アンデッド④
さて問題は、ノイズの処遇をどうするか。
このままブラッドの家に匿うのも良いけれど、一時しのぎにはなるだろうが、それではなんの解決にもならない。
ブラッドより上の人間が、どう判断するかにもよる。彼一人の為に、多くの人間を恐怖に晒すのかと言われれば、ブラッドは口を噤まざるを得ない。
「おかえり、兄貴」
「おかえりー」
「……ただいま」
頭を悩ませながら帰宅したブラッドを呑気に出迎えた渦中の人物は、弟のスカーと呑気にボードゲームに興じていた。一気に脱力する。これが、かのマッドサイエンティストの精神を崩壊させた化け物の姿かと。
「ばかばかしい」
この姿を目にしたブラッドだからこそ言える言葉であろうが、それならこの風景をビデオに収めて上に提出してやろうかという気にすらなってしまう。
「あいつなんか言ってた?」
「ああ。随分お前に怯えていたようだが」
軽く聞いてきたノイズに応えてやると、彼の眉が寄る。
「は?あんだけ好き勝手しといて?」
「…その辺は俺から謝っておく」
ブラッドが苦く笑うと、ノイズは冗談冗談と軽く受け流す。
「……まぁ、仕方がないよな。あいつもロゼと一緒。頭が可笑しくなっちまう」
よくも、あれだけの仕打ちを受けてそんな事を言っていられるものだ。もし、ブラッドも自分の体が不老不死の化け物になってしまったら、それで彼と同じ思考にたどり着くのだろうか。それなら、それは普通と同義なのではないだろうか。
異常というものが、誰しもが発症し得る病気であるのと同じように、ノイズもその身体になった原因は不鮮明である。だから、限りなく低い確率であっても、有り得ない事象ではない筈だ。
けれど、それを証明するための材料を、ブラッドは持ち合わせない。どんな世界の因果と理があろうと、世間は彼を化け物と呼ぶ。
「お前は今後どうしたい」
このまま普通に暮らす事も、どこかの影に隠れながら静かに息をすることも、その身を売って居場所を得る事すら、ノイズは失敗している。死ぬまで、なんて限りはない。彼が、ではなく、この世界が滅びるまでどうやって生きていくのだろうか。上手く過ごせたとして、その後は。
「……さあな。わからない」
常人には、分からない苦しみ。
「できるなら、今すぐにでも死にたいけど」
愛する人と袂を分かれ、世間の目を掻い潜り、もはや自分で自分が何者かもわからないままなのに、ノイズの唯一の望みは、叶わない。
「せめて、普通に暮らせるように、防衛隊で保護できればいいんだがな」
「……」
「…あの頭の固い連中が、ノイズを自由にするとは思えないけど」
スカーがぼそりと呟いた。
「……俺もそう思う。一時的になら匿えるが」
「それは、遠慮するよ」
ノイズは即答した。
「おまえらが死んだらどうすんの」
かつて彼を匿っていた警官は死んだ。異常者に殺された。そして、ブラッドやスカーも、その異常者を相手にする防衛隊員。二人も、いつ死ぬか分からない。その時ノイズは、また運よく彼等のような理解ある人間に出会えるだろうか。そもそも、その別れに耐えられるかも分からない。
「……確固とした居場所が、俺は欲しい。それがだめなら、大人しく逃亡生活でも送るさ」
防衛隊本部は、思った通りノイズの監禁と、ある程度の精密検査という名の拷問案を出した。ウィルスが報告書を上げても、その信憑性を確かめるために、彼の体はまた弄繰り回される。彼を殺す事は不可能と分かっているのに、上層部は、実際にその目で見ないと安心できないのだろう。
「…彼は我々に害を与えることはないです。一晩を共にした、私の主観ではありますが」
一晩一緒にいてなにも起きなかったという事実は、彼の処遇を左右する要素になりえる。ブラッドの要望は、良くて要観察。ノイズに危険性がない事を納得してもらえれば、難しい事ではない。
「だが、彼はそこに居るだけで我々の安寧を脅かす」
分かっていた答えに、ブラッドは苦い顔を浮かべた。
得体が知れず、信用の置けない化け物を、懐に入れる人間など、普通はいない。書類の上での彼の人間性は、その異常性のせいで、あってないようなもの。
「だが、お前がそこまで言うなら、彼に協力してもらうという形で、我が防衛隊の管轄に置くというのはどうだろう」
頭が固い大臣を、ここからどう説得するか。ブラッドが思考を巡らせる前に、そんな寛大な台詞が届いたのは、驚くべきことだった。
「ほんとうですか」
協力してもらうという事は、彼を防衛隊に引き入れ、仕事を与えるという事。彼の人権を尊重するという意味にも取れる。ウィルス程ではないが、異常者に対して防衛隊は、異常なほどの警戒、対策を強いられてきた。異常に普通が通用しないから。だから、こんなあっさりと良采配が得られるとは思っていなかった。
上官は、まるでこれ以上の良い案はないとでも言うように満面の笑みを浮かべる。
「彼に、異常者の治療に当たらせよう」
異常は、病気だ。しかし、その治療には罪のない人間が何人も犠牲になっている。それは、防衛隊員であれば誰もが知っている事実だ。つまり。
「彼なら死なない。おあつらえ向きじゃないか」
そう来たか。
とブラッドは奥歯を噛みしめる。確かにそれは、防衛隊にとっての最善の策であると不覚にも納得してしまいそうになる。けれどそれは、彼の腹を捌くのが自分達ではなく異常者に変わるだけだ。
「…それを言うなら彼だって『罪のない人間』です」
「人間?奴は化け物だろう」
ブラッドは、それを否定することはできない。化け物である事を否定できない限り、ノイズに人権などないに等しい。ただ、鈍いだけで彼にだって苦痛はある。何も感じていない訳ではない。だからこそ、彼は願うのだ。
『死にたい』と。
その為に、苦痛を強いられるなど、余りにも憐れすぎる。
「何を心配する必要がある?」
ただ、初めて会ったノイズの、あの生気のない目が頭から離れなかった。
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