化け物の扱い方④
通信機からは、静かに周りを警戒する気配しか感じない。僅かな足音も聞き逃さないためだ。
カツン。
おかげで、アイルーの耳は、その音を拾う事が出来た。自分以外誰もいない建物内に響いた物音。アイルーがいるのは、打ちっぱなしのコンクリートの建物だった。がらりとした何もない部屋。障害物はない。入り口にはドアすらも無かった。バグの自棄とも言える猛攻が目眩ましのためだと気付いた瞬間に場所を変えるべきだったかもしれない。
無機質な空間の窓際で、整えていた狙撃の体制をゆっくりと崩し、部屋の入口に照準を合わせる。出入り口はここだけ。彼の性質上、壁を破壊して現れる可能性もあるが、それなら煙を巻いて逃げるだけ。出来るなら、一対一は避けるべきだ。
けれど、気配の向こうからは不気味な程の沈黙しかない。
「……誰です?そこにいるのは」
残念ながら、敵の気配は読んでいる。
通信機器を口元に当てて囁くと、隊員達の息を飲む声が聞こえた。隊員の中に持ち場を離れる馬鹿がいる訳がないし、第三者の可能性は低い。だからつまり、この足音の正体は。
近づいて来た足音が、入り口に影を落とす。体格のいい、武装した男。
「……第一狙撃点にて、対象と遭遇しました」
『了解』
ブラッドの低い声が聞こえて、アイルーは邪魔になった通信機器を取り外した。
一対一。勝ち目はない。しかし、簡単には殺されてはやらないという覚悟がアイルーにはあった。付け焼刃の覚悟ではない、クレイに出会うよりも前。ブラッドの、下に就いた時から。
「女か……ラッキィイイ」
バグの顔が、下劣に歪む。その不快な表情に、アイルーは眉ひとつ動かさなかった。構える銃口は、確実にバグの急所を打ち抜ける角度で静止している。バグがふらふらと巨体が揺らしても、それに合わせて着いて回る。
「……この距離なら外しませんよ」
それがはったりではない事は本能で察知しているようで、バグは下手に動こうとせず、ゆっくりと銃器を構える。意外にも隙が無く、にアイルーは奥歯を噛みしめた。
膠着状態が続く。先にバグが引き金を引けば、その銃器の重さから体制を崩さないために一瞬無防備になる。それを計算して引き金を引けば、蜂の巣にはされるがバグの脳天には弾丸を数発は撃ち込める。更に体制を崩せれば、アイルーの生存確率は上がる。
ただアイルーから攻撃は仕掛けられない。バグが避けに徹すれば、アイルーに勝ち目はない。つまり、アイルーが異常者に一矢報いるには、この命をかけるしかないのだ。
「良い目だな、女」
バグが、ねっとりと口を開いた。こちらの集中を削ぐつもりなのだろうが、それには乗らない。異常者相手に、犠牲が出なかった事は無かった。むしろ、今回まだ一人も犠牲者が出てないことの方が奇跡だ。犠牲も厭わなければ、異常には勝てない。それは、異常犯罪防衛隊の任務の中で培ってきた経験だ。
バグには、自分が絶対的な強者であるという驕りがある。それが異常者の弱点である事を、アイルーは理解していた。これは単なる一対一の勝負ではない。
「……あなたが、私の死体を拝むことはありません」
静寂に、波紋を落とすように凛と呟いた。アイルーにはこの後を託せる仲間がいる。アイルーもまた、死んでいった仲間に託されてきたのだ。
カラン、と物音が聞こえて、それが合図になった。
バグの指に力が入り、引き金が沈むのが見えた。
アイルーの細い指も、引き金を三回打ち切る。
その間に、立ちふさがる、影。
しかし、思っていた死は、訪れなかった。
代わりに目の前に真っ赤な雨が降り注ぐ。
バグだけではない、アイルーの弾丸をもその身に受けて、体中を穴だらけにした化け物が、呆気なくそこに立っていた。
「……ノ…イズ……」
呆然としながら、その名前を呼ぶ。
彼の持ち場は別だった筈なのに。
「……あ…ぶねー」
全身蜂の巣にしながらも、当然にも生きて、平然と口を開く。夢みたいな現実だった。本当なら最低でも一つは死体が転がっている状況を超え、まだ誰も死んでいないのだから。
「はぁ?頭ぶち抜いても倒れない?面白いじゃねぇか…好きなだけぶち込んでやるよぉ!」
異常者の頭は本当に可笑しいと思う。普通なら、あれだけの銃弾の嵐を受けて立っているだけでも戦慄するのに。現に、アイルーの頭は追い付いていない。
スカルが愉快を隠す事もなく笑うが、やはりというべきか、その余裕はいつまでも続かない。
「あ……?」
再び穴だらけにされたノイズが原型を留めなくなった所で、バグが漸くその異常性に気づく。奇跡的に銃弾の雨をすり抜けて生存し続ける事は出来るのかもしれないが、ノイズのそれは、奇跡の範疇を飛びぬける。そして、弾切れという名の絶望を連れてくる。
アイルーは、この化け物が味方の位置にいる事を心の底から良かったと思った。後ろにいても、その体質を理解していても、この戦場では、彼の異常性にまだ頭が着いて行かない。正面から見た形相がどんな風に見えているのかなんて、もう、想像もしたくない。
「なんだよ、てめぇ、」
その背中が、酷く楽しそうに笑う。
「化 け 物 さ」
正体を自ら明かす。
声帯がやられてしまったのだろうか。その声色は知っている声よりも低く、鈍かった。どうやって出ているのか、掠れるどころか重複して聞こえた。まさしく、化け物のような、声。
銃声が鳴り止み、静けさを取り戻した空間に、カランカランと、ノイズの体から銃弾が血を纏って転がり落ちる。鉄と、硝煙の匂いが入り混じって、鼻孔の奥を強烈に刺激する。アイルーは、吐き気が込みあげるのを、息を飲んで耐えていた。
「なぁ、バグ」
化け物に気安く話しかけられ、バグの体が震えた。
「いいの?背後」
バグの目は、細胞を蠢かせて再生するノイズの顔や体に釘づけだった。アイルーも、ノイズのその言葉で、漸くバグの背後に忍び寄る存在に気づく。
「……疎か」
途端に轟いた、いくつもの銃声。
バグは何が起こったのかも分からない顔のまま、その巨体を沈めのだ。
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