月夜の会

1杯 厚情

 下校時間を知らせる鐘と共にガタガタと机と椅子が鳴り、生徒達の声が賑わう。

 宿題を忘れないように、と叫ぶ教師の声も生徒達の喧騒に飲み込まれた。

 生徒達は早速グループに分かれて各々の話題に華を咲かせるが、その中に落ち着いた様子で鞄に教科書を仕舞う男子がいた。

 夏前という事もあって、制服を上着まできちんと着込んでいる者は珍しいというのに、その男子はしっかりとボタンまで留めている。

 髪を伸ばす男子が多い中、短く刈り込んだ髪は端正な顔立ちに似合っていた。

 周囲の喧騒も全く無関係という様子で几帳面に忘れ物が無いかを確認している。

 浮いていると言えばそうなのだが、他の生徒達も特に気にする事なく遊び相手を探して声を掛け合う。

「ねー、今日カラオケ行かない?」

「わたしパス」

「オレも、いいわ」

 茶髪に日に焼けた肌をした女子は教室の前方で通る声を出すが、皆そっけない。

「ごっめ~ん、サクラ。私もちょっと用事があってさ」

 サクラと呼ばれた女生徒は腰に手を当てて苦い顔をした。

 高校生にしては大きすぎる胸をブラウスから肌蹴けさせ、一応校則では禁止されているネイルを入れた派手な外見だ。

 いつもは彼女が声を上げればすぐに人が集まるのに、今日は人の集まりが悪い。

 というか全然集まらない。

 最近ニュースでやっている怪物騒ぎのせいか、とサクラは口を曲げる。

「あんなもの、子供を夜遊びさせないための方便に決まっているのに」

 小さくつぶやくと、そそくさと帰ろうとする一団に目を留め、

「三島ーっ。ミュージックプレーヤー返してよ~っ!」

 呼び止められた男子生徒は「ああ」と言ってプレーヤーを投げて渡す。

 投げ返されると思っていなかったサクラは、それを弾力のある胸で受け止めた。

「わ、悪りぃ」

 むう~と生徒を睨みつけ、床に落ちたプレーヤーを取ろうと手を伸ばす。

 前屈みになった所でふと視線を上げると、それまで一斉に帰ろうとしていた男子達が足を止めてサクラの胸元を見ていた。

 皆慌てて目を背ける。

 男どもの卑しさに少し顔を歪めるが、その中で唯一目を向けていなかった男子に目を留める。

 浮いたように、落ち着いた様子で帰り支度を続けている男子生徒だ。

 姿勢が良く、凛としていると言えばそうなのだが存在感が薄い。あまり人と話している所を見た事もないし、笑い声を聞いた事もない。

 大人しく、常に周囲の空気と同化しているような感がある。名前は変な響きなのでよく覚えていた。もっとも字は覚えていないが。

「みぶ……くんだっけ?」

「はい」

 みぶ、と呼ばれた男子生徒の名札には「壬生みぶ かい」と書かれている。

 サクラは魁の前で、モデルのように腰に手を当て少し肌蹴た胸を強調するように立つが、魁は手に持った教科書の束から視線を外さない。

 うっわ~、絵に描いたような真面目な奴~と言わんばかりの表情で、お堅い男子を見下ろしていたが「一応」という調子で切り出す。

「ねえ、人足んないんだけど。カラオケ行く?」

「いえ、私は歌を知らないので」

 あからさまに「なんて面白くない奴」という顔をするが、魁はサクラの顔を見てもいない。

「壬生くん、そういうの苦手そうだもんね~。普段家で何やってんの?」

 サクラと同級生とは思えないような、小さな体をしたツインテールの女の子が横から口を出す。

「稼業を手伝っています」

「へー、働いてるんだ。偉いね~、何やってんの?」

 不躾な質問も持ち前の愛嬌で嫌味には聞こえない。魁が素直に答えようとした所に眼鏡の男子生徒が割って入る。

優美ゆうみさん。家庭の事情に立ち入るもんじゃないですよ」

 優美と呼ばれた小さな女の子はべーと舌を出した。

「優美、真一。あんた達は来るよね?」

「行く行く~」

「もちろんですよ」

「と、言うわけなんだけど?」

 魁は何がと言うわけなんでしょう? と言いたげな顔をしていたが、

「やだなぁ、サクラさん。家の手伝いしている人にお金出させるんですか?」

 と真一が眼鏡を上げながら言う。

「分かったわよ。奢ってあげる。それならいいでしょ?」

「いえ、そういうわけには」

 露骨にイライラを募らせた顔になったサクラに、真一が苦笑いしながら、

「たまにはハメを外しなよ。一度しかない人生、できる贅沢はした方がいいよ」

「いえ、私は十分贅沢をしています」

「へえ、どんな?」

 真一がプライバシーというより「この男が一体どんな贅沢をしているのか?」と興味があるように聞く。

 この真面目な男子は携帯電話はおろか、キーホルダーといった類のアクセサリーも持っていない。

 筆記用具やノートも素朴な、飾り気のないものばかりだ。

「トイレットペーパーは良い物しか使いません。二枚重ねミシン目入り、エンボス加工された物に限るという拘りを持っています」

 皆暫く固まっていたが、一斉に笑い出す。

「何それ。面白い奴~」

「み、壬生くんも、冗談言うなんて……知らなかったよ」

「サイコー、こいつサイコー」


「い、いや。冗談ではありません。トイレットペーパーは木材が原料なんです。森林伐採が問題になる昨今、紙をふんだんに使用するというのは、これ以上ない贅沢で……」

 真剣な顔で弁明する魁に更に笑いが大きくなる。


 突然、魁の体は大きく跳ね飛び、周囲の机と椅子と共に派手な音を立てて倒れた。

「な~に人の彼女とイチャついてんだてめぇ」

「ちょっと満弦みつる! 突き飛ばす事ないじゃないの!」

 満弦と呼ばれた大柄な男子生徒は、サクラの肩に手を回す。

「カラオケ行くんだろ? 早く行こうぜ」

 魁は黙って起き上がり、倒れた椅子を起こす。突き飛ばした相手である満弦の方を見もしなかったが、

「なんだ? 文句あんのかお前?」

「いえ」

 やはり満弦の方を見ずに小さく答える。

 ふん、と鼻を鳴らす満弦に「もういいよ、行こうよ」とサクラが促す。

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