第65話 その背中に

 生徒会の仕事は順調に終わりを見せ始めていた。

 斉藤と二人でコンピューター室にこもった結果、あと二日もあれば充分だというめどが立った。

 そのため、今日の仕事は早めに終了。無理をせずに、残り二日で余裕を持って終わらせるようにして、学校を出た。

 斉藤にコンピューター室の鍵を任せ、天は先に帰らせてもらった。斉藤もまた、天を気遣ってくれたからだ。

 あまり気にしてもらうのも申し訳ない。やはり、明日はメロンパンを差し入れよう。


 まだ陽は落ちていない。いつものパン屋に寄る。すると、若奥さんも、天の体をしきりに心配してくれた。


「天くん、女の子泣かせちゃダメだぞー?」

「えーっと、その、はい。気を付けます……」


 なんとなく冷やかされている気もするが、実際泣かせてしまった罪があるので、大人しくうなずく。

 斉藤のためのメロンパンと、自分用のあんぱんを買って、天は商店街を歩いた。


 と、そこで、


「あ……」


 見慣れてきた背中を見た。

 肩で揃えられた黒髪。小柄な背中。今日は薄桃色のワンピースを着ているのは間違いなく、


海智留みちるさん……?」


 遮断機が下りている。赤いランプが鼓動のように光り、鐘はまるで脈打つように鳴っていた。

 思わず、走りだす。まだ体が小さな悲鳴を上げるが、気にせずに駆ける。鞄も、ビニール袋のことも忘れ、その背に手を伸ばし、


「ひゃっ!?」


 力いっぱい、抱きしめた。


 電車が通り過ぎる。しかしそれは、天の目の先、遮断機の中のことで、


「て、天、さん?」

「え、あ、あれ?」


 抱きしめたのは、確かに海智留みちるだった。ただ、そこはきちんと遮断機の外であり、


「あ、あの、その。急に、しかも不意打ちで抱きしめられると、さすがの私も恥ずかしいというか、なんと言いますか……」

「ご、ごめん!」


 全く安全な場所にいたのに、天は反射的に動いていた。

 飛び退くように離れ、謝る。仲が良くなったとはいえ、さすがに女性をいきなり抱きしめるのはよろしくない。


「お、驚きました……」

「ご、ごめんね海智留みちるさん。つい、その……」


 いつぞやを思いだして、走らずにはいられなかった。

 放り投げてしまった鞄と、ビニール袋を拾う。その恥ずかしさを誤魔化し、問いかける。


「ど、どうしてこっちに? 海智留みちるさんの家、反対側だし……」


 下手くそな疑問に、さらに恥ずかしくなりつつ聞いてみると、海智留みちるは持っていた紙袋を見せてくれた。


「あ、あの、これをお返ししようと思いまして……」

「え? あ、ほ、本?」

「はい、先日お借りした、名探偵の……」


 紙袋の中には、確かに貸した本が入っていた。


「い、言ってくれれば取りに行ったのに」

「天さんに持っていただくのは、まだかな、と思いまして。なので……」

「そ、そうだったんだ。気にしなくていいのに……」


 酷い勘違いをしたものだ。天は苦笑いすらできなかった。逆に、


「すみません。天さんとお会いするには、場所が、その……」


 海智留みちるに困り顔をされると、言葉を探すのに苦労する。

 海智留みちるは、紙袋を二つ持っていた。なので、その片方を、受け取った。


「ご、ごめん。もう片方は、持ってきてもらっても、いいかな?」

「は、はいっ」


 家に着くまでの道のりが、遠く感じる。天もだが、海智留みちるも突然のことで照れているらしい。

 しばらく無言で歩いていると、


「……すみません。天さんとお会いするには、場所が悪かった、ですね」


 海智留みちるに言われて、天はすぐに首を横に振った。


海智留みちるさんが悪いんじゃないよ。俺が、その……」


 なんとも早とちりをしたものだ。しかも、かなりよろしくない方向で。

 それだけ、あの一件が天の脳裏に焼き付いているということだが、


「……」


 天は、未だにあの理由を聞けていない。

 本を貸しに行った時だったか。海智留みちると、出会った時の話をしたのは。

 聞くべきなのかもしれないと、思い悩んでいると、あっさりと家に着いてしまった。道中、結局話らしい話ができていない。

 なので、


「ちょ、ちょっと待ってて、海智留みちるさん!」


 天は有無を言わさず本を受け取ると、鞄もパンも放り投げて玄関に戻った。


「あの、天さん?」

「えっと、ほら、もうこんな時間だし、送るよ」

「で、ですが……」

「いいからいいから……」


 夕焼けも、かなり暗くなっている。それを理由にして、天はまた、海智留みちるの隣に立った。

 また無言の続きがやってくる。しかし、天は意を決して、沈黙を破った。


「どうしてか、聞いても、いいかな?」


 何を、とは言わず、けれどそれはしっかりと伝わり、


「はい」


 と、海智留みちるは小さく頷いた。

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