第14話 記憶に残るマラソン大会

 やけに体が重く、目蓋も重い。

 死んだらこんな感覚なのかなと思った。


 それでも頑張って目を開けてみると、三途の川ではなく真っ白な天井とカーテンが見えた。


「知らない天井だ……」


 目覚めて最初にこの台詞が出るということは俺は結構元気らしい。良かった。


 周りを見ると、保健室っぽいベッドの周りはカーテンが閉められていて、近くには飲みかけのスポーツドリンクだけが置いてあった。


 なんで飲みかけ……と思ったけど、あれか。自分で寝る前に飲んだんだっけか。

 先生に支えられながら保健室まで来たことも含めて、ちょっとだけ覚えてた。


 周りに大勢の大人がいる中、無我夢中でがぶがぶ飲んでた記憶がある。あれはお下品だった。

 でもまあ、あの時は生死の境い目だったし仕方ないか。


 ……にしても、マラソン大会で保健室かぁ。

 今更ながら凄いことになっちゃったな。


 そこらのオタクよりは1.1倍くらいは運動してる自負があっただけに結構ショック。

 まあ、倒れる時はどんな人間でも倒れるものなんだろうけどさ。


 無理して倒れるなんて一番考えられないクラスのマドンナでも、ちょこっと頭のネジが外れただけで無理して倒れちゃうんだから。

 これはちょっと特殊な例だけど。


 そんな考え事をしながら、保健室であろうこの部屋に先生はいないのかな、とベッドから起き上がろうとすると、隣の方からごそごそ音がした。


「優太郎? 起きてる?」

「…………あ、神籐さん?」


 カーテンを開けて隣のベッドを見ると、もう既に上半身を起こしてこっちを見てる神籐さんがいた。

 良かった。神籐さんのことは無事に学校まで運べたらしい。


 ……あれ、というか、この様子だと神籐さんの方が先に起きてない?

 普通に俺の方が重症じゃん。やだ、恥ずかしい……。


 結果的に言えば、二人とも普通に生きてるんだから、喜ぶべきなんだろうけど。

 ただ……


「……良かった。優太郎、どうなるかと思った」

「いやこっちの台詞なんだけど?」


 よくもまあぬけぬけと言ってくれるなぁ?


 神籐さんがダメそうだった時の周りに誰もいない絶望感は多分大人になっても忘れられない。

 というか恐らく後ろから誰も来ない状況作ったのは神籐さんなんだよな。


 そう考えると「良かった」の部分はこっちの台詞じゃないな。

 「どうなるかと思った」の部分だけ没収させてもらおう。


「まあ、いいんじゃない? マラソン大会なんてキツいだけだし」

「それ保健室に運ばれてから言う台詞じゃないからね?」


 俺も神籐さんも絶対普通に走るよりキツかったからね?


 栖原がマラソン大会に出るのか心配してたけど、来年からは神籐さんのためにも出ないことを検討すべきかもしれない。

 まあ来年までには神籐さんにはこの遊びも飽きていてもらわないと困るけど。


「はーっ……本当に、死にそうだったからな……」

「んふふ」

「何故笑う」


 しかもなめこのように。


 もし生死の危機に陥るクラスメートを見て笑ってるなら、もうそろそろ神籐さんにはドン引きしなきゃいけないな、と思ったけど、


「やっぱり、誰もいないと普通に話してくれるんだと思って」

「…………」


 そこを指摘されると、俺は何も言えなかった。


 だって、仕方ないじゃん。死にかけた後に丁寧さなんて意識できないじゃん。


 ……しかも、そこまで自然な笑顔でそう言われると、上手い返しなんて出てくるはずもない。

 いや、全然、そういうのじゃ、照れてるわけじゃないんだけど。


 ……というか、もしかして。


「……『違う』って」

「? 何が?」


 俺が丁寧に話そうとしてたから『(話し方が)違う』って言ってたのか?


 確か、俺が丁寧に話そうとしだしたのは、罠レターで一人になった俺に神籐さんが近づいてきて、最終的に「違う」と言って帰っていってしまった日から。

 そう考えると、今日も言っていた「違う」の意味もわかる。


 ……まあ、今日あの話し方じゃなくなったのは、誰もいないからというより、二人で死にかけたからっていうのが大きいんだけど。


「はぁぁぁぁあ…………」

「ど、どうしたの急に?」


 話し方なんて、そんなどうでもいいことにこだわってこんな危ないことするかね普通……。


 前から思ってたことだけど、改めて、神籐さんは頭のネジがちょこっとじゃなく十本くらい外れてるらしい。

 俺なんかに固執するところも含めて。


「……話し方はどうでもいいけど、もうこんな危ないことはやめてよ……。こっちが慌てるから」

「わかってる。私も別に、こうなりたくてやったわけじゃないから」


 満面の笑みでそう言われると全く信用できないけど、まあ、今日のことはわざとじゃないと信じよう。

 俺の邪魔はするとしても、今日みたいな体に負担の掛かることもこれからはしない。そう思ってた方が精神衛生上楽だ。


 した時は、した時で考えればいい。


 わりと早く考える時が来そうだから困るけど。


「……ああ、あと」


 体に負担といえば、これも言っておきたい。

 今は関係ないけど、今のうちに。


「LINEは必要な時だけ送ることにしよう。寝不足で危ないから」

「それは知らないけどね」

「えぇ……?」

「優太郎からやってきたことだし」


 なんて、「私は知ーらない」と言いつつ笑う神籐さんは、クラスのマドンナというより、好きなおもちゃで遊ぶ子供のようだった。



 ◇◆◇◆◇



 マラソン大会が終わった後、保健室にはいろんな人が押しかけてきた。


 主な訪問者は神籐さんのお見舞いに来た女子で、大抵俺のことは無視して神籐さんと話をしていた。

 その度に俺がその場に存在しないかのように息を潜めていたことは言うまでもない。


 ただ、そうして潜伏してる途中、時々名前も知らない女子に「やるじゃん」と声を掛けられた。


 その時は「やるじゃん」ってなんやねん、と思っていたけど、後々来た安戸さんによると、俺が神籐さんを運んで学校に着くところを目撃した上級生がいたらしい。

 コースは外れてたから見られていないと思ってたけど、足の速い上級生が学校に戻るところと丁度重なったのかもしれない。


 やってしまったとは思ったけど、女子に「やるじゃん」と言われることに関しては悪い気分でもないから不思議だった。

 人生で「やるじゃん」って言われることなんてそんなにないし。


 まあ、安戸さんにも知られていたのはまた勘違いが加速すると思うと頭を抱えそうだったけど、安戸さん自身はそこにはあまり触れず俺の心配をしてくれていたから、そこは素直にありがたかった。


 ちなみに、お見舞いに来るのが一番遅かった道下と岩須は無事マラソン大会で最下位を獲得してきたらしく、「遅くなってごめんでごわす!」「拙者達の粗相を許してほしいでござる!」と保健室で土下座していた。

 ただ、それについては、俺もマラソン大会で一番盛り上がる最後の一人のゴールの瞬間を応援できなかったからおあいこだと思った。

 あそこだけが楽しみだったのに。


 そうしてマラソン大会が終わり皆帰った頃に、俺も帰ることになった。


 一応、気にかけてくれた先生に家まで送ろうかと提案されたけど、その先生がどこまで知ってるのかわからないから、その提案は断らざるを得なかった。

 まあ、教師なら生徒の情報は知ってそうだけど、家まで送ったところで「この豪邸、まさか……!」とか言われても困るし。疲れるもん。


 そんなこんなで自分の足で校門まで歩いてきたんだけど、校門まで歩いたところで、地味な色の普通車が見えた。

 その近くには栖原もいる。


 この車の選択は、俺に気を遣ってくれたんだろうか。


「今日くらいはいいかと思ったので」

「ああ……正直キツかったから助かる」


 歩けそうと言えば歩けそうだったけど、外はまだ蒸し暑かったし。


 そうして車に乗った後、一緒に後部座席に座った栖原には一応お礼を言っておいた。

 学校に着いたのは俺の少しだけ前らしいけど、校門前で先生が囲んでくれたのは栖原のおかげだろうし。


 前にも後ろにも誰もいないと思っていたあのマラソンコースのどこで俺を見ていたのかはわからないけど、本人曰く「最終的に学校にゴールすれば何も言われませんからね」らしかった。


 そんな感じで、俺を気遣ってかあまり喋らない栖原とまばらに会話をしながら家に向かい、もう少しで家に着こうかというところで、栖原は「ちなみに」と話しかけてきた。


「神籐恋美のことを運ぶ時のことは全く気にしなかったんですか?」

「……気にしなかったと言えば嘘になるけど」


 実際周りには見られたくないなと思ってたし。

 コースを戻って先生を探さなかったのも、誰にも見られずに運びたかったという理由もある。


「だけど、まあ、実際ああなったら、何も考えられなかったな」


 神籐さんを助けなきゃいけない、それ以外考えていたことは多分なかった。

 それが神籐さんが相手だからなのかはわからない。


 むしろ、俺の場合神籐さんだからこそ逆の考えになりそうなもんだけど、まあ、前にも言った通りクラスメートだし助けたくないなんて思うことはなかったんだろう。


「クラスでは美談として語られるでしょうね」

「……今からでも栖原の功績にできないもんか」

「やってみますか?」

「いや冗談冗談……」


 どんな方法でやるのか知らないけど、栖原だと本当にできそうだから怖い。


 でもまあ、近くにいたクラスメートがクラスメートを助けただけなんだから、別にこれくらい良いだろう。


 神籐さんがクラスで話しかけてくるよりは全然カバーしやすい。何だか、感覚が狂ってきてる気がするけど。


「……まあ、これも思い出と言えば、思い出だしな」

「そう思えるなら、良かったんじゃないですか」

「まあな」


 きっと普通にぼっちで走ってぼっちでゴールするよりは、ずっと記憶に残るマラソン大会になっただろう。


 マラソン大会で死にかけたなんて父さんには言えないし、一般的には全く良い思い出とは言えないだろうけど。


 俺にとっては、誰かさんのおかげで特別な高校の思い出になった。

 これは、神籐さんには言えないけど。


「あと、家に着いたら、一応治療しないといけませんね。バレるかもしれませんが」

「そこは隠密行動で頼む」

「わかってますよ」


 そうして、俺を乗せた車は見慣れた派手な豪邸に到着し。

 俺の高校一年目のマラソン大会は、ようやく幕を閉じた。

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