7杯 遊技
人の少ない夜の公園を二組の男女が歩く。
体を大きく見せるように歩く少年に茶髪の巨乳、眼鏡のガリ勉とツインテールの少女は、先日の事もあってやや互いの距離を近くしながら夜の街を闊歩していた。
最初の変異種が確認されてからそろそろ一月近くになる。テレビでは過去の猟奇的な犯罪を起こす者達も、その兆候だったのではないかと言う者も多い。
体への変調が希薄だったというだけで、実はかなり前から同現象は起きていたのではないか。
そして、体に変調をきたす事は誰にでも起こりうる可能性があると発言したタレントもいたが、悪戯に世間を恐怖に陥れる不適切な発言としてバッシングされ、変異種はある種の病原体が原因だと発表されたが、世間では誰もが混乱を収めるための計らいだと思っている。
「おや、お仲間のようでよ」
真一の指す方向から一人で歩いてくる男は、手製の槍を持っている。
「おう、獲物はいたか?」
満弦が馴れ馴れしく話しかけると男は首を振る。
日々ニュースで流れる変異種の事件はそれなりに数が多いが、全国に散らばっているので都内に限って言えば数件だ。
人の多い所で暴れる事も無いため、目撃例も少ない。ネットにあがる映像や写真も怪しいものばかりである。
満弦達もそうだが正当防衛が認められる事件以来、変異種狩りと称して武器を持って町をうろつく者が増えてきたので、警察も取締りを強化している。
変異種の疑いをかけられて一般市民が暴行されるケースも少なくない。
「しっかし、そんなチンケな槍で狩りしようなんて大した度胸だな。しかも一人とは」
満弦が男の装備を見て、一度本物を見た事のある者として優越感に浸るように言う。
「君らも大して変わらないように見えるけどな。しかも女連れとは」
それを聞いてサクラが眉根を寄せる。
「僕達は、原始的な狩りはしませんよ」
と真一が背のリュックを指す。
「しっかしこうも獲物がいないんじゃあな」
満弦がつまらなそうに言うが、
「仕方ありませんよ。昨日遭遇したのだって、奇跡みたいなもんです。結構、神出鬼没なんですよ」
「君達、昨日の事件の時にいたのか?」
「まあな。その時の奴はぶっ殺してやったけどよ」
満弦が自分がやったように言う。
「へえ、じゃあ。君達、結構骨があるんだな」
男が感心した、というよりあまり真に受けてない調子で答える。
「おうよ。だから経験者として忠告しとく。そんな武器は役に立たねぇぜ」
男は物干し竿の先に包丁を括り付けただけの槍を見て、
「ああ、これ? これは相手が逃げられないように足を刺しておくための物だよ」
あん? と一瞬意味が分からないという反応の満弦に一瞥をくれると、男は槍を動かす。
「こんな風に」
動いた槍の切っ先は、真一の太腿に「さくっ」と刺さった。
「てめっ! 何しやがんだ!?」
満弦はサバイバルナイフを抜いて構える。
「何って君達は狩りに来たんだろ? 僕もだよ」
ぼこん! と男の肩が膨れ上がり、見る見るうちに変貌した。
優美が悲鳴を上げる。
サクラは倒れた真一に駆け寄るが、どうしたらいいのか分からずにおろおろするだけだ。
体が肥大したために、小さく見える槍をひらひらとチラつかせながら、怪物はその口から人間の言葉を発する。
「どうした? 獲物だぞ?」
「くそっ、こんなの聞いてねぇぞ!」
昨日見た怪物は、変貌した後は獣そのものだった。知能のかけらも持っていない、ただの動物だった。
それが目の前にいる怪物は、姿は獣だが言葉を発し道具を使っている。
ただでさえリーチに違いがあるというのに、槍を目の前でひらひらと動かされては懐に飛び込めない。
魁がやったように飛び込んで急所にナイフを突き立てれば、致命傷を与えられると踏んでいたのに……。
「くそっ!」
飛び込もうと右往左往する満弦の脇腹に槍が突き刺さり、苦痛の声を上げて尻餅を付いた。
怪物の力の割には傷が浅い、がその訳はすぐに理解する事になる。
「どうした? 早く逃げろ。次は本当に殺すぞ。女を置いて無様に逃げろ」
挑発するように言う。
恐怖に引きつる満弦の表情を見て、満足したように踵を返してサクラ達の方に歩み寄る。
足を押さえて苦痛に呻く真一と、その体を抱きかかえて泣く優美。
自分が何とかしなくては、とサクラが真一のリュックから瓶を取り出し怪物に投げる。
だが瓶はゴン! と割れる事無く地面に当たって転がった。
「ひいっ」
サクラは、目の前まで迫った影に圧倒されるように尻餅を付く。
怪物は槍を構えて、満弦を振り返り嫌らしく笑う。
「どうした? 女どもの次はお前も殺すぞ。なーに、こいつらは皆死ぬ。誰もお前が女見捨てて逃げたって言う奴はいねぇんだ」
満弦はガタガタと震えていたが、やがて声を上げて走り去った。
それを見て怪物は声を上げて笑う。
ひとしきり笑うと、メインディッシュを頂くかという風にサクラ達を見下ろす。
サクラは歯を鳴らして涙を流していた。
これでいい、満弦は間違っていない。ここにいても一緒に殺されるだけだ。彼だけでも助かってくれれば……、と思うが涙が止まらない。
「どうした? 逃げないのか? もっと狩りを楽しみたいんだがなぁ。もう一匹足を刺しとくか」
怪物は優美とサクラを交互に見比べる。サクラはぎゅっと目を閉じた。
目を閉じたサクラの耳に、足音が聞こえる。落ち着いた足取りで一歩一歩踏みしめられる音は、背後から近づいていた。
やっぱり! やっぱり来てくれた! と目を輝かせて振り返ったサクラだが、そこにいたのは魁よりも大柄の男だ。
大き目のジャンパーを着た、全体的にダボダボとした服装のワイルドなバイク乗りといった風体の男。
「た、助けて」
魁ではなかったが、この際誰でも構わない。この怪物を見て近づいてくるのだから腕に覚えがあるのだろう。
だが、その男の体からめきっと筋肉が軋む音が聞こえると、その体は徐々に肥大していく。
そんな……、と再び絶望感が襲う。
「なんだ? お前。俺の獲物……」
槍を持った怪物は、言い終わるよりも早く衝撃音と共に吹き飛んだ。
地面に叩きつけられ、先刻まで言葉を発していた怪物は怒りで理性が吹き飛んだように咆哮する。
後から現れた怪物は、サクラ達に興味を示さずに通り過ぎる。
相対する怪物は爪を振るって飛び掛り、それをもう一方が手で受け止める。
ちょうどプロレスでいう所の「手四つ」の形になった怪物達は互いの手に渾身の力を込める。
獲物を取り合っているのか? とサクラはその間に逃げようと試みるが、真一の出血が激しい。止血した方がいいのだろうが、やり方も分かずおろおろしてしまう。
「そ、そうだ。救急車」
携帯を取り出すが、こんな場所へ来てくれるだろうか。警察が先か、と携帯を持って逡巡しているとごきっ! と骨の砕ける音と絶叫が轟く。
驚いて怪物を見ると、一方の膝が蹴り砕かれて倒れたようだ。上になった方が腕を捻り上げて肘を折る。
サクラ達にはどっちがどっちか分からなかったが、どちらが生き残っても次は自分達なのだ、今のうちに何かしなくては……、と一先ず真一のリュックを外す。
だが鈍い音と共に怪物達の勝負は着いたようだ。あばらを陥没させて倒れている怪物は、血の泡を吹いていた。
生き残った方は立ち上がり、サクラ達に歩み寄る。
ああ、いよいよか? と携帯を持ったままへたり込むサクラの前に立つ怪物は、突然何かを掴むように手を動かす。
怪物が手の中の物を投げ捨てると、それは地面に金属音を立てて転がった。
掌大の棒状の手裏剣。それを何者かが怪物に投げつけたのだ。
じゃり。
足音が近づき、その人影を見てサクラが再び涙を流す。先程までとは違う意味の涙。サクラの視線の先にいるのは、漆黒の鎧を纏い背に刀を背負った少年。
「み、……壬生くん」
サクラは全身の力が抜けたように倒れ込む。
魁は刀を抜き斬りかかるが、怪物はそれを手で掴んで止める。
「いい刀だな小僧」
怪物の口から声が漏れる。力比べになるかと思われたが、魁はあっさりと刀を放し、肘を折って鳩尾に叩き込んだ。
力比べをしようと前のめりになっていた怪物はカウンターで肘打ちをくらい仰け反る。
怪物は刀を投げ捨てたが、魁が手を振ると刀は手の中に戻ってきた。
侮った、と体勢を立て直した怪物はボクシングの構えで間合いを詰める。
この敵は素人ではない……格闘術を使う、と判断した魁は改めて相手を観察する。
自分よりも大きいが筋肉隆々ではない。しなやかな体付きと、青みかがった体毛はまるで狼男だ。
瞬発力に富んでいそうな身体を小さく丸めて油断なく近付いてくる。
狼男はやや遠目の間合いから、無駄のない動きで手を突き出す。
拳ではなく抜き手。だが鋭い爪のある抜き手はナイフと同じだ。
直線的な連続の抜き手は魁を懐に入らせない。それを魁は全て刀で受ける、というよりいなして捌く。
「真一! 真一しっかりして」
意識の危うくなった真一にサクラが呼びかけ、優美が一層大きな声で泣く。
その声に魁の剣捌きが乱れた。それに左肩の痛みが伴いバランスを崩す。
その隙を捉えた怪物は致命の一撃を加えようと拳を構え、魁は覚悟を決めたが、その攻撃が放たれる事は無かった。
絶好のチャンスをなぜ? と魁が訝しむと、怪物はサクラ達の方を指差す。
「止血してやれ。気になってるんだろ?」
魁は警戒を解く事無く怪物を見据える。
「早くしろよ。せっかくのいい勝負に、興が削がれる」
と言って、罠ではない事を示すように数歩後ずさった。
魁は怪物に体を向けたまま、真一の傍まで下がると腰を下ろして傷を見る。
「これを持っててください」
とサクラに刀を渡し、手甲の下から止血帯を取り出す。
刀を渡されたサクラは、ただ持っていればいいのか? いざという時自分が戦えばいいのか? そもそもどうやって持てばいいのか? と狼狽する。
「動脈は外れています。止血しておけば命に別状は無いでしょう」
と言って刀を取って立ち上がる魁に、怪物も拳を握って応える。
その時、パトカーのサイレンが近づいてくる音が聞こえた。
怪物は握った拳を降ろし、
「白けちまったな。またにしよう。その時は決着をつけるぜ」
と言い、上着を拾って立ち去ろうとする。
魁は一瞬追うべきか? と迷ったようなそぶりを見せたが、サクラ達を見て思い留まった。
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