三十八話 レイクミラーの戦い2
轟音と共に俺は瓦礫に埋まった。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
尻尾を叩きつけられて弾き飛ばされたんだ。
瓦礫を押し退けて立ち上がった俺は、咳と一緒に血を吐き出した。
身体の至る所が痛い。指を見るといくつか変な方向に折れ曲がっていた。
だが、剣を握るのに支障はなさそうだ。足も折れてはいないようで歩くことができる。
「無事か主人よ」
「精霊……守ってくれたのか?」
風の精霊が守るように背を向けていた。
そうか、彼が咄嗟にダメージを軽減してくれたんだな。
じゃないと即死だったはずだ。
「寸前で間に入って大部分の衝撃を逃したのだが、全ては無理だったようだ。申し訳ない」
「いいって。おかげでまだ生きてるんだからさ」
オロチはまっすぐ俺を見ていた。
ゴブリンキングの件でかなり怒らせているみたいだし、簡単には逃してくれそうにもない雰囲気だ。
ずるるるるっ。
奴は身体をくねらせ、猛スピードでこっちに迫る。
まだテトロドトキシンが効いているのか動きは目で追えないほどではない。
まぁそれでも時速80キロはあろうかってくらいには速いけどな。
ドスンッ。メキメキメキ。
至近距離まで迫ったオロチは八本の頭部で噛みつく。
それを俺は激痛に耐えながらギリギリで躱した。
しかしすさまじい顎の力だな。岩でも木材でも簡単に粉砕してるよ。
「義彦! 無事ですか!」
エレインがオロチの上空を高速飛翔し、細剣で注意を引こうと攻撃を行う。
「心配させるな! 本気で死んだかと思った!」
リリアが空中で身体を回転させて頭部を殴りつける。
「斬! 今は逃げるでござる!」
ロナウドがオロチの背中に刃を立てて俺だけでも撤退しろと言う。
三人の攻撃をものともせず大蛇は俺を狙ってすぐさま動き出す。
「はぁ、はぁ! 痛すぎて頭が朦朧とする……」
階段を駆け上がって住宅街に逃げ込む。
住民は避難しているので人気はなかった。
俺は建物の陰に隠れ、腰の小物入れから痛み止め薬を取り出す。
以前に作っておいたのが役に立ちそうだ。
小瓶を開けて一気に飲み干す。
じんわりと痛みが和らぐ感覚があった。
できれば中級ポーションを飲みたかったが、あいにくリュックはエレインに預けていてこの場にはない。
がちがちがち。
鎧がずっと空腹を訴えていて五月蠅い。
そろそろ機嫌を損ねる頃合いか。
早く本格的に撤退するか戦いを継続するか決めないといけないな。
ゴォォォン。
轟音が夜の町に響き渡り、建物を壊してオロチが姿を現わした。
大蛇と言うだけあって実にしつこい。
まだ俺を殺すことを諦めていないんだな。
「てやぁぁああああっ!」
ルイスが聖剣で斬りかかるが、鱗で弾かれてまったく相手にされている様子はない。
彼だけじゃない。エレインもリリアもロナウドも果敢に攻撃を行っている。
だがしかし、黒い靄に取り憑かれたヤマタノオロチは、周囲を飛び回っている蝿を追っ払うようにウォーターカッターを吐き出し、本気で殺そうとはしていなかった。
あいつの狙いは俺だけだ。それ以外は二の次。
なぜそんなにも目の敵にしているのかは分からないが、前回の戦いで俺という存在がひどく癪に障ったのだろう。
実際、俺がいなければ町を落とせただろうからな。
「主! 伏せろ!」
いきなり出現した精霊が俺の上に覆い被さった。
直後に大量の水が住宅を押し流し、俺はその流れに巻き込まれた。
何が起きた!? どこからこれほどの水が!?
なんとか形を保っている建物の角に掴まり、流されないようにその場にとどまる。
近くの建物が吹き飛び、ヤマタノオロチがにゅぅと顔を出す。
三つの頭部が天に向けて口を開くと、突如として巨大な水球がいくつも創り出された。
どぱんっ。
水球が破裂すると、再び大量の水が流れ込み住宅街の水位を上げる。
あいつ、あんな魔法まで使えるのか。
古い日本では川を蛇や龍に見立てていたと聞くが、まったくその通りだな。暴れ狂う水の化身にしか見えない。
奴は俺が見つからないせいか苛立っているようだった。
目に付く建物を破壊し、それぞれの頭部で四方に目を光らせていた。
ちょうど建物の陰にいるのでまだ見つかっていないが、ピット器官を備えた相手にいつまでも隠れ続ける事はできないだろう。
お、水位が下がり始めたぞ。
元々この町は湖より少し高い位置にある。
さすが湖の町と言うべきか、水はけも抜群にいい。
「ふぅ、これでまた走って逃げられそうだ」
「主!」
精霊の警告に俺は後ろを振り返る。
そこには建物と建物の隙間から覗いている大蛇の目があった。
しまった、見つかった。
ズガンッ。
建物が吹き飛び俺も同様に巻き込まれる。
なんとか立ち上がって逃げようとするが、足に力が入らずまともに歩くこともできない。
「ぎゃぁおおおおおおおおっ!!」
睥睨する八つの顔は愉悦に満ちていた。
ようやく探していた獲物を見つけたのだ。
「させんっ!」
風の精霊が間に入ってウォーターカッターを防いだ。
けど、二つ。三つ。四つ。と水流が増えたことでさすがの彼も守りを維持できずに霧散してしまう。
「くそっ……もう終わりなのか……」
それでも俺は身体を引きずりながら後退した。
ずりずりと近づく大蛇を睨み付けながら、それでもまだなんとか足掻こうと思案する。
ガチガチガチガチガチ。
鎧はずっと口を喧しくならしていた。
そして、とうとうズシンッと重みがかかる。
もう逃げられない。
そう悟った瞬間だった。
大の字で身体を投げ出した俺を、不思議そうな顔で大蛇が見下ろしている。
まるで『もう逃げないのか?』などと言いたそうな感じだ。
逃げたくても逃げられないんだ。
ガチガチガチガチガチ。
最大の失敗はこの鎧を造って身につけたことだな。
さっさとぶっ壊して別の防具を造れば良かった。
ガチガチガチガチガチ。
エレインやリリアやロナウドと会えなくなるのは寂しいな。
もし次も転生する機会があるのなら、この世界でもう一度生きてみたい。
ガチガチガチガチガチ。
あーもう、うるせぇな! 俺が人生を振り返ってんだよ!
少しは黙れないのか! この、大食らいのポンコツ鎧!
ドクンっ。
脳みそが揺らされる感覚に襲われる。
なんだこれ。なんかおかしい。
直後に猛烈な飢餓感に襲われる。
何でもいいから胃袋に入れたい。
腹が減った。何か食べたい。
――オレ、ハラヘッタ。
バクン。
俺の視界は真っ暗となった。
◆
私は町の上空で信じたくない光景を目の当たりにしてしまった。
義彦が大蛇に飲み込まれてしまったのだ。
「義彦!!」
バーニアの出力を最大にして、オロチの首に剣を振るった。
だがしかし、相手はステータス30万クラスの怪物。
私の攻撃では傷一つ付くことはない。
それでも細剣を鞭のようにしならせて攻撃を続けた。
ひどく心が乱れていて、斬っているのか叩いているのかすら分からなかった。
とにかく私の義彦を返してもらいたかった。
彼は私に希望を与えてくれた人。
彼がいたからこそ私はお父様や国を救えると本気で思えるようになった。
本当はどこかで諦めていた。どうせ公爵やスタークのいいように事が運んでしまうと。
私には力がなかった。
姫と言っても所詮はお飾りに過ぎず、姫騎士なんてレアジョブがあっても、それは私という女の価値を高めるに過ぎない装飾品のようなものだ。
従う者だってほとんどいない。私はスタークという男に差し出されるただの献上品。
でも、義彦は私に道を切り開いてくれた。
嫁だって言ってくれた時は、心の底から嬉しかった。
だってこんな私を、姫ではない私を、彼は欲してくれたのだから。
パキ、ッン。
剣が半ばから砕けてしまった。
それはまるで義彦の命が本当に尽きたかのような出来事。
静かに地上に降下した私は、地面に座り込んで呆然とする。
彼が強くしてくれた剣が……。
ぽろぽろと涙がこぼれた。
「いやぁぁああああああああああっ! 義彦、私を置いていかないで!!」
心が痛く苦しい。こんな気持ちは初めてだった。
私は、こんなにも彼を好きだったのだと思い知る。
短くも眩しい彼との日々が閃光のように脳裏で瞬いた。
「エレイン殿! ここは危険でござる!」
「でも、でも義彦が!」
「どういうことでござるか?」
私はロナウドにすがりついて義彦を助けて欲しいと懇願した。
けど彼は、目を閉じてしばらく沈黙した。
「ヤマタノオロチに飲み込まれて生還した者はおりませぬ。このようなことは言いたくありませぬが、義彦殿はもう死んだでござる」
死んだ……?
死んだって何??
その言葉を理解しようとしても、頭が拒んでぼんやりと分からない物にする。
「おりゃぁぁああっ! 分身撃からの二重大正拳!!」
ズ、ドムッ。
リリアがオロチに渾身の拳を食らわせる。
けれどダメージは皆無。
彼女は後方に回転しながら着地して、即座に構えると私に目を向けた。
「なんで泣いてるんだよ」
「義彦が……」
「あちゃー、もしかして食べられちゃった?」
なんでそんなに軽い反応なの?
義彦が食べられたのよ??
「リリア殿、エレイン殿のお気持ちを察っするでござる」
「え? ああ、うん。ごめん。アタシってさ、でりかしーとか分かんないから、ついなんでも思ったことを口に出しちゃうんだ」
リリアは苦笑いで謝罪をした。
私はロナウドの肩を借りてなんとか立ち上がると、腕で涙を拭い、己を奮い立たせて鼓舞した。
「義彦はまだ生きています。死んでなんかいません」
「しかしエレイン殿……」
「前例がないだけで、今回が例外になるかもしれないじゃないですか! 逃げたいのならどうぞご勝手に! 私一人だけでも彼を救い出して見せます!」
ロナウドの腕を振り払って私は折れた細剣を大蛇に向けた。
大きい。最初に見たときよりも遙かに巨大に感じる。
不思議なことに大蛇は動くこともなくじっと私達を見ていた。
その目は明確な意思をもって観察しているような印象だ。
「ぎゃぁおおおおおっ!?」
突然、大蛇が苦しみ始める。
身をねじり、建物に体当たりして鳴き叫んでいた。
「何が……起きているでござるか?」
「分かりません」
「ははっ、案外お腹の中で義彦が暴れてるのかも」
「「え??」」
ズシャッ。
ヤマタノオロチの腹部が縦に一直線に引き裂かれた。
そこから黒い両手が出てくると、割れ目を開いて真っ黒い人型が血にまみれて出てきた。
「まさか義彦!?」
「待つでござる。様子が変でござるよ」
ロナウドの言う通り、黒い人型は沈黙していた。
右手に持ったスタンブレイドと風の精霊壁を見れば、その者が義彦であることは明白なのに。
私は彼を見ながらなぜか悪寒を感じていた。
ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ。
鎧が口をせわしなく鳴らす。
それは黒い鎧に全身を覆われた人だった。
禍々しい悪魔のようなデザインの鎧。
頭部を覆う漆黒の兜は頭蓋骨のようであり、両側頭部には大きなねじれた角があった。その丸い闇の中でぼんやりと紅く光る目が、人間味を一切感じさせなない。
何より一番目をひくのは、胸にある大きな口だ。
鋭い牙を鳴らし、その奥から唾液にまみれた舌を覗かせている。
その尋常じゃない雰囲気は私だけでなく、ロナウドも、リリアですらも後ずさりさせる。
ばさっ。
その背中から漆黒のマントが出現した。
腕から闇が剣と盾に浸食し、漆黒の禍々しい物へと形を変化させる。
スタンブレイドは大剣に。
風の精霊壁は大盾に。
彼は私達を一瞥すると、くるりと方向を変えて大蛇に身体を向けた。
「ぐぎゃぁあああああああああっ!!」
「ハラ、ヘッタ……クウ」
そう呟いた義彦から戦慄するような圧力が私達を襲う。
殺気というものだろうか。
極寒に裸で放り出されたように震えが止まらない。
「な、なんたる殺気……信じられないでござる」
「アタシ、怖い。なんなんだよアレ」
ロナウドやリリアですら震えていた。
そして、戦いは始まる。
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