センパイお腹いたいんでしょ! 寝てろ!」

「は、はい……」

 しょんぼりと部屋に戻っていく。いつも振り回されてばかりだったから、なんだか新鮮で面白い。まあ、いつまでもこんなにカリカリしてられないので、さっさと調理の準備に移ろう。


 キッチンの収納から小さめの鍋を取り出し、冷凍保存している白米と水適量を火にかける。その間に買って来た食材を冷蔵庫にしまっていく。程なくすると、白米が解凍され、ふつふつと煮立ってくる。火の通り具合を確認すると、鳥だしと食塩で味をつけ、二人分の器に盛る。そこへ種を抜いた梅干しを半分ずつ添え、出来上がり。まずは腹ごしらえのおかゆだ。お盆なんて気の利いたものはないので、お行儀は悪いがそのままスプーンを器にぶち込み、足で扉を開けた。

「センパイお腹減ったっしょ。まずはこれ」

「えっ、カレー!?」センパイがベッドから飛び上がる。

「カレーは夜です」

「夜かあ」

 カレーを期待していたのにおかゆが出てきたせいか、気の抜けた顔のセンパイを見たら、なんか知らないが肩の力が抜けた。

「僕たち昨日の夜から酒しか飲んでないんですから、まずはなんか入れないと」センパイを諭し、テーブルにつかせる。

「というか、メコンくん、女子力高いね……」

「飯作るの好きなんすよ。味薄かったらごま塩あるんで、それで調節してください」実は長い付き合いの中で、キッチン周りには、僕の私物が増えていた。

「ほえー、結婚しよ」

「……、それ本気っすか」

「えっいやっ、それは……、あれ……? ん? できんのか?」センパイは冗談を言ったつもりだったようだが、どうやら冗談にもならないことに気がつくと、顔を赤くして慌てる。

「センパイまだ酒残ってます? ま、どうぞ召し上がってください」

「お、おう」

「「いただきます」」

 そうやって、遅めの昼食を取り始めた。散々にいじめ抜いた胃に優しい滋味が広がる。梅干しをほぐしながら食べると、思ってたよりすぐ平らげてしまいそうだ。

「はぁ……、生き返るねこれは」

「簡単なんで、作り方教えますよ。あんた酒飲みなんすから」

「んー、作ってくれないん?」

 僕は匙を止め、センパイを呆れ顔で眺める。

「センパイ、そういうところっすよ。今の見た目を鑑みて発言してください」

「あ……。反省します」

 なんだか照れ臭いが、しょうがない。センパイが言った通り、もう元には戻れないのだ。どうやったって今までと同じ関係は続けられない。それに、確信めいた予感でしかないが、センパイはこれから女性として生きていかなければならないだろう。何かあるたびにこんなでは僕の寝覚めが悪い。

 できれば、この人が卒業するまでは、一緒に遊んでいたいと願う。

「あと、センパイ、サークルやめないでください。もちろん学校も。最後にもっかい渾身の作品見せてくださいよ。もう2年くらい撮れてないじゃないすか」

「うん……。わかった。なんとかやってみる」

「あっでも、まずは就活っすか?」

「ギャーやめろー! どうすっかなあ……。また髪黒染めしなきゃだし最悪だわ」

 センパイは自慢の金髪を弄びながら毒づく。

「そういやセンパイって、金髪になんかこだわりあるんすか? ずっとですよね」

「かっこいいじゃん。それだけだよ」

「シンプルっすねー」センパイはいつもこうだった。

「そういやさ、なんでさっきから俺呼ぶ時に『さん』抜けてんの?」

「い、いやあ、なんか拍子抜けしちゃって……。あと、なんだかんだ『センパイ』にさん付けって違和感ないすか」

「それは俺も思う。一年の時からややこしいあだ名だなって。でも一応先輩だぜぇ。なんかないのかよ」

「えー、うーん。じゃあ、瀬名さん……?」

「うん。なんか逆に気持ち悪いな」

「クッソー! でも僕だって、もう慣れてますけどメコンってあだな酷くないすか? なんかナマズとかいそうじゃないですか」

「いるぞ。メコンオオナマズ。体重300kgくらいになる」 

 センパイは大きさを表したいのか、両腕を横にグッと広げるが、どう考えても長さは足りていないだろう。軽く笑いながら返す。

「まーじすか。デカすぎでしょ。こわ」

「じゃあなんだ、誠くんって呼べばいいんか? え? んふふ」

「なんか……、すんません……。フフッ」

 どちらからか笑い出す。次第にふたりの笑い声は大きくなり、息ができないくらいになる。ようやく笑い終わると、なんとか立ち上がり空いた食器を片付ける。洗い物をしなければ。

「俺もなんか手伝うよ」

「簡単なものしかないんで大丈夫っす。というかセンパイ、さんは、体平気なんすか?」

「もう好きに呼べって。体の方はまあまあかな。股間が少し痛い」

「あー、すみませんっした」

「かまわんよ」お互い目を合わせると、へへっと笑いあう。



「何コレうっま! カレーうっま!」

「いやはや、怒りに任せて材料買いすぎちゃって、えげつない量になっちゃいましたね。一週間以上持ちそうで……」

「そうだなー。前みたいにおかわりできないから大変だぞこれ」

 センパイが僕にスプーンの先を向け咎めた。お行儀が悪い。

「ある程度は持って帰ります……」

「うちに食べに来ればいいじゃん」

「いや、でも、そういうのもちょっと控えようかなって」

「……俺はまんざらでもないぞ、ガハハ」

「そういうのって自分で言っていんすかね。あー色気がない」

「二日酔いが治ってその夜に35缶飲んでる俺らに色気はないな」

「それもそっすね」

「「ガハハ」」

 こうやって、一緒にご飯を食べていると本当に愉快だ。変わらないことだって、もちろんあるんじゃないかと思える瞬間だった。


 食後、センパイはうまそうにたばこを吸う。その姿を見ながら、僕は食器や調理器具の水気を拭きさり、収納していく。そういや、たばこや酒を覚えたのも、全部センパイに憧れてだったな。

「センパイさん、カレー小分けにして冷蔵庫に入れときましたよ」

「おーありがとうメコンくん」

「結局この感じっすね」

「わかるわー」

 食器を拭いたタオルを所定の場所に戻すと、たばこを咥え窓際のセンパイに並ぶ。

「僕、センパイさんに憧れてたばこ吸い始めたんすよねー」

「えっマジか。ごめんよ。体に悪いのに」気まずそうな顔でこちらを見る。

「いいんすよ。かっこいいと思って吸ってるんすから」

「そうかー? でも君俺と一緒じゃないと吸わないじゃん」

「……バレてました?」

「まあね。先輩だからね」

 僕は普段あまりたばこを吸わず、センパイと一緒にいるか、酒の席でしか吸わないようになっていた。

 僕たちの間を初夏の風が通り抜ける。

「結局、センパイさんが僕の一番の憧れだったんですよ。センパイさんみたいになりたかったんです。たばこ吸って、酒飲んでふざけて、最高の写真撮りたくって。でも、一緒に遊んだり、勉強したりすればするほど、どうしようもなくセンパイさんにはなれなかったんです。当たり前っすけどね」

「うわあ、なんか色々背負わせちゃってんな俺」

「いいんすいいんす、僕が勝手に背追い込んでるだけだったんで。実際、昨日の今日で全部忘れちゃいましたよ。先輩としては敬いますけど、もう大げさに見るのはやめました」

「それがいいよ。俺なんてそんなに持ち上げるような人間じゃないぜ。天才でもなんでもないしな」

 センパイは頭を左右に振りながら否定する。

「お互いどっかしら限界だったんですかねー」

「かもしれねえなあ」

 センパイ自慢の眺望は、木々の隙間から街の灯りが優しく漏れてくるようで、確かにこれは見続けられるな、と思う。

「センパイさんは、どうしてカメラ始めたんすか?」いままで聞けていなかったことを、ついに訪ねてみた。

「どうしてねー。俺さー、朝が好きなんだよね。特に夏の朝。高三の夏にさ、部活引退して、友達ん家で初めてオールで酒飲んだんだよ」センパイは最初っから酒かー、と自分に突っ込みつつ続ける。

「3時すぎたあたりからみんな潰れてたんだけど、妙に目が冴えちゃって。酔っ払ってんだけど眠れない感じ。野郎ばっかりで男くせえから、ベランダに出てみたのよ。そしたらさ、夏の朝って、ぼんやりと青っぽい、まだ太陽が出てない時間が長いんだよね」

「あぁ、何と無く分かります」

「外に出た最初の一瞬がさ、甘酸っぱいような、ひんやりした空気で。そこから、ぼーっと景色を眺めてたの。したら、どんどんいろんな音とか色、においがさ、わかってくるんだよね。丘の稜線を削った道路にさ、車のヘッドライトが通って、誰かが確実な速度でどこかに向かって走ってくし、名前も知らない鳥が裏の森で鳴きだすんだよ。見えないところから、郵便のバイクのエンジン音と、ギアを切り替える音が聞こえてきてさ、ぼんやり赤いテールランプが現れたと思ったらまた角を曲がって見えなくなって。その間にも空気の重さ? 匂いとかがさ、だんだん朝に向かって力を蓄えてるみたいなんだよ」

 センパイがたばこを一口吸う。

「んで、山の向こうからようやく太陽が顔を出すんだって時に、一気に景色に色が戻ってくるんだよ。全部にブルーを乗算したような景色から、バババってキラキラすんの。コレはやばいと思って、とっさにスマホのカメラで撮ったら1ミリも感じたことが残ってなくてマジで笑った。それからかなー。カメラであの時の瞬間を誰かに伝えたいって思ったのは。どんなにRAWから補正して現像しても、フォトショかけても、あの時の自分の目で見たものには勝てないんだけどさー」

 センパイは、随分と小さくなった背を伸ばしながら言い切った。昔を懐かしむように煙を吐き出し、手に持ったビールの缶を一口あおった。

 先輩の目の先を改めて追うと、ある一つのことに気が付いた。

「あの、僕が一年の時に見た、先輩の作品って、ここからの景色ですか?」

「そうだねー。二年に上がる時、何と無く音楽かけてさ、レンズのメンテしてたときだっけな。試しに何か撮ろうかなって思ってたら、目の前の木が芽吹く準備をしててさ、おー春がくるなー、風の匂いも変わってきたなーって思いながら撮ったんだよ」

 あまりになんて事のない撮影秘話だったが、全てが腑に落ちた。

「やっぱ……、センパイさんは天才っすね。僕、その作品見た時、全部わかったんですよ。近所の公園で遊ぶ子供の声とか、まだ冷たい風に混ざる春の匂いとか。ちょっとねむい感じの曇り空だけど、なんか新しいことが始まりそうな感じとか」

「……、そっかー。伝わってくれてたんだー。よくわかったねえ。君には伝わったんだなー……」

「いやあ……、なんだかんだセンパイさん最後の年にようやく気づくなんて、全然ダメダメっすよ……。ずっと見てきた景色なのに」

「おーい、泣いてんの?」

「瀬名さんだってそうじゃないっすか。ビール飲みすぎたっすね」

「そうだなー! 飲みすぎたなー!」

 もう、お互いにぼやけた風景しか見えていない。



「おーい、誠くん、起きろー。今日卒業式だろー」

「あー、頭いてー飲みすぎたー。センパイさーん、もっと優しく……」

「随分と懐かしい呼び方するなあ」

「んん、あぁ、おはようございます、摩季さん。今何時すか?」

「安心しなー、まだ9時だから。あとこれ、ベンジーちゃんに渡して。グレッチのぬいぐるみ。会社の人からもらった」

「グレッチのぬいぐるみ……」

「そいじゃ、私会社行くから。あんま飲みすぎんなよ。帰ったらお見舞いしてやるからな」

「はあい。行ってらっしゃい。気をつけて」

「行ってきまーす」

 ずいぶんと風も暖かくなってきた。今日はコートもいらないだろう。四年前に見た写真によく似たアングルで切り取られた景色を眺める。少しアイレベルが高いのはここが地上3階だからだろうか。僕はいちど背伸びをすると、古いニコンのカメラで景色をファインダーに収めてみた。



オールウェイズ・フォーカス 終

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