第13話 優太郎がぐるぐるしてる

「いっち、にー、さーん、しー、ごー、ろっく、しち、はち」

「いっち、にー、さーん、しー、ごー、ろっく、なな、はち」


 馬鹿みたいな晴天の中、もう体格は大人並みの高校生達が、グラウンドに集まって皆で準備運動をしている。


 上級生達は経験者の余裕なのか笑顔が見て取れるけど、俺の近くの一年生は大体表情が死んでいる。特にわがままボディを持つ岩須みたいな生徒は準備運動で既に死にかけだ。


 それでも先生達は生徒の苦しむ姿が楽しみなのか、端の方でニヤニヤと笑いを浮かべながら談笑している。

 このイベントが、生徒から圧倒的に不人気な理由が今更ながらわかった気がした。


「殺すなら……早く、殺してほしいでごわす……」

「いや、生きて帰るんだ岩須……」

「ま、まだ準備運動でござるよ……」


 頭のおかしくなりそうな陽射しを浴び、俺の友人は一人実際に頭がおかしくなっている。

 半袖短パンのはずの岩須の首元には、卓球部では全く流れることのなかった汗がびっしり。

 お日様は恐ろしい。


 こんな、春の陽気というより夏の始まりを感じる日に、この学校のマラソン大会は行われてしまうらしかった。




「こういうのを拷問って言うんでごわすなー……」

「マラソン大会が拷問だなんてずっと前からわかってたことでござるよ……」

「まあでもこの暑さはなー」


 校長先生のありがたいお言葉や、マラソン大会における諸注意を受けた後。

 俺達一年生は、勇敢にスタートしていく上級生の姿を見ながらぐだぐだ文句を言っていた。


 校内マラソン大会は三年生からスタートし、少し時間が空いてから二年生、一年生とスタートしていく仕組み。

 だからそれまでは俺達は文句を言いながらだらけることができる。


「他の学校はもっと涼しくなってからやるらしいでござるよ……」

「へー。秋とか?」

「そうでござるな……」

「入る学校を間違えたでごわす……」


 既にノックアウト寸前の岩須と、なんだかんだで消耗してる道下と愚痴を言いながら、何だかはしゃいでいるスタート前の二年生を眺める。

 前の方で笑ってるのは陸上部とかなんだろうな。オタクには眩しすぎるから見ないでおこう。


 そんな二年生も元気よくスタートして、もう少しで一年生の出番なんだけど、周りを見てもほとんどの生徒が既にバテてる。運動部は普通に走ってるだけで独走できそう。

 ただ、比較的その中では元気な安戸さんがこっちに歩いてくるのが見えた。

 後ろには卓球部の江道さんと奈良さんも見える。卓球部大集合。


「安戸さんは元気そうだね」

「うん、私はまだ……二人はもう無理そうだけど」

「こっちも一人は死んで一人は瀕死」


 安戸さんの後ろには汗だくで岩須と道下と同じようになってる二人。

 この集団が運動部だと気づくクラスメートはきっといないだろう。


「ははは……倒れたりしないように、頑張ろうね」

「うん、皆で健康体で帰ってこよう」


 今日の俺達の目標はそれでいいだろう。

 どうせ死ぬ気で走ったって軽く走る陸上部にも追いつけないし。


 そんな風に話していると数分前に走り出していった二年生も誰も見えなくなり、一年生もスタート位置に呼ばれる。

 皆で立ち上がろうとすると、全方向から「あぁあ……」「どっこいしょ……」「ウッ……」と平均年齢の高い声が漏れる。どこかで誰かが死ぬ声が聞こえたけど現時点では脱落者はいなさそうだった。


 そうして移動してる最中には、人と人の隙間から、いつもの二人と一緒にいる神籐さんの姿も見えた。

 ただ、周りと同じように暑がってるだけで、特に何か企んでるかはわからない。

 まあ、こんな日差しの中、何かしようとは思わないだろうけど。


「優太郎殿……一緒に走るでござるよ……?」

「おいどんも……置いてかないでほしいでごわす……」

「ああ、うん……」


 定番の台詞は聞き流しながらスタート位置につく。


 男子は大体8km、女子は大体5km走って終わりだ。


 嫌だなーと思ってはいたけど、スタート直前までいくと上級生ははしゃいでた気持ちがちょっとわかった。

 ワクワクすると言えばする。走る前は。


「ほらもう行くからね~? 位置について~、はい、スタート!」


「ああぁぁぁ……」


 ただ、走り出した直後に周りからめちゃくちゃ情けない声が漏れた。

 動き出しただけで岩須の顔が鬼気迫る。


 スタート直後はさすがに団子状態かと思いきや、気合いの入った運動部と既にやられた運動不足の差が激しすぎて最初からめちゃくちゃ差が開く。

 そして、俺はその二つの集団の間を至って普通のスピードで走り始めた。


 ただ、既にやられた運動不足集団が日差しによっていつもよりやられているせいで、普通のスピードで走るとあっという間に差ができて。


「優太郎殿ーーーー!?」

「いや、裏切る流れかなって……」


 あまりにも定番の流れだったからつい……。

 でも、普通に走ってるだけでスタート直後にここまで離れる二人もどうかと思うんだ。


 一応、手を抜いて後ろに戻ろうかとも思ったけど、岩須が既に走ってたというより歩いてたから、もう逆に追いつけないな、と俺は普通に走ることにした。


 ごめんな岩須、道下。俺はそういうところで目立てないんだ。

 最後のゴールの時は、応援してやるからな……!



「はっはっ……はっはっ……」

「頑張れよー」

「はーい……」


 そんなこんなで二つの集団から離れて寂しく走っていると、マラソン大会で俺が会うのは途中に立っている先生だけになってしまった。


 前に走っていった集団は今更バテないだろうし、後ろにいる集団は今更回復しないだろうから俺の孤立が改善される予定はない。


 いつもの100倍寂しい。


 ……あー、マラソン大会も学校のイベントっちゃイベントだし、誰かと走るべきだったかなー……。でも、さすがに岩須達は遅すぎだしなー……。


 俺もキツいっちゃキツいし、早く終わらせたいからなー……。でも、このままだと少なくともあと三十分は一人で走らなきゃいけないんだよなー……。


 ちょっとペース落としたら誰か来ないかなー……。今なら誰でもいいんだけどなー……。


 ちらっちらっ……。


「はっはっ……」

「ふーっ……ふーっ……」

「んっ……」


 そんなことを考えながら、少しだけペースを落としていると、なんか明らかに無理してる感じの息遣いが後ろから聞こえてくる。


 てっきり後ろは皆で固まってゴールする感じになってると思ってたけど、誰かが根性を見せたらしい。


 ここでわざわざ後ろを向くのも変だし、ちょーっとだけペースを落として走ってると、順調にその息遣いは近づいてくる。

 よしよしいいぞー、誰か知らないけど。


 まあ俺の友達にここで頑張るような奴はいないし、知り合いじゃないだろうけど、ちょっとの間一緒に走るくらいなら――


「意外と、早い……じゃないっ、優太郎っ……」


 …………神籐さん?


「…………えぇ……」

「何その反応っ!?」


 振り返ると、意外にもめちゃくちゃ無理して頑張って走ってるクラスのマドンナの姿がそこに。

 スタートする前から思ってたけど、明らかに走り慣れてなさそう。


「いや……あの二人は?」

「さ、さあ? 後ろにいるんじゃないっ……?」


 後ろを見ても、神籐さん以外は誰もいない。

 神籐さんが一人で走ってたらついてくる男子もいそうなもんだけど……まあ、そういうことなんだろうな。


 ……あんなに暑そうにしてたのによくやるなぁ、本当に。


「にしても、結構、早いんじゃないっ?」

「……何が?」

「走、るの……っ」

「いや、今はそうでも……」


 めちゃくちゃペース落としてる最中だったし。


 ただ、神籐さんに追いつかれてからは地味にちょっとずつペースが上がってるんだけど、神籐さんは必死そうについてくるだけだった。


 別に、ここで話さなくても、どこで話しても同じだろうに、なんでそんな必死に……。


「卓球、以外も……何かっ、やってたのっ……?」

「まあ、それなりに」

「ふぅぅぅぅうん……っ」


 喋ってるだけで神籐さんの無理してる具合が伝わってくる。

 もう扇風機に向かって喋ってるみたいになってるもん。


 ちなみに喋ってる今も着々とペースは上がってる。

 最初の時点で無理してそうだったし、キツいならもう諦めていいと思うんだけどな……。


 俺は、別に勉強ほどじゃないけど、昔からスポーツも好きと言えば好きな人間だったから、よく運動はしてきた。

 うちの卓球部は走ったりしないしわりと体力は落ちてるだろうけど、一応男子だし、同じペースで走ったら神籐さんはキツいはずだ。


「ふーっ……ふーっ……」

「……神籐さん、あんまり運動してなさそうだけど」

「それが……っ!?」

「いや、うん……何でもない」


 でも、それを言葉で言っても無駄だろうし、足で振り切っちゃった方がいいだろう。


 神籐さんとしてはついてきたいんだろうけど、俺は神籐さんとは走れないし、下手に俺に合わせて走って、倒れられたりしても困る。


 まあ、確か女子は途中で違うルートに行くはずだけど……この様子じゃ、絶対そこまで保たないし。


「ちなみに……神籐さん、ちゃんと水分取ってきた?」

「当たり前、でしょ……っ?」

「そっか」

「心配……はっ……してくれてるの……っ?」

「いやまあ……」


 そんなひいひい言いながらついてこられたらまあ……。

 ただでさえ、マラソン大会は危ないって言うし。


 とりあえず、今にも死にそうな神籐さんのためにも、この辺で撒くべきだろう。


「もうそろそろ休んだ方がいいと思うけど」

「優太郎もっ……休む……っ?」

「いや、俺はまだいけるから」

「ならっ、私もいけるから……」


 「いやいけないから」とツッコみたくなる。

 けど、もう喋るのも辛そうだから、ここは大人しく離れることにした。


 手遅れになって「言わんこっちゃない!」みたいな展開になるのは御免だ。


「うん……じゃあ、俺が見えなくなったら休んで」

「へっ……?」


 言いながら、ぐんぐんぐんぐーん!とアニメなら効果音でも付きそうなスピードで神籐さんを突き放していく。

 本気で走ると意外にも結構なスピードが出た。


 久しぶりにこんなに走ったのと、格好つけて離れたのもあって、「俺こんな走れるんだ! すげぇ!」と自分でも思ってたのは内緒。


「待っ……ちょっ……!」


 それでも何故か神籐さんは追いつこうとしてくる。

 いい加減、「そんな必死になる理由ある!?」と聞いてしまいたかったけど、ここは普通に走っておく。


 どうせ追いつけないし、もう諦めるしかない。


「もう無理しなくていいからー!」


 五メートルくらい突き放したところで、一応最後に後ろに叫んで、前を向いて走っていく。

 まったく……とんだサプライズだった。


 音を聞いてみても、さすがにもう追いつけないと判断したのか、後ろからのめちゃくちゃ大きな息は聞こえてこない。

 ドスンドスンと大地を踏みしめていた足音ももう聞こえてこない。


「……よしよし」


 聞こえてこないということは、もう追いつけなくなって休んでいるんだろう。

 作戦通りだ。


 ここまですればもう追いつかれることはないだろうし、あとは勝手に後ろの集団に合流するだろう。


 俺は後ろの集団に追いつくほどスピードを緩める予定はないからあとは関係ない。


 だから、もう別に後ろを確認する必要はなかったんだけど。

 走りながら俺は、どうしても嫌な予感がして、後ろを見てしまった。


「…………」


 後ろには、フラフラフラ~っとまだ諦めずに走っている神籐さんの姿。


 見始めた時はまだ走っていると言えるフォームだったけど、見ている間に、フラフラフラ~っと横への動きが大きくなっていく。


 そしてその自分の揺れに耐えきれなくなった神籐さんはそのまま、その場にへたり込んでしまった。


 少ししても神藤さんは立ち上がらない。へたり込んだまま微動だにしない。


 神藤さんの後ろにはまだ誰も来ていない。周りには先生もいない。


 そこにいるのは、俺だけだった。


「言わんこっちゃないんだけど!」


 だから休んだ方がいいって言ったのになあああああああああ!

 無理しない方がいいとも言ったのになあああああああああ!


 急いで来た道を引き返して近づいていくと、神籐さんが明らかに青白い顔でこっちを見てた。


「それわざと!? わざとじゃない!? どっち!?」

「優太郎……が……ぐるぐるしてる……」

「よしわかった!」


 これ絶対駄目なやつだ!

 こんな場面に遭遇したことないし、こういう時の対処法なんて知らないけど、とりあえず神籐さんの前にしゃがんで背中に乗るように指示する。


 先生に言ったってどうせ運ぶのは変わらないんだから、この場にいる俺が運んだ方が早いに決まってる。


「あぇ……ど、どうして……?」

「そこ考えるところじゃないから!」

「うん……」


 なんかいつもよりずっと幼く見える神籐さんを背中に乗せて、学校にまっすぐ向かう道を走り出す。


 マラソンのルートじゃないから先生はいないだろうけど関係ない。

 報告するより早く連れてく方がいい場合もある。


「……ゴールまで、運んでくれるの……?」

「人生のゴールには運ばないから大丈夫!」

「なに言ってるの?」

「急に正気に戻るのやめて!?」


 俺だって死にそうになりながら走ってるんだからな!?

 マラソン大会中は記録を狙うわけでもないし当然セーブしながら走ってたけど、今は普通に全力だ。


 俺がゆっくり運んで神籐さんが危なくなったら俺のせいだし。

 いや、ある意味自業自得とも言えるかもしれないけど……そういう意味にしても若干俺のせいな部分はある。


「はっはっ……なんでこんなになるまで……走ったかなぁ……」

「こうするのが……いいと思って……」

「いや普通に話せばいいじゃん!」

「それじゃ……違うから……」


 衰弱してるはずなのに、神籐さんはそこについてはやけにはっきり強い意思で喋る。


 「何が違うのか」とこのチャンスに聞いてしまおうかと思ったけど、いつの間にか俺の意識も段々怪しくなってきていたから、そこからは口は息をすることだけに集中して神籐さんを運んだ。


 人を背中に乗せて全力で走った経験は俺にはなかったけど、きっとそれは俺が想像していたよりずっと体力を消耗する行為だったんだろう。


 おかげでそこからの記憶はほとんどない。


 ただ、いつの間にか学校の校門の前に着いていた俺が最後に見たのは、先生に何かを話す栖原と、慌てて俺達に近づく先生達で。


 その先生達に囲まれ、体を支えられたところで、俺は安心して、目を瞑った。

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