冥府の穴

22杯 恋文

「母上! お祖父様の事をご存じですか?」

「わたくしは嫁入りですからね。直接は知りません」

 浦木に聞いた魁一郎の話をかいつまんで話す。

「父上は冗談のように言う事はあっても、その奥底には少なからず真実があるものでした。父上が、ただの作り話を語るとは思えないのです」

「わたくしもその話なら聞いた事があります。子供時代の父親像を誇張したものを大事にしているのだと、周囲の者は言ってましたね」

「母上は、違うと?」

「わたくしはあの人の言う事を疑った事はありません」

 と言って生け花を続ける。

「京都には『六道りくどうの辻』と呼ばれる物があります。冥界からの霊気が現世に流れ出し、死者がやって来る。そして通った者は死後の世界に囚われる。そういった霊界への入口は、日本各地に存在すると言われています」

「今回の事件は、その一つだと?」

 それは分かりませんが、と言ってから、

「変異種が普通に確認出来る今となっては、戯れ事とも言えなくなりますね」

「祖父の頃に起きた事件と同じ事が起きているのなら、同じように解決できるのではないかと思ったのですが……」

「どのようにして収めたのかはわたくしも知りません。魁一郎の部屋を探してみれば、何か分かるかもしれませんね」



「では、皆さんお願いします」

 魁は父の部屋に真一と優美、そしてサクラを通して礼をする。

 真一に近況を話した所、自分も手伝うと優美を呼んでくれた。蟇目は優美達が恐がるだろうし、さすがにそこまでの義理もないので声を掛けていない。

 魁もこの部屋には数えるほどしか入っていない。どちらかというと魁は父に畏怖の念を抱いてきた。父の部屋を漁る等、畏れ多い事なのだ。

 だが今回は事情がある。お許しください、と今一度部屋に対して礼をし、魁は机を調べ始める。

 サクラはのろのろとだが、書棚を端から見る。

 冥界の門とやらを塞ぐ事が出来れば、事態は好転するかもしれない、と皆で説得して連れ出したのだ。

 満弦が元に戻るかもしれない、という事は言っていない。

 蟇目はそれは有り得ないと言っていた。もちろんそれも正しいかどうかは分からないが、さすがに無責任すぎると考えた。

 それでも負の感情を抱えたまま塞ぎ込んでいては、サクラの身が心配だ。気分転換の意味も込めて根気よく説得したのだ。


 サクラはといえば、それで解決するとは思っていない。

 魁と真一の言う事は、自分を元気付ける為の根拠の無い話にしか聞こえなかったし、満弦が元に戻った所で以前と同じ関係に戻れるとは思えなかった。

 満弦が変異種と化してしまった事は確かにショックだ。言葉に出来ないほどに心を痛め、これ以上ない喪失感が襲った。

 だが皆が恋人を悪魔に攫われた悲劇のヒロインとして扱うほどにサクラの心は辛く、悲しみに傷んだ。

 なぜならサクラの心は、僅かだが魁に傾いていたからだ。

 ここ暫くサクラが耳を塞いでいたのは、家族や友人の声ではなく、この機に魁に乗り替えてしまえと囁く内なる声だ。

 恋人は変異種になってしまったのだ、誰もサクラを責めはしないだろう。そんな事を考えてしまう自分に驚きと戸惑いを隠せず、「これは可能性、あくまで可能性。誰でも一度は脳裏をよぎる可能性の一つ」と念仏のように唱え続けていた。

 自分達は大人に裏切られて生きてきた。だから四人はどんな事になっても絶対に裏切らない。それが暗黙の理だ。

 それがこうも簡単に揺らぐものなのか。自分の非情さを恐れ、呆れ、憎んだ。

 事情が変われば手の平を返す、これでは自分が憎んできた大人達と何も変わらないではないか。

 そしてその醜い心が外見も同じに変えてしまうのではないか、という恐怖に震えていた。

 満弦の言う通り変異種に変貌するまでの時間が、リアルにカウントダウンされているのを感じている。

 しかしサクラにとって「変異種になる」というのは絶対に受け入れられない事だった。サクラだけでなく、おそらく世の女性のほとんどはそうだろう。

 今までどんなに辛い目にあっても自殺だけは考えなかったサクラに、初めてその選択肢が浮かんだ時、サクラは考えない事に決めた。

 事態が変化するまで、何も考えない。考えず、今まで通りに行動する。

 実際、言うほど簡単ではなかったが、無理にでも普通に振舞うよう努めている。

 そして外に出て、真一や優美と接すると、彼らも同じように考えない事にしているのではないかと感じた。

 そうして所詮矮小な自分は、流されるままに生きるしかないのだという無力感と今も戦っている。


かぶら古流の秘伝書はないみたいですね……」

 何しに来たのよと優美に叱咤され、真一は苦笑いする。

 あるのは難しい本ばかりだが、手がかりになりそうなものは見つからない。

 魁は父の机の引き出しから厚めのノートを見つける。

「父の日記のようです」

「本当ですか? それに何か書いてあるんじゃないですかね」

「いや……ここ数年の物のようなので……」

 冥界の門の事については書かれていない。一番近い情報ですら浦木教授と仕事上でアポをとった、という件くらいで特に収穫はない。

 黙々と家捜しをしていると不意に「くかか」と押し殺した笑いが聞こえ、見回すと優美が「きゃ~」と照れ笑いをしている。

「ラブレターみたい」

 不審な目を向ける皆に優美は顔を赤くして言う。

「なに勝手に人のラブレター読んでるのよ!」

 とサクラが上から取り上げる。

 その手紙は夫が妻に対する想いを綴った物だ。


 仕事ばかりで夫らしい事をしてやれなかったので、せめて最後にと余り木でかんざしを作り妻に送ったと書いてある。

 不器用ながらも、神仏によって清められた木ならば妻を守ってくれるだろう……という想いを込めて。


 紙はかなり古いものだ。

「これは……、お祖父様の日記です」

「じゃあ、その辺りに何かあるんじゃないですか?」

 二組の男女は書棚の前に密集して本を調べる。

「やっぱりそうです。壬生くんのお爺さんが六道の辻について調べた事の記録ですよ」

 真一の持つ書籍やメモは祖父が集めた資料のようだ。


 京都清水寺の近くには、六道の辻と呼ばれる冥界と現世の境界があるとされる。

 六本の通りが重なる場所だからとか、仏教の輪廻思想からくるものだとか諸説あるが、京都だけでなく日本の各地に存在するらしい。

「京都の六道珍皇寺りくどうちんのうじは割と有名ですね。ここには冥界への入り口とされる井戸があります」

 そういったあの世とこの世を繋ぐ境界を、総じて『冥界の門』と呼ぶ。

 優美が見ていたのは祖父の手記の最後の部分のようだ。これは日記というより後の者の為に事件の経緯を記した物のようだ。

「お爺さんも、ちゃんとまた同じ事が起きた時の事を考えていたんですね」

 祖父弥一郎は、魁と同じく警護の為に夜な夜な町に出ていたようだ。

「闇に紛れて人知れず悪と戦うダークヒーロー。壬生くんと同じですね」

 もっとも魁は変異種騒ぎの後、伝え聞いた祖父の話に習っていただけなのだが。


 夜の帳が降りると、人の世とは異なる理が闇を支配する。不可思議な力を使うその者達は人の様相はしていても、人とは異なるモノ。

 常に世に出る事のないそれも、時には人に害をなす事がある。

 時折そういった異界の者と対峙する事はあったが、彼らは人目に付く事を極端に嫌うようで、間合いに捉える事も適わぬ。


「これだけ見ると妖怪か何かと戦っていたようにも思えますけど、変異種が現れた今となっては御伽話でもなくなりますね」

「こんな昔から変異種がいたって事?」

「でも、表に出て来ないみたいな事が書いてあるよー。あっちこっちで騒ぎを起こす変異種とは随分違うんじゃない?」

 サクラの疑問に優美が答える。


 だが一度だけ、闇の者と剣を交えた事がある。

 仲間割れか派閥か、闇の者同士の争いに乗じて間合いに捉える事が出来た。

 鞘付きの刀で受けながら逃げを打つ影を追い詰めた。剣術では私の方が勝っているようだった。

 初めて武者震いというものを感じながら止めを放つ私に、影は刀を抜いたのだ。

 その時私は信じられない物を見た。私の灰奥が紙のように『斬れた』のだ。


「灰奥って、あの刀ですよね。斬れたって、折れたって事ですか? あれ二代目だったんですか?」

 興奮する真一に、サクラが続きを読むように促す。


 死を覚悟した私だったが、影は命を取る事はしなかった。

 私はその影と話をする事が出来た。

 彼は、闇の住人で名乗る名はないと言っていたので闇人やみうどと呼ぶ事にする。闇人は私と同じく世に仇なす者と戦っているようだった。もっとも彼自身はそいつらと自分は同類だと語ったが、それは彼も不可思議な力を持っていた事からも伺い知れる。

 闇人はその不可思議な力で灰奥を元に戻して見せた。まるで奇術を見ているようだった。

 私は自分の行いを恥じた。私は世を乱す者と戦っていたのではなく、自分の力を存分に発揮出来る相手を探して、夜を彷徨う辻斬りに過ぎなかったのだ。


「へえ、お爺さんも若かりし頃があったんだなー。壬生くんとはまた違いますね」

 それは違う。魁は父から人前で技を使うな、使うべき時は慎重に選べ、と教えられてきた。

 それはこの祖父の体験から伝えられたものだったのだろう。


 そうして闇人と親交を深める事となったが、ほどなくして世界に異変が起こり始める。

 闇人とその同類が使う力にも似た不可思議な現象だ。

 闇人は私と初めて対峙した時に刀を抜いた事が原因だと語った。その時に刀の力でこの世とあの世の間に亀裂が生じ、それが大きくなっている。ここまで大きくなってしまっては回復が難しい。自分の不手際だと彼は言ったが、私は責任は自分にあると感じた。

 私自身、あの世との境について調べてみたが、現存する異界の穴はどれも神仏によって守られている。

 社を建てる、御神木を植える、どれも簡単に出来る物ではない。神仏の力を借りる為には龍脈が通っていなくてはならない。

 闇人は刀を収める鞘ならば、異端の力を抑える効果があると言った。

 だが鞘だけでは足りぬ、人の命を散らせ、それが修復される方向を捻じ曲げる事で鞘の命の元である木をそこに再構築する。

 闇人の言葉のそのほとんどを私は理解出来なかったが、彼の決意からそれが命を持って当たるのだと言う事だけは理解できた。


 私はその役を買って出た。私がそもそもの原因だからだ。

 直前まで闇人は反対したが、最後には私の意志を汲んでくれた。

 ただ死んでは自殺に過ぎない、くれぐれも世界を守ろうという意思を強く持つようにと言って鞘の一部を切り出してくれた。

 それが闇人と会った最後になる。


 魁は初めて知る祖父の像に思いを巡らせながら、真一が読み上げるのを黙って聞いている。

「その後、鞘を御神木に見立てて剣を削りだし、自身の心の臓に突き立てる事で礎となろう、という事です」

「なんか壮絶だね。信じられないけど」

「今の事件と少し違いますけど、昔の記録ですからね。認識が違うのかもしれないし、実際違うのかも」

「ねぇ、その鞘をくれた人、今回も何とかしてくれないの?」

 優美と真一がああだこうだ言う中にサクラが口を挟む。

「そうですね。そうだといいんですけど、名前も歳も書いてないし、壬生くんのお爺さんの時代の人だから今生きているのかどうかも……それに、本当に人間だったのかも怪しいですよ。お爺さんは冥界から来た、人じゃない者に会ったのかもしれません」

「変異種だったのかな?」

「分かりません。当時の人が変異種に会ったら妖怪か、魑魅魍魎に見えたでしょうけど、そういうのともちょっとニュアンスが違うようにも思えますし」

「その当時の事件と、今の事件が関係あんの?」

「どうでしょうね。その時の封印が、その後の土地開発で解けてしまった、とかは考えられますけど」

「よくあるよね。ゲームの設定で」

 優美が他人事のように言う。

「いずれにせよ。今ここまで騒ぎになっているのに闇人が現れないのだから、アテには出来ないんじゃないでしょうか」


「……でも、これ手掛かりになるの?」

 魁は俯いて考え込んでいたが、優美の問いに顔を上げる。

「祖父の事件が無関係とは思えません。どこかで冥界の門が開いたと仮定するのが妥当だと思います」

「でもどこに?」

 優美の疑問は当然である。

「冥界の門は通りが重なる辻や洞窟、井戸などが多いですね。要は気が集まったり淀んだりする場所、ここ最近出来た大きな洞窟か井戸みたいな場所なんて……」

 真一の言葉が止まる。

「あ、あ、ありましたよ! ここ最近出来た大きな井戸みたいな場所!」

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