21杯 先見の明

 白い大きな建物の前に、魁と蟇目は立つ。

 白衣を着た人がちらほらいるだけで人は少ない。生物学の研究施設のようだ。

「薬の匂いは苦手なんだよなぁ」

 変異した姿は犬か狼のようだったから嗅覚が鋭いんだろうか、と思いつつ自動ドアをくぐる。

 中も病院の受付のようだが、巨大な動物の剥製が飾ってあるのが場違いだ。

 インフォメーションのような受付と、待合スペースのような場所にソファが並んでいる。

「そんじゃ、行って来い。俺はここで待ってる」

「またですか? なんかタクシー代わりに使っているようで心苦しいのですが」

「怪我してるとこを一人にして、他の奴にやられてもつまんねぇからな」

 と言ってロビーのソファに踏ん反り返る。

 適当に寛いでいる蟇目を尻目に、受付に向かった。

 話は桃子が通してくれている筈だ。



 受付に案内された通りにエレベーターに乗り、父の友人である教授のいるフロアに出る。

 部屋は全て壁ではなくガラスで仕切られて、各部屋の様子が分かる。研究施設だと言うが極秘という訳ではないようだ。

 案内表示を頼りに教授の部屋へと足を運ぶ。

 壁は透明だが、棚やブラインド等があるため、素通しという程ではない。

 目的の部屋の前でノックをすると、中にいた老人が手招きしたのでドアを開ける。

「君が魁くんか。大きくなったね。小さい頃一度会ったのを覚えているかね?」

 はい、と答え部屋に入る。

「お母さんから連絡を貰ったよ。お父さんの意志を継いで世の為に戦っているそうじゃないか。若いのに立派な事だ」

 ありがとうございます、と礼を言い、

「浦木教授。父とはどういった関係だったのですか?」

「君のお父さんは生化学会社に勤めていたからね。何度か仕事や研究の話をした事がある」

 浦木は椅子を勧め、自分も腰を下ろす。

「それで、生物学的見地から変異種をどう思うのかを聞きたいのだね?」

「はい。テレビ等の情報は、要領を得ないものばかりなので」

「ふむ。憶測の域を出ないものを発表は出来んからな。学界でも色々と言われとるよ」

「教授のお考えは、どうなのでしょうか?」

「ワシも一学者として変異種の死体は調べたよ」

 とパソコンの操作を始める。

「世間では精神疾患の一種だと言われとるの。別の人格が現れる事で体型が変わったり、あまりに凄い形相が鬼になったように見えるのだ、とな」

 当初、テレビで言われていた事だ。

「だが今はそんな物ではない事は多くの者が知っとる。じゃろ?」

 魁は頷く。変異種は人間ではない。戦った魁はよく分かっている事だ。

 生物進化論は知っとるな? と教授は画面にミジンコから三葉虫、魚からトカゲ、哺乳類までの進化の過程を図にした物を写す。

「どんな生物も、初めはみんなミジンコじゃった。この初めのミジンコは、その後どんな生物にもなれる可能性を持っている」

 そして……、と魁の腕に触れて続ける。

「君の体にも、もし魚だったら? もしトカゲだったら? ライオンだったら? という情報が残されている」

 魁は自分の体を見る。

「もし、遺伝子が突然書き換えられたなら、体は見る見るうちに変貌を遂げるじゃろう」

「それが……変異種?」

 教授は椅子に深くもたれ、あくまで可能性じゃと補足する。

「なぜなら変異種の死体の遺伝子に、異常は見られなかったからじゃ」

 はあ、とよく分からないと言う反応の魁に構わず続ける。

「もちろん遺伝子も完全に解明されたわけではない。違うとも言い切れん。生きた変異種を解剖出来ればもっと分かるかもしれんがな。誰か、変異種に友達はおらんかね?」

 と言って高らかに笑う教授に、魁は苦笑いする。

「君は手を触れずに物を動かせるか?」

「は? ……い、いえ」

 突然話が変わったので驚きながら答えてしまう。

「ワシはできるぞ。それ」

 と言って磁石を取り出し、もう一つの磁石を吸い付ける。

「はあ……」

 とリアクションに困る魁に、

「うむ、誰でも出来るな。しかし、君はなぜ磁石が吸い付くのか物理的に説明できるかの?」

「あ……いえ」

「そういう事じゃ。誰でも簡単にできるからの。多くの者は理屈は知らなくてもそういうものだと受け入れとる。今回の件も同じじゃ、そういう生き物がいるのは事実なんじゃ、そのメカニズムは重要ではない。問題はなぜそんな変調を来たすようになったのか?」

 魁にもそれは分かる気がした。確かに、そこが気になる部分だ。

「気候か電磁波か分からんが、何かが人間の生態系に働きかけとる」

「そ……それは、誰でも変異種になる可能性がある、という事ですか?」

 恐る恐る聞く魁に、いい所に気が付いたと声を落として答える。

「そうじゃ、これは警察もマスコミもパニックを恐れて情報規制しとる。だが皆薄々感じている事じゃ」

 浦木は、当初テレビ等で報道されていたように、精神の不調が引き金になっているのではないかと語る。

 肉体的に傷付いても、最終的には精神に影響を及ぼす。

 今たまたま日本中に変異の条件が揃っている為、精神的に追い詰められた人間が、自己を守る為に遺伝情報を書き換えているのではないか。

「しかし、それでは変異は病気ではなく……」

「そうじゃな、ワシは進化の一種だと思うよ。最悪の形で現れたがな。だが気を付けろ、人間が排除しようとすれば、新たな進化を引き起こす可能性が出てくる。たとえば、統率」

 それが、満弦の言っていた事? と脳裏をよぎる。

「教授は、変異種と人間が共存できるとお考えですか?」

 何をバカな、と言われる覚悟で聞いてみる。

「ワシは無理じゃと思う」

 既にお互いが殺し合いすぎた。共存するには、これまでお互いが殺しあった者を全てチャラにせねばならない。

 そして新しく法が改正されるまで、変異中の殺人は心神喪失の無罪にする前提が要る。

 これから人と変異種の割合がどう変わっていくか分からない中で、あまりに現実的ではない。

 と浦木は語る。

「何より変異種になる事と罪を犯す事は別じゃ」

 理性を失って人を殺してしまう事はあっても、変異を繰り返すうちに次第に安定してくるはずだ。銀行強盗など変異種による犯罪が起きている事が証拠だと浦木は言う。

 始めから犯罪者、元々イカれた奴、変異種になる事を望んだ者は、変異してもあまり変わらないだろう、という言葉に魁は唾を飲み込んだ。

「確実に言える事があるとするならば、変異するような人間は放っておいてもいつか人間を殺す」

「では教授は、意思をしっかり持っていれば、変異から逃れられるはずだと?」

「……全て憶測じゃ。確証のあるものは一つもない」

 教授は椅子に大きくもたれる。

「いえ、大変参考になりました」

「世界の学者が調べとるが、未だ何も分かっとらん……。君のお父さんのオカルト話の方がよっぽど信憑性があるな」

 と言って笑い出す。

「オカルト話ですか?」

 父魁一郎にそんな趣向があったろうか。

「この世には、たまにあの世と繋がる穴が開くそうじゃ。その穴から流れ出した妖気がこの世に化物を生み出して人を襲うという昔話があるんじゃと。今回の事件にそっくりじゃろう」

 はあ、と魁は気のない返事をする。

「壬生君は武道をやっておったからな。ああいう人種は生物学で説明がつかん事をたまにやりおる。しかしワシはこの目で見た事がない。ワシはからかい半分で『君は出来ないのか?』と聞いた事がある」

 魁はその答えに興味があるように教授の言葉を待つ。

「なんとか流は大道芸ではない、とな」

 と言って笑う。魁も父らしいと苦笑する。

「しかし『私には出来ないが、父は物の怪と戦った』等と言いおってな。つまり君のお爺さんだ」

 魁は少し意外だという反応をする。あの父が、そんな事を言っていたとは。

「あの世から這い出た物の怪と戦い、自らの命と引き換えに世界を救ったんじゃと。まあ笑っておったがな。ワシは科学者じゃ。オカルトに頼るわけにはいかんて」

 と言って笑う。

「薬等で変異を抑える事が出来れば、事態は少し変わってくる。ワシらに出来る研究と言えばそれくらいじゃ」

「いえ、そんな事は。素晴らしい事だと思います」

 変異を抑える。そんな事が出来れば変異種を殺さず、普通に裁判にかける事が出来るかもしれない。

 好転はしなくても進展はするはずだ。

 礼を言って帰る魁に、確証のない事だから研究の事は内密にと念を押す。



 ロビーに戻ると、ソファに足を組んで座る蟇目の周りに数人の若い女性看護師が取り巻いていた。

 訝しげに近づく魁に気が付くと、

「お? 終わったか。悪いな、連れが来たんでもう行くわ」

 と言って立ち上がる。看護師達は一斉にええーと不満の声を上げる。

「何やってるんですか」

 暇だったからよ、と言いながら看護師に手を振る蟇目と一緒に外へ出る。

 そこには上着はないが魁と同じ制服を着た男、満弦がいた。

「よお、奇遇だな」

「黒川くん、なぜここに?」

 満弦はニット帽を被った背の高い男と一緒だ。

「ここは薬屋だろ? 薬をもらいに来た。最近筋肉痛がひどくてなぁ」

 魁は白い建物を見る。確かにここは生化学研究所。薬を扱う施設ではある。

「お、あんた。あの時の青い獣みたいな奴だろ。雰囲気で分かるぜ。そいつを殺してくれるんじゃなかったのか?」

 満弦は蟇目を見て言う。

「ああ、殺すぜ。怪我が治ってからな」

 と適当に返答する蟇目を侮蔑を込めた目で見る。

「自分達の脅威となりうる施設を視察、といった所ですか?」

 満弦は驚きの目で魁を見る。

「お? いけねぇなぁ。格闘技バカがそんなおりこうさんな事言っちゃ」

 分かっていませんね、と魁は頭を振る。

「ここの人達は、変異種と共存する方法を模索してくれる人達ですよ」

 満弦はふんと鼻で笑い。

「分かってねえのはお前だ。『共存』は俺の一番嫌いな言葉だ。俺ら新人類」

 親指で自分を指し、

「人間は……下!」

 と言って手首を返して地面を指す。

 くっ、と満弦を睨むものの魁は刀を持っていない。

「今は争うつもりはありません。通してもらえますか?」

「俺も丸腰のお前を殺したくねぇ。殺すなら言い訳出来ないような状況で……だ」

「なら、俺とやるか」

 蟇目が右腕を変貌させる。

「そうしたいが、俺もそこまでバカじゃねぇ」

 蟇目は飛び出すと同時に全身を変異させる。

 満弦は不敵な笑みを浮かべたまま微動だにしなかったが、爪が閃いた跡に満弦の姿はなかった。

 蟇目の目には動く兆しが見えなかったが、前にいないのなら上、と上空に注意を向ける。

 そこには、黒い大きなコウモリのような翼を羽ばたかせた変異種に吊り上げられた満弦の姿があった。

「悪りぃな。また今度相手してやるからよ」

 勝ち誇った笑いで魁達を見下しながら去って行く。

「あんなのもいんのかよ」

 蟇目は体を戻しながら呟く。

 魁は黙って飛び去る満弦を見送った。

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