三十九話 レイクミラーの戦い3
ぼんやりと意識はあった。
水の中で漂っているイメージだ。
食らえ。食らえ。食らえ。
強い命令がどこからか下される。
湧き上がる飢餓感に俺もそうするべきだと納得していた。
ハラが減りすぎてどうにかなりそうだった。
視界に大きな八つ首の蛇が入る。
ああ、あれは食い応えがありそうだ。
やっぱり生でむさぼるのがいいのだろうか。それとも焼くべきか。
どっちもでもいい、一秒でも早くこの飢えを埋めたいんだ。
オマエヲ、クワセロ。
◆
黒い鎧を身につけた義彦の強さは異常だった。
噛みつこうとする大蛇の頭部を寸前でひらりと躱し、一瞬で細切れにして見せたのだ。
鋭く吐き出される水流すらも大盾で軽々と防ぎ、あの巨体を誇るヤマタノオロチを横へ蹴り飛ばした。
バドォォン。
鼓膜を破るような衝撃音が響き、オロチはまるでボールのように湖側へと飛んで行った。
湖では二つの水柱が上がっているのが見える。
アレを数百メートル先に蹴り飛ばすなんて、目の当たりにしていても信じられなかった。
再び義彦に目を向けると、そこに彼はいなかった。
ズンッ。ギャァァオオオオ。
地面が少し揺れ、オロチの鳴く声が聞こえた。
湖では水柱がいくつもあがり、しばらくすると対岸に土柱が上がる。
移動速度も異常だ。どうやって水の上を移動しているのかも分からないが、義彦はオロチを圧倒していた。
「ひとまず岸へと向かうでござる」
「そうですね」
私達はルイスや他の冒険者達がどうなったのか気になって最初の戦いの場へと急ぐ。
「ひどい……」
大蛇が放出した大量の水によって、公園はめちゃくちゃになっていた。
流された瓦礫が積み重なって小山となっている。
冒険者らしき死体もちらほらと見かけた。
「ルイスさん! 無事だったんですね!」
「あ、エレインさん」
ルイスを含めた全員がそろっていた。
彼は私に頭を下げる。
「大蛇の創り出した大量の水に押し流されてしまいました。お役に立てなくて申し訳ない」
「いえ、皆さんが無事ならそれでいいんです」
「ところで義彦君は?」
「それが……」
私はあれからの説明を彼らにする。
「――じゃあ義彦君は今も戦っていると?」
「はい」
対岸では今でも激しく木々が飛んでいる。
どのような戦い方をすればあんなことができるのか私には分からない。
ロナウドさんがどこからともなく望遠鏡を取り出すと、ソレをのぞき込んで向こうの様子を窺っていた。
「すさまじいでござるな。あのオロチが一方的にやられているでござるよ」
「義彦はどうしてああなったのでしょうか」
「おそらくあの鎧に原因があるのでしょうな。それしか考えられないでござる」
私もそれは考えていた。
義彦がいつも身につけていたあの鎧、異常であることは最初から分かっていたけど、まさかここまで所有者に影響を与える物だったなんて考えもしなかった。
「む、どうやらこちらに戻ってくる雰囲気でござる」
「勝ったの!?」
「まだ続いているごござるよ。どうもあの状態の義彦殿は、相手を甚振るのがお好きのようだ。トドメを刺さずに戦いを楽しんでいる節が見られるでござる」
再び湖にいくつも水柱が上がった。
そして、私達がいる湖畔の公園にヤマタノオロチが降ってきた。
ドスン。
オロチは痛々しいほどに傷だらけとなっていて、二本の首が根元からなくなっている。
ぐにゅぐにゅとすぐに再生が始まるが、心なしか速度が落ちているように思えた。
ザシュ、ブシュゥッ。
同じように天から降ってきた義彦は、オロチの胸に大剣を深々と突き刺す。
傷口から大量の血液が噴き出し彼の身体を濡らした。
「義彦!」
「…………」
私の声に彼はこちらを向いてくれた。
けど何の反応も示さない。
「今はまだ声をかけてはいけないでござる」
「どうしてっ!?」
「まずは義彦殿にオロチを倒してもらう事が先決でござる。我らではあの怪物に勝つことは至難の業。まことに力不足で申し訳ないでござるが、今は彼に頼るほかないでござるよ」
リリアも同じ考えなのか黙って肩をすくめる。
「ぎゃぁぁああおおおおおおっ!?」
首の一つを掴んだ彼は、強引にその力で引きちぎる。
ぶちぶちと生々しい肉や神経が切れる音が聞こえ、その頭部を胸の口に放り込んだ。
ごりごり、めきゃ、くちゃくちゃ。大口はオロチの頭部を咀嚼する。
長い首が胸から垂れていて、ずるずると少しずつ胸の中へと入っていった。
別の頭部が噛みつこうとするが、彼は剣を掴んで一瞬で切り飛ばす。
さらに別の頭部が水を吐き出すも、大盾に阻まれ、大剣から放たれた黒い光の斬撃によってあっさりと切り飛ばされる。
どさり、切り飛ばされた首の一本が私達の前に落ちた。
それを見てハッとする。
「リリア、今すぐにこれを持ってください!」
「まさかエレインも義彦みたいに胸で食べたいのか?」
「違います! 血ですよ! オロチの血液をとらないと!」
リリアとロナウドは「そうだった!」と急いで首を抱えてくれる。
私は革袋から大瓶を取り出し、急いで漏れ出ている血液を受け止めた。
これで、これでお父様が助けられる。
こんな時だけど私は安堵した。
大瓶が血液でいっぱいになるときっちり栓をして袋に収納する。
「残った肉はどうするでござるか?」
「それもとっておきましょ。素材としてなにかに使えるかもしれませんし」
二人に協力してもらって長い首を革袋の中に入れる。
ちなみに斬り落とされた首は、黒い靄が抜けて元のオロチのものへと戻っている。
ドォオオオオオオッ。
戦いは気が付けば終わりを迎えようとしていた。
最後の頭部が斬り落とされまいと力を振り絞って大量の水を吐き出している。
それはまるで間欠泉のようだ。人間ならひとたまりもない水の勢い中、義彦は大盾で防ぎながら耐えている。
少しでも時間を稼いで首の再生をするつもりらしい。
彼は突然守ることをやめた。
水流は胸の口の中へと吸い込まれ、彼は一歩ずつ前へと進む。
オロチは近づけさせまいと勢いをさらに上げるが、飲み込む方が早い為に頭部と口の距離が次第に詰まっていった。
ばくんっ。
胸の大口は最後の頭部をまるごと囓った。頭部を失った首は力なく地面に落ちる。
そこから義彦は大蛇の胸の上でしゃがみ込むと、その肉を引きちぎって胸の大口へと次々に入れる。
その姿は食事に夢中になっている獣のようだった。
「倒したのですか?」
「再生しないところを見るにそのようでござる」
オロチの死体から黒い靄が吹き出す。
それらは寄り集まり渦を巻いた。
ゴブリンキングの時と同じだ。
それは蛇のように長くなって身体をくねらせると、空の彼方へと飛んでいった。
「終わったみたいですね」
「でも義彦がまだ正気に戻ってない」
「問題はそれでござる。どうしたものか」
私はおそるおそる義彦に近づく。
彼は両手を真っ赤に染めて肉をむさぼっていた。
ここからどうやっていつもの彼に戻したらいいのか……。
分からないまま私は義彦の背後から抱きついた。
お願い、元に戻って。
ピタリと義彦は動きを止める。
「あ、あああ……」
「義彦?」
頭を抱えた彼はうめき声を出してうずくまる。
もしかして呼びかけに反応している?
「義彦! 元に戻ってください!」
「あああああああっ!」
「貴方の嫁であるエレインです! 義彦!」
「ああああああああああああああ! よめぇぇえええ! えれぃいいいいん!」
彼の目の光が瞬いていた。
私はさらに呼びかける。
「王国に無事に着いたら全てを貴方に捧げます!!」
「あああああ……うぉおおおおおおおおおおおっ!!!」
覆っていた外装が粉々に砕けて義彦の顔が現われる。
剣や盾は元通りになり、鎧は元の状態へと落ち着きを取り戻した。
「あれ? なんでこんなところに二人しているんだ?」
義彦はきょとんとした顔で私を見ていた。
「義彦! 良かった!!」
「なんだよいきなり。てか、すげぇ興奮するようなことを聞いたような気がするんだけど……なんだったんだろう」
首をかしげる彼を抱きしめたまま、私はそのぬくもりに心から喜んだ。
◆
次の日、宿に宿泊した俺達はピクリとも動けなかった。
レッドマッスルの副作用である。
実はあらかじめ宿には予約を入れてあった。
こうなることは予想していたからな。
避難から戻ってきた店主が宿の前で倒れている俺達を拾い、各部屋へと運んだというのがここまでの経緯だ。
で、俺の横のベッドで唸っている奴らが三人いる。
ロナウドにルイスにベータだ。
別の大部屋では今頃エレイン達が死に体だろう。
「話に聞いていた以上にキツいでござる」
「もうあのドリンクを飲まないって誓うよ」
「俺も同感だ。義彦に関わると身体がもたねぇよ」
ひどい言い草だな。俺だって同じ状態なんだぞ。
あ、そろそろトイレに行きたくなってきた。
「あぎぃいいいいっ!」
引きちぎられるような痛みに耐えて、枕元にあるベルをなんとか鳴らす。
すると店主が入室して尿瓶を布団の中に入れてくれた。
「ありがとう……」
「これくらい大したことじゃないですよ。義彦様には我が宿の幽霊を退治してもらった恩もありますからね。ああ、終わったみたいですね」
にっこりと微笑む店主に、俺は料金割り増しで払うことを誓う。
「はー、ひどい目に遭った」
「でも早めに対策を組んでおいて良かったです」
「助けもなく全員あの状態だったらと思うとゾッとするでござるよ」
「だよな。俺も過去の自分を褒めたい気分だ」
食堂で夕食を食べながら四人で談笑する。
ほとんど動かずに休めたおかげか、副作用は夕方にはなくなっていた。
なのでこうして食事をとることもできているわけだが、それでもまだ少し痛みは残っていた。
俺は宿泊の他に女性のお世話係も手配していた。
さすがに店主にエレイン達まで世話させるわけにはいかなかったからな。
運のいいことにほとんどの客はキャンセルしたらしいので、部屋も選び放題だった。
まぁ、別々だと世話が面倒なので大部屋一択だったわけだが。
今後はレッドマッスル対策として、世話ができる非戦闘員をパーティーに入れる必要があるかもしれないな。
「ナー!」
むしゃむしゃと肉と野菜を食べるピーちゃん。
戦いの最中はエレインの小物入れに入れていたのだが、取り出してみるとさらに大きくなっていた。
もう小物入れに収まりきらないサイズだ。
「やっぱり普通の猫と違って成長速度が早いようです」
「じゃあこれからは普通に歩かせるか」
「迷子になったりしませんかね?」
「大丈夫だろ。つーか、こいつあんまり離れたがらないし」
子猫の頭を撫でると、ごろごろと喉を鳴らして頭を擦り付けてくる。
そうだ、せっかくだし首輪とか付けてやった方がいいのかな。
近いうちに買うか造るかしてやるとするか。
「それにしても悔しいよな」
リリアがエールのジョッキをドンッと置いて不機嫌顔だ。
「なにがだよ」
「だってさ~、アタシ達が手も足も出ない奴を義彦はあっさり倒したんだぜ~。アタシもあれくらい強くなりたいよ~」
彼女は珍しく酔っ払っている様子だった。
ぺたんとテーブルに顔を付けて鼻先をピーちゃんに舐められている。
またその話か。
そう言われても、どうやってヤマタノオロチを倒したのか記憶にないんだよなぁ。
あるのはうっすらとなにかと戦っている、ひどくぼやけた光景だ。
たとえるなら夢を思い出しているようなつかみ所のない記憶。
「私はその鎧を封印するべきだと考えています」
「うーん、でもコイツのおかげで助かったし倒すこともできたから、今はまだ判断付かないんだよな」
「ですが、そのせいで義彦は正気を失いかけたんですよ?」
「じゃああのまま俺が死んでれば良かったのか」
「それを言われてしまうと……言い返せないじゃないですか……」
泣きそうな顔になるので「ごめん」と謝った。
「拙者は義彦殿の意見に賛成でござる。その鎧が危険な物なのは間違いないでござるが、何事も道具とは使い方次第。もしあの力を自由に引き出すことができれば、鬼に金棒ではござらぬか?」
「本当にできるのか」
「分からぬでござる。少なくとも何らかの結果は出るのではござらぬか」
この鎧を使いこなせれば俺はさらに強くなれる。
異世界最強を目指しているのなら無視することはできないよな。
「ただいま」
ルイス達が宿へと戻ってくる。
彼らは近くのテーブルに座りエールを注文した。
「それでどうだった?」
「町はまだ混乱してるよ。死傷した冒険者も沢山いるしギルドも大忙しさ。そうそう、ギルドが君達に報酬を用意しているから取りに来いって言ってたよ」
ルイス達はすでに受け取ったのか、テーブルに貨幣の入った袋をじゃらりと置いた。
かなりの額だったらしくやけに膨らんでいる。
彼らのエールが運ばれると、ルイスが俺に目配せする。
「無事にヤマタノオロチを討伐したことを祝して、乾杯!」
「乾杯!」
カチン。それぞれのジョッキが当たった。
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