アブノーマル②
標的となる一般市民がいなくても、クレイはむしろまるで楽しむかのように堂々と無人の道路を歩いていた。一人先行してクレイの位置を確かめたブラッドは、大きく息を吐いて各隊にその位置情報を伝える。
悠々と歩くクレイだったが、隙はなかった。余裕すら感じられた。遠目から見てもその異質さが感じられて手に汗を握る。少しでも失敗すれば、クレイはその隙をついて来ることをブラッドは知っていた。
今日こそは。
そうやって意気込むブラッド達を余所に、イレギュラーは起きる。
『こちら一班。進行方向に男性一名を確認』
電波音とともに無線から聞こえて来た言葉に眉根を寄せた。
『クレイじゃなく?』
当然隊員はクレイの背格好や顔を周知しているため、それは愚問である。しかし街中に警報は出しており、避難勧告も行っている。クレイ以外の存在など有り得ない。
『随分小汚い格好をしていますね。足取りも覚束ないし…』
隊員はブラッドの愚問に真摯に答えてくれる。
『怪しい事には変わりありません。別の異常者でしょうか』
だとしたら厄介だ。
「その顔に見覚えは?」
『…いえ、ありません』
防衛隊には、現在確認されている異常者のリストがある。隊員はその顔を全て覚える事を義務付けられており、見覚えがないと言うことは少なくとも、彼に前科はない。だからといって警戒網が敷かれている中、のこのこ出てくるような人間を、果たして一般人として扱っていいものかどうか。
『一応保護対象…ですかね』
「…ああ、対象を確認する。どっちに向かっている?」
『多分そちらの方に…』
部下の声に、クレイ以外の人間の影が無いか確認しようとすると、視界の端でクレイが動いた。ゾッとして無線機に怒鳴りつける。
「東エリアより対象が移動!十二時の方向だ、直ちに陣形急げ!一班は後退だ」
クレイの進行方向には、人影があった。おそらく一班が報告して来た男性だ。クレイが嗤うのが見える。標的にされて、助かった者はいない。
「公務執行妨害だぞ…」
陣形はまだ組まれていない。計算が狂った。今回は無理だ…といってもクレイを野放しにしたままでは防衛隊の名折れだ。市民を捨て置いたとあらば、尚更。
ブラッドは走り出した。クレイの位置はまだブラッドの遥か後方。足にはそれなりの自信があった。一本道の細い裏道を駆け抜け、目測で保護対象を確認した位置で曲がる。
彼が、目の前を通りすぎた。
随分と小汚いと聞いていたが、見た目は確かに浮浪者と言われても仕方ないくらいにはボロボロ。髪の毛はボサボサ。その横顔には生気が感じられなかった。まるで、自分から殺されに来たようだ。クレイが目の前に迫っていることに、気づかない訳がないだろうに、彼の表情はなんの感情も浮かべていなかった。
こんな人間を、果たして助ける義理があるのだろうか。
そんな考えが頭を過ぎったにも関わらず、ブラッドは銃を構えながら叫んでいた。
「君、何をしている、逃げろ!殺されたいのか…!」
青年に追いつくなり、ブラッドはその肩を掴んで後ろに引き倒した。銃を構えて発砲する。作戦はもう台無しだ。しかし、クレイの前に姿を晒した以上、もう逃げられない。単体では奴に叶わない。
走ってくるクレイに向かってまた発砲した。難なく躱され舌打ちをする。
『…隊長がクレイと遭遇。作戦は続行する』
一班の班長が、ブラッドの代わりに無線を飛ばす。打ち合わせ通りに。予定外は想定内。退避、という選択肢は最初からなかった。
『四班六時到着。照準は良好です』
早速無線で、別の班から報告が入る。ここからは時間との戦いだ。囮であるブラッドが時間を稼ぐ。もともとクレイの位置を動かさないための囮。陣が完成するまでは待機だ。ブラッドは無言を返す。
クレイが突っ込んでくる。まずはこの場をどう切り抜けるかだ。
「止まれ」
発砲しながら叫ぶ。銃弾は当たるが、彼の動きを止めることはできない。
『六班到着しました!十時の方向。照準良好です…!』
思ったよりも、隊員の動きが良い。ブラッドは銃撃を止め、接近戦の為に身構えた。青年の逃げる時間もそこそこ稼げるだろう。クレイは残虐な笑みを浮かべた。怖気が走った。純粋な、命を脅かされる恐怖。
それを、嘲笑うかのように。
「な…」
クレイはブラッドの目前で跳躍した。綺麗に頭の上を舞う。クレイに仕掛けるために踏み込んだ足がたたらを踏み、情けなく前につんのめる。体制を崩しながらも、それでもブラッドは銃を抜いた。目の前で青年を殺される訳にはいかない。
クレイがナイフを振りかざす。
『…五班八時到着。照準良好…』
次々と陣形が完成していく中、ブラッドは目を見張る。青年は、ブラッドが引き倒した場所から、体勢から、動いていなかったのだ。
「くそ、何をしている!」
青年は、ぼんやりとクレイを見ていた。恐怖で動けないと思ったが違う。青年は、さっき見た表情から少しも変わっていなかったのだから。
クレイの背中越しに、一瞬彼の瞳と目が合った。何故逃げないのか、という怒りは、ブラッドの中から消えた。驚く程澄んだ新緑の目がクレイを捉えていた。目前に迫るナイフを避けようともしない。
もしかしたら、彼は、本当に殺されるのを望んでいるのかもしれない。と思った。
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