アブノーマル③

「アヒャヒャヒャヒャヒャ!死ねぇ!」


クレイの声は、狂気が滲む声だった。飢えた獣のように笑いながら、背後のブラッドなど邪魔の内にも入らないとでもいうように、ただ目の前の獲物に食らいつく。初めに狙ったのは、彼の左腕。大量の血飛沫を撒き散らしながら、彼等から少し離れた位置に斬り飛ばされる。


 悲鳴すら上げない青年に、予想外からかクレイは一瞬呆然とした。


ブラッドも、自分が何をしなければならないのかを忘れていた。青年を助けるという目的を見失っていたのだ。


「………あ…?」


青年の表情には、恐怖の色もない。落ちた腕に見向きもしない。


「は、あ?なんだよ、お前…」


無反応程面白くないものはないとでもいうように、クレイが呟く。ブラッドからすれば、問題はそこではなかった。だってそうだろう。どこの世界に、腕を切断されて無反応でいられる人間がいるというのだ。


しかも、それだけではない。ボタボタと、蛇口から出る水のように落ちる血液を呆然と見ていたブラッドは、その次に起きた現象に目を見張る。


「いま…?」


何が起きた?しかしそれを確認する術はない。

クレイがもう一度ナイフを振り上げ奇声を発する。また血飛沫が舞った。首を斬りつけられた青年が倒れる。


『…っ』


悲惨な光景に、無線から息を飲む声が聞こえ、ブラッドは我に返る。

今、目の前で人が殺された。人が死んで良い事などない。でも、ブラッドは青年に対してありえない感情を抱いた。すぐそばにいる殺人鬼ではなく、彼に。『恐怖』を。ブラッドは首を振って、銃を構えた。これ以上失態を部下に見せる訳にはいかない。だが背中を向けている筈なのに、クレイは驚異的な反射で銃撃を避ける。


「獣のくせに…!」


理性のないクレイのことをそう揶揄する。


「邪魔くせぇ、こいつをバラバラにするまで良い子にしていろよ…。お前も後で綺麗にバラしてやるからさぁ」


クレイが青年の体を盾にするように持ち上げた。もう死んでいるのだから関係ない。それに、時間稼ぎには丁度良い。そう思って気にせず向けた銃口がなぜか震えた。クレイが満足そうに笑う。そして、今度は動かなくなった青年の腹を捌く。ゴボゴボと鮮血が流れる。また、得体の知れない恐怖が、ブラッドを襲った。グロテスクな光景に気分が悪くなるなんてそんな繊細な神経などしていない筈なのに。


「あ…ヴ…」

「!?」


呻き声のようなものが聞こえて、その場に緊張が走る。クレイは片手で軽々と持っていた青年の体を取り落す。今の声は、確かに、彼から聞こえた。戦慄した。まだ、生きているのかと。得体の知れない物の正体が、ブラッドの中で形を取りつつあった。斬られた首の傷は、決して浅くない。クレイの異常な怪力で、半分は斬られた状態。即死だ。見間違いではない。現に、彼を濡らす赤い液体は、首から止めどなく流れている。腕を切断され、腹も捌かれ、意識が一瞬でも戻るなんて、奇跡が起きてもありえない。

そのありえない事が、起きている。それが、ブラッドが感じていた恐怖だ。


「しつけぇー」


 クレイがぼやいた。異常者に、異常は理解できないのか。クレイに恐怖の色は全く見られない。


ブラッドの目の前で解体ショーは続く。ついでのように足を切断したあと、完全に首が切り離された。疑いようもなく、それで生きていられるはずがない。その真っ赤な光景をブラッドはただ見ているしか出来なかった。


目を逸らしたくても逸らせなかった。その後何度も何度も、肉が切り裂かれる音が耳を侵した。目の前で繰り広げられる残虐な殺人現場。数々の修羅場を潜り抜けてきたつもりではあったが、どうしようもない嫌悪感にどうにかなってしまいそうだった。


悦に入っているクレイを今なら捕らえられる筈なのに。


血だまりに沈む彼の眼球に、ギョロリと射抜かれて、呆然とする。いや、まさか、それでも、生きている筈がない。


クレイは楽しそうにケタケタ笑いながら、止めを刺すために彼の胸にナイフを刺した。鈍い音。クレイの足下は、えげつない量の血液で作られた水たまり。


『三班です!四時到着…照準良好です』

『ブラッドさん….』


無線から、切羽詰まった隊員の声が聞こえて、ブラッドはハッとした。そう、今自分達は、奴を捕らえるためにここにいる。そう意識した瞬間、ブラッドは銃を持ち直した。クレイがブラッドに漸く視点を合わせる。


「あー、そういやいたなぁ、お前。…お前もバラすかぁ」


一人好きなだけ切り刻んで満足しているのだろうか。返り血を浴びて全身赤く染まったクレイは、すぐには飛びかかってはこない。ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。距離はまだ少し開いている。


ブラッドは銃を撃った。この距離なのに、クレイは悉く銃弾を避けた。時間を稼ぐ為に距離を取る。中途半端な陣形では突破されてしまうことは過去の経験で分かっていた。だから、ブラッドは陣形が完成するのを待つしかなかった。しかし気は急いてしまう。クレイはそれを察知したのか、ピクリと動きを止めた。奴は勘が良いのだった。


「…囲まれてる?」


辺りの気配を伺い始めたクレイに、ブラッドは思考を巡らせる。逃げに徹されると勝機はほぼないと言っていい。陣形の完成まであと一区画。クレイは空いた穴を見逃さないだろう。それで危険に晒されるのはまだ到着の報告がない二班だ。


クレイは今、何処に逃げるか、乱れた気配を探っている。せめてなら、二班の反対側に逃げてくれればまだなんとかなるかもしれない。ブラッドは覚悟を決めた。


ピリリと空気が震える。

そして、クレイはブラッドが身構えた事に気づいて、ニヤリと笑った。

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