エピローグ

 鳥のさえずる声で目を覚ました魁は、布団から体を起こす。

 光が少し目に眩しい。

 あれから丸一日、寝ていたようだ。

 部屋の様子から、魁の容態が落ち着くまで付きっきりで看病した跡が窺える。

 まだ意識がはっきりせず、体もだるい。

 だがその後の事も気になるので、布団から起き出し階下へ降りる。

 桃子と楓はいない。信じられないくらいに静かだ。

 気持ちがすごく落ち着いている。空気が澄んでいるというか清められているようだ。

 あれは夢だったのではないか、そうも思うが現実であった事は体に残った傷が物語っていた。

 そして満弦は……。


 玄関に降りドアを開けると、そこにはいつもの面々が魁を待っていた。

 サクラに、真一、優美と蟇目。

「お、やっと起きてきたか」

 蟇目が言うや否や、サクラが目の前に飛んで来て、大きな胸を揺らす。

「もうっ、心配したんだから!」

 あ、いや……と顔を赤くする魁を真一が促す。

「さあさあ、我等が英雄のご帰還です。みんなでご飯食べに行きましょうよ」

「まだ流動食しか駄目なんじゃないの?」

「お粥のあるとこにしましょうか」

 とわいわいと話す皆に戸惑っていると、サクラが横にぴったりと付く。

「早く行こ!」

 え、いや……と逡巡していたが、サクラは半ば強引に魁を引いて歩く。

「私は、そんなんじゃありません!」


 先に歩き出したサクラと、皆の動きが止まる。

「私は、何も出来なかった。世界を救ったのは、黒川くんです。彼こそが真の英雄です。私は……、東雲さんを守る事は出来なかった。私に、一緒にいる資格はありません! 私は……」

 サクラは肩を震わせながら聞いていたが、突然振り返ると魁の顔面に手の平をぶつける。

「あーっ、うだうだうるさい! まず、あんたは『私』禁止! それから『東雲さん』も禁止! いいわね?」

 サクラは目を丸くして頷く魁に背を向けて歩き出す。

 普通ビンタとは横っ面を張るものではないのか? と鼻を押さえながら歩き出すと、蟇目が魁を指差して言う。

「俺は決着から逃げるの禁止な」

「僕は、黙って戦いに出るの禁止です」

 歩き出す真一を見て優美も魁を指す。

「じゃ、わたしは『妻になれ』って言うの禁止ね」

 ええっ!? と皆驚いて優美を見る。

「だってお母様が、弟子入りしたら嫁ぐのが慣わしだって言ってたもん」

 ちょっとどういう事よ! とわいわい歩いて行く皆の後ろを、魁は少し笑って付いて行く。



 三人がいつも利用しているというファミレスに行く。

 魁は弱っているとは言え、ずっと眠っていたのでいつもより食が進んだ。

 変異種騒ぎは収まりつつあるらしい。

 既に変異種と化している者はナリを潜めているだけだと蟇目は言ったが、被害が出ないのならそれでいいのではないか。

 突然公園に大木が生えた事に関しては、まだ騒がれていないらしい。

 浦木がいなくなって、研究所もそれどころではないだろう。

 そして満弦も行方不明者として扱われるようだ。



 公園に一際大きくそびえ立つ木の前で、魁は姿勢を正す。

 満弦は誰に知られる事もなく、語り継がれる事もなく世界を救った。

 それはある意味魁が理想としていた終わり方だ。

 それを満弦はやってのけた。彼が疎んでいたのは魁だけだ。恐らく他の人間は殺めていないだろう。

 最後の最後で、サクラには変異種になってほしくないと願い、自らが礎となった。その想いはこの樹を見れば分かる。満弦は変異種になってしまったが、最後はサクラの中に最も良い形で刻み込まれたのだ。

 昔の恋人には敵わない、という言葉があるが、魁はこの男には未来永劫敵わないのだろう。


 そっと木に手を触れる。

 この木は生きている。つまり満弦は今もここで生きているのだ。


 他の三人もそう思ったから悲しむ事は止めたのだろう。


 魁は御神木に敬礼する。


 回れ右するとサクラと蟇目が魁を待っていた。

 サクラは挨拶は済んだ? という感じで屈託のない笑顔を向ける。

 歩き出した二人に付いて行きながら、

「ところで、私……は自分の事を何と言ったらいいんでしょう?」

「拙者、でいいんじゃないか?」

「な? ちょっとやめてよ!」

 蟇目の言葉にサクラが笑う。


「オレ……がいいな。ダメ?」

「いえ、努力してみます」

 あなたがそう言うなら、という風の魁に蟇目が笑う。


「東雲さんの事は何と呼べば?」

「サクラちゃんでいいだろ?」

「あなたに呼ばれたくありません。ねぇ、魁」

「お前そんな名前だったのか? なんて書くんだ?」

「えーっと……、今度説明します」


 他愛の無い話をする三人と町を見下ろしながら、御神木は枝葉を揺らした。

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