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 欲しい絵のために手段を選ばない収集家がいる限り、絵画専門の窃盗犯は存在し続ける。

 盗まれた絵画は表舞台から姿を消し、裏で取引される。そのルートの一つとして、オークションがあるそうだ。

 収集家たちが集まり、自分のコレクションを自慢しながら、新しい美術品を買い漁る。数千万や数億の高値で売買が成立することもあるらしい。扱う品々の大半が、違法に手に入れたもののため、紹介状がなければ会場に入ることはできないようだ。

「俺は代理で参加した。表の人間から依頼があったんだ。『金に糸目はつけないから、中田秋成の『明星』を競り落としてくれ』ってな。だが、言われた通りに競り落としてみれば、依頼人がこの絵じゃないと言うんだ」

「主催に確認は?」

「もちろんしたさ。返事は『本物だ』の一点張り。これまで絵が辿った取引の記録まで渡されちゃあ、文句のつけようがなかった。未発表の遺作らしくて、情報も少ない。お手上げだが、このままだと大損だ」

「それはご愁傷様……ところで、依頼人はどこでこの絵のことを知ったの。未発表の作品なんでしょう?」

「依頼人が中田の娘なんだよ。実物を見たことがあるそうだ」

「ああ、それで」

「だからハル、お前の力を借りたい」

 雨はそう言うが、何故ハルのところに持ってくるのか。今聞いた話では、ハルにできることはなさそうだった。父の知り合いなら絵に詳しい人も多かったが、今は没交渉である。そもそもそちらにあたるなら、仕事(・・)の手伝いをしていた雨のほうが詳しいはずだ。

 そう尋ねれば、雨は目をパチパチと瞬かせた。

「だってハルは、この絵を見たことがあるだろう?」

「え?」

「『明星』の売買記録の初めに、『あの人』の名前があった」

「……お父さんの」

 その言葉ではっきりした。

「そっか、盗ったのはお父さんか」

 ハルの父は、絵画専門の泥棒だった。派手な予告状を出し、何度も新聞の一面を飾り、数年前まで怪盗と呼ばれて世間を騒がせていた。今はもう、手錠をはめられ塀の中だが。

 父がどこからか拾ってきて名付け、助手として使っていたのが雨だった。雨の日に見つけたから『雨』なんてセンスを疑うが、ハル自身も晴れた日に生まれた『晴』なので、あまり文句は言えない。

 父が絵画を盗む際、犯行の発覚を遅らせるためによく使う手があった。精巧な贋作とすり替えるという手口だ。その贋作の制作をしていたのは他ならぬハルであったが、あまり思い出したくはないことだ。

「見たことあるかなあ……うちにあったのって何年前?」

「お前が六歳か七歳」

「そんな小さいときのこと覚えてないよ。いろんな絵を真似て描いてはいたけど、まだ手遊びのレベルだった。雨は見てないの」

「俺もまだ、鍵遊びをしてた頃だよ。現場に連れて行かれるようになったのは、何年か後だ」

 じっくりと『明星』を眺めても、記憶には引っかからない。

「うちにあったなら、描いたと思うんだけどな……流石に全然覚えてない」

「描いていたら思い出せるだろ。お前の、絵についての記憶力は信頼できる。ゆっくり思い出せばいいさ」

「ゆっくりでいいの」

「……できれば急ぎで」

 大きく息を吐いた雨は、珍しく疲れた顔をしている。

「大丈夫?」

「あんまり大丈夫ではないな」

「だから、いつも言ってるのに。早く足を洗うべきだって」

「それは余計なお世話だ。大体、今回のこれは盗んだわけじゃない。安心してくれ、約束は守ってるさ」

 約束の話をわざわざ持ち出したのを、ハルは意外に思った。

 少し前に二人でとある勝負をした。ハルが負ければ『雨が盗みに使う贋作を描く』、雨が負ければ『盗みの仕事から足を洗う』――そんな条件をつけて行った勝負で、勝ったのはハルだった。そのときの雨には曖昧にはぐらかされたので、うやむやになったものだと思っていたが……。

「……能動的か、受動的か」

 ハルがぽつりと呟いた問いかけを受けて、雨は訝しげな顔をした。もっと直接的に言い換える。

「雨の場合は、盗まないのか、それとも盗めないのか」

「何が言いたいんだ?」

「自らの意思で盗みをしないと決めたなら、それは足を洗ったことになる。でも、絵のすり替えに使う贋作がなく、協力者もいないという不利な環境によって、今は偶々盗めないだけかもしれない。『今後一生やらない』が『足を洗う』の定義だと私は思うけど」

「なるほどねぇ」

 雨は感心したように頷いたが、明確な返答はない。

 彼はカップを空にして立ち上がった。

「絵は?」

「預ける。眺めるなり調べるなり好きにしていい」

 絵は部屋に置いて、ハルも玄関先までついていく。

「こんな時間に押しかけて悪かった。何か分かったら教えてくれ。また来るから」

「うん、またね」

 もう家主にはバレているのに、それでも雨はドアノブを慎重に回して、音を立てずに立ち去った。

「ちゃんと寝ろよ」

 ドアの閉まる直前にそんなことを言われたが、無茶な話だ。絵を前にしたハルが、夢中にならないはずがないのに。ましてや、興味深い難題を投げておいて。

 だからこそ、体を気遣うように釘を刺されたのかもしれないが、眠気よりも好奇心が勝った。

「さてと……取り敢えず、描いてみようかな。そうしたら思い出すかも知れないし」

 偽物か、本物か。

 ハルは邪魔な布団を隅に寄せ、片付けておいた画材を広げて、預かった絵を壁に立てかけた。

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