アンデッド③
次の日。異常犯罪防衛隊の管轄にある、異常者研究施設にブラッドはいた。
「…久しぶりだな。ブラッド・エレイン隊長」
どこかくたびれた様子の施設責任者、ウィルス・シーカは、ブラッドを見るなり小馬鹿にするような笑みをくれる。
「ああ、君も一段と人相が凶悪になったんじゃないのか」
「異常者が蔓延るこのご時世じゃ、おちおち寝てもいられないからね」
突然の来訪に、ウィルスは久しぶりだと言う割には驚いていなかった。昨日の晩、過去最悪と言われた異常者がこの研究所に生きたまま連れてこられたから。
ここ最近で一番の仕事をした。隊長であるブラッドが様子を見に来ても可笑しくない。
「『奴』は?」
案の状、ブラッドが口にした問いに、ウィルスは肩を竦める。
「ああ、瀕死の状態だったくせに、今朝にはもうピンピンしていたよ。自分の立場を分かってないのか一丁前に噛みついてさえ来る」
その様子は、およそいつものウィルスらしくなかった。
いつもの彼というのは、異常者に対して異常な興味と執着を見せ、彼等をいかに自分の手の上で良いように扱っているのか、今後どう扱うかを悉く自慢し、聞く相手を不快にさせる。それが今はこの通り、明らかに憔悴した様子である。
「随分浮かない顔をしているな。お前らしくない。ここ一番の異常者を捉えてくれてやったっていうのに」
彼ならば、異常者が異常であればあるほど、それ以上の喜びはないと態度に出すだろう。けれど返って来たのは、ウィルスにしては珍しい舌打ちだった。
「……要件は何だ。わざわざ捉えた異常者の様子を聞きにくるような男じゃあないだろう君は」
「何を言っている。『奴』は苦労して捉えたんだ。様子が気になっても仕方ない」
バチリ、と視線が合う。完全にこちらの出方を伺っているのが見て取れる。この期に及んでしらばっくれるつもりだろうか、そうはいかない。
「……というのも建前だ。一応ここは俺の管轄だからな。報告を待っていたんだよ。…先日までここにいた異常者について」
ウィルスにとって、クレイなど目ではないのだ。ここ最近まで、とんでもない化け物を匿っていたのだから。ウィルスはギリッ…と、羽虫を噛みつぶしたように歯を擦り合わせた。
「異常者?何を言っている。あれは化け物だよ。私が個人的にここに匿っていただけだ。…化け物は管轄外の筈だろう?」
「そうだな、確かに彼は異常者の定義からは外れている」
ブラッドはしかし、非難するように目を細めた。ウィルスは馬鹿な男ではない筈だ。彼も十二分に分かっていることだろう。
「彼?まるで健常者と同じような扱いをするんだな」
「ああ、彼が異常な存在であることは変わりないな」
だから、ブラッドはウィルスが白状するのをひたすらに待った。
それが分からない男でもない。
「……はあ、悪かったよ。報告しなかったことは」
ウィルスは、漸く自分の非を認めた。
「…最初から彼の存在を知っていれば、もっとスマートにクレイを捕まえられただろうな」
嫌味たらしいとは思ったが、言わずにはおれない。もっと早くに、彼の存在を知っていれば、犠牲にならずに済んだ命があったのだ。大切な、ブラッドの部下の命が。
「…ご冥福はお祈りするよ」
ウィルスは、素直に十字を切った。全く彼の所為である訳ではないのは、ブラッドも理解している。けれど、彼の身勝手な行動が無ければと、そう思ってしまうのだ。けれど、ウィルスがそれを素直に認めるとは、あまり考えていなかった。まだ人間としての部分があったとは。それも、もしかしたら『彼』のお陰なのかもしれない。
「…そんな普通の態度ができたんだな、お前も」
「人を異常者みたいに言わないでくれ」
「少なくとも隊の連中はそう思っている」
先も言った通り、ウィルスの異常者に向ける目は、異常だった。彼等を人間とはおろか、生物として認識しているかも怪しい。治療というのは名ばかりの、自分の知的好奇心を満たすための実験。それは、人道を明らかに外れていた。
けれど異常者自体に嫌悪を示す者が多いために、それを憐れんでも、止めようとする人間は、防衛隊にはただの一人もいなかった。
「彼…ノイズについて、知っている事を全て教えろ」
本日の目的であった要件。
防衛隊の目に付かないところで行われた『調査』が、どれだけの効力を持つかは分からないが、ノイズが危険な存在であるかどうか。今後の彼の身の振りの為に、知っておかなければならない。
けれどそのあらましは、ウィルスの性癖を考えれば幾分か把握する事が出来る。
「ああ、あいつは、ノイズは紛れもない化け物さ」
ウィルスのその表情は、今まで見た中で一番人間味のある表情だった。
彼が正真正銘の化け物であることは、それだけで『危険』と見なされる事項である。これを覆せなければ、ノイズは再び、防衛隊内で監禁され治療と言う名の拷問を受ける羽目になる。ただその役割を担うウィルスが、彼の相手を二度としたくないと言うのなら、この先どうなるのか予想がつかない。
それでもウィルスがノイズにした事は、おおよそ人間の所業ではなかった。
最初のうちは、まだ不老不死なんて不確定要素が大きすぎて、ウィルス自身、ノイズの言うことを余り信じていなかった。それもそうだ。自分が異常者であるか調べてくれなどという奴は、異常者ではなくただの頭の可笑しい奴に決まっていたからだ。ほんとうに異常者なのであれば、ウィルスは彼に会った瞬間に殺されていなければならない。
半信半疑で、まずは小さな傷から。かすり傷など、ほんのわずかな時間で治るため、最初はただ強い皮膚なのだと思った。深く切りこみを入れると、当然のように血液が零れ落ちた。けれど次の瞬間に、血は止まった。それは『通常の異常者』に見られる、驚異的な生命力による治癒に似ていた。
彼等異常者は、血管を一つ傷つけた程度では死なない。体中に張り巡らされている、その全て切り裂き、血液を全て絞り出すか、脳みそか心臓を握り潰すのが一番確実であると言われている。ただ、その急所を守る発達した五感や、筋肉。それらが、簡単に彼等の命を奪うのを許さない。例として挙げるにはやり不適切であるような気はするが、クレイがあれだけの攻撃を受けて尚、現在生きているのは、その恩恵の賜物だ。
ノイズの体が異常者のそれであると知って、ウィルスは彼が何処まで耐えられるかの実験を繰り返した。驚くべきは、その自己治癒力。今までみたどんな異常者よりも、その回復度合いは常軌を逸していた。死ぬような怪我も治るのだ。ウィルスの、腹を掻っ捌く手に躊躇いがなくなる。血を抜き、脳みそをバラし、心臓をえぐり取った。それでも彼は死ななかった。肉塊としか呼べない姿で生命活動を続けた。
ウィルスは半ば自棄になって毒を盛り、解剖し、切り離した手足を別々の容器に閉じ込めては、残りの臓器を煮て焼いた。核がどこかにあるのか、切り離した各部位は一定の時間が経つと体に戻るのを諦め、細胞は死ぬ。そして核のある体から新しい臓器や手足が生える。つまり、どう足掻いてもノイズは原型を取り戻した。特に炎に関して、ノイズは燃え焼けすらしなかった。
意地になっていた知的好奇心は、やがて恐怖にすり替わる。彼等は人間を脅かす悪で、最終的に殺してしまっても良い、使い捨ての、実験道具。
故に、ウィルスは、異常者がどうすれば死ぬのかを良く知っていた。
知っていた筈だった。
苦痛に歪んでいたノイズの顔が、次第に痛みに慣れたようになんの感情も浮かべなくなる。今まで取り扱ってきた異常者は、ウィルスの顔を見ると次第に恐怖に表情を引きつらせるようになるはずなのに。
先日、ぐちゃぐちゃの肉塊にした男が、自分と目が合えば普通に「おはよう」と語りかけてくる。その声に、いつからか吐き気を覚えるようになった。
健常者からウィルス送られる『異常者紛い』の称号は、彼にとって賞賛にも近かった。誰もが恐れる異常者に、恐れられる自分に酔っていた自覚はあった。
けれど。
おかしい。
有り得ない。
こいつの存在は、ありえない。
自分は他の人間とは違うと思っていた。キチガイだと、その言葉を浴びて、ウィルスは愉悦に浸っていたかった。けれど、ウィルスは確かに、まだ人間の枠を超えていなかったのだろう。
鈍器や銃弾、刃物、爆発まで、ありとあらゆる攻撃を、文句もなしに受け入れる化け物。
痛みがない筈は無い。顔色は変わらずとも、呻く声色には苦悶があった。普通なら、耐えられるものではない。目を背けたくなる。自分で手を下しておいてなんだが、見ている方でさえ。
『通常の異常者』はウィルスの行う拷問には耐えられない。
ノイズは、まるで他人事のように、静かに己の肉塊になっていく姿を見つめていた。
自分の体が死んでいくのを、見つめていた。
それは、化け物でなければ出来ようもない。
ウィルスはどうしたって、人間の枠を超える事は出来ないことを思い知った。
ノイズからすれば、どうせ死なないのだから、慣れて行くしかなかっただけだったのだが。
「ブラッド。あの化け物をどうするつもりなのかは知らないが、不死身の体を持っている時点で、奴はまともな神経をしてないんだよ。あれの、化け物たる所以は、どんな痛みにも飄々としていることだ」
つまりノイズを力で屈服させるのは無理だ。肉体的にも精神的にも、彼が絶対的な強者であることは覆せない。異常者を暴力という力でねじ伏せてきたウィルスが、恐れを抱いた。自分の精神が砕かれる方が早かった。それが、ノイズが如何に生物的に危険であるかを物語っている。
「あまり、心を許すなよ」
化け物でさえなければ、ノイズは好青年である。
が、その唯一特異な『化け物』という一点は、決して見逃してはならない事柄だった。
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