3-6
学生の傍ら、コンビニ店員として惰性で過ごしていた日常。客に恋して、フラれて、それでも日常は巡る。
そして突如、客として男が未知の生き物へと変貌し…現れたヒーローは恋した女性だった。彼女もその生き物と一緒で、人間ではなくて、でも、俺は。
「こんな大事になったのに誰も救急もパトカーも呼ばないなんて、寂しい世の中ですね…」
翔は俯きながら、あんにポツリと話しかける。まだ膝が震えて立てない。それもそうだ、まだ先の出来事から数分も経っていない。だがあんはひび割れたピンクの爪を眺めながら、あ~~、それのことならぁ、と間の抜けた声で返事する。
「もう手は打ってある。普通の警察も消防も来ないよ。」
「でも…お父さんは?病院に行かなきゃ…それにこんな大きな事件で、SNSなんかどうなってるやら」
「だから、大丈夫なんだって。これは政府の極秘事項なんだよ。あんたの知らないことや人がたくさん動いてる。誰にもバレることがないの。誰にも知られずにここまで来たんだよ。」
現にあんた、今までなんも知らなかったでしょ。あんの語気が強まった気がした。翔はすみません、と謝ってしまう。あいはガランと鉄骨を投げ、謝ることないよと手にこびりついた血をシャツで拭う。
「それが当たり前なんだよ。だってあんたは普通の人間なんだもん。」
「普通普通って…そんなこと言われても」
ハッと口をつぐむ。彼女たちの普通とは、俺のような何もない人間がただだらだら生きることを指すのだろう。彼女たちが与える普通のおかげで、俺たちの普通は守られてきた。あいは横たわる男を眺めながら翔に語りかける。
「忘れなよ。無理だろうけど。口止め料は払われる筈だよ。しばらく遊べるくらいの…だから私らのことも忘れて。」
「忘れてって…そんな」
翔は血溜まりに倒れる男を見て、ブンブンと頭を振る。
こんな光景二度と見たくない。あんな叫び声聞きたくない。こんなこと、起きてほしくはない。今回は無傷で、しかも自分だけだったが、もしいつか家族や友人が被害にあったら…想像するだけで倒れてしまいそうだ。
だけど。
「あんさん達は…これからも闘い続けるんですか?」
双子の顔など見られなかった。バカな質問だとわかっている。だけど、運悪く巻き込まれたバカな俺にも教えてほしかった。あいは小首をかしげ、ふむ、と遠くを見つめる。
「そーねぇ。人間がもう生物兵器なんてバカなマネはやめてくれたら、私らももう殺さなくていいんだけど」
あんはあいの髪についた血を落ちていたウェットティッシュで拭く。
「ごめんね。もうわかったと思うけど、私ら人間じゃないんだわ。だから、まともな人間のあんたは私らなんかより…」
「やめてください!」
突然の大声に、兼次家総出で大声の主を見る。下を見て拳を震わせながら、翔は涙をこぼし、言葉を詰まらせながら台詞を紡いでいく。
「普通だとか、人間じゃないとか、全然、わかんないですけど…わかんないけど!あんさん達が、自分のことをそんな風に言うのは悲しいです。」
「…と言いますのは?」
あい氏、空気を読めず質問。
「俺があんさんを好きになったのは、あんさんの家族がとても素敵だったから。どんなときでもずっと一緒で、両親も仲が良くて、"あー、こんな素敵な家庭に育った子だから、きっと素敵な子なんだろうな"って」
(さら…これ録画しといて…)
(駄目に決まってるでしょ!まもちゃん黙って!)
素敵と言われている両親が娘の告白シーンを小声で録画しようとしているのを信人は冷めた目で見ていた。
「あんさん、いつも笑顔が可愛くて、双子のお姉さんも優しくて、俺どんどん好きになりました。」
ヒュー、と口笛を吹いて冷やかすあいをあんは軽く小突く。
「それで…今日こんな恐ろしいことがあって、腰が抜けた情けない俺を助けてくれて…っ」
翔の真っ直ぐな瞳から涙が止めどなく溢れる。
「っなのに、忘れることなんてできません!もっと…もっとあなたのことが知りたいです!」
「……」
あんはなんとも言えない表情で立ち尽くしていた。こんな時、普通の人間だったらどんな風に声をかけるのだろうか。
「人間じゃないとか、生物兵器とか、そんなに俺賢い人間じゃないです、関係ないです、もっと好きになっちゃったんです。」
「付き合ってくれなんて言いません。友達じゃなくてもいい。ただ、忘れてなんて言わないでください…」
鼻水を垂らし、ビシャビシャになった顔を腕で拭う。
忘れたくない。彼女らが産まれた理由も、これからも誰にも知られずに闘い続けることも、この淡い恋心も。
信人は苦しかった。これが人間の恋なのかと。自分より年上の男性が、泣き喚きたくなるくらい焦がれるものなのかと。何より、翔の気持ちを微塵も理解できないのが苦しかった。
「好きにすればいいと思うよ。個人の自由だし。」
「まぁ、口外してくれなければね。」
あいは眉毛をクイ、とあげる。
「でも…あんら、わかってあげられない。今も、何であんたが泣いてるのかわかんない。」
翔は赤く腫れ上がった目を背ける。彼女は嘘をつくような人ではない。本心なのだろう。だからこそ、自分本位に大泣きしてしまったことを少し後悔した。
「いいんです、なんでも。俺のことはどうでもいいです。」
「…ごめんね」
「いえ…出会ってくれて、ありがとうございます。」
遅れて来たバンに、まもるが担架で乗せられていく。翔も高そうなスーツを着た大人達に連れられて、これから質問攻めにされるだろう。信人はまもるを心配してさらと共に行ってしまった。あいはバツが悪そうに足元に落ち、潰されたタバコの箱を蹴飛ばす。あんは少し、喉が渇いたような気がした。
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