第34話 変わる空気

 挨拶する相手もいない教室に入ると、いつものようにざわめきが消えた。

 が、それも一瞬だった。教室は、まるで天のことを気にしないとばかりに、また賑やかになる。

 空気が変わっている。ささやく声も、指さす笑いも聞こえない。自席も無事だ。荒らされた様子はない。

 望ましいことなのだが、急な変化に戸惑う。何もないことに首を傾げてしまうのは、いたずらに慣れ過ぎたからか。

 我ながら、嫌なことに慣れたものである。突然の平穏を受け入れるのに苦労するとは。

 

 授業中にも、何もなかった。

 急にどうしたというのだろうか。何か別の嫌がらせでも来るのかと、妙に緊張してしまう。

 だが、そんな天の思いとは裏腹に、全く何事もなく昼まで過ぎていった。


 海智留みちる、真波と合流して、今日も中庭で昼食。穏やかなものである。


「どうかしましたか? 天さん、何か考えごとをしているようですが」

「ん? ああ、大したことじゃないよ」

「それにしては、上の空といった感じがします。悩みがあるなら、相談してください」

「いや、あの……」

「……浜田さん、今度、天さんの家には本棚の奥を調べて……」

「いや、分かった、分かった、言うからそれは秘密にしてくれ」


 一応、あの後はブツの場所を変えたが、それはともかく。


「ちょっと、教室の雰囲気がおかしくて。なんだか気になるんだ」

「教室っすか?」


 真波も反応した。


「ほら、俺はその、いつも居心地悪くてさ。でも、今日はなんだか普通、だったんだよね。何もなくて」

「……ああ、なるほど。そういうことっすね」


 困ったように、真波が笑う。


「たぶん、この前のアレっすよ。副会長が、天センパイに謝ったアレ」

「え? ああ……」


 暴行をした、という濡れ衣を着せられた時のことだろう。


「あれから、色々話が変わったみたいですよ。あの副会長が、あの会長に謝った、ってことで」

「そう、なの?」

「はい。まあ、三橋のバカが全部悪かったんすけどね」


 表向きは、と真波は言う。


「まあ、ホントはアタシがキレたのが悪かったんですけど、天センパイと……、こいつが助けてくれましたから」


 箸で、昼食を取る海智留みちるを指した。


「そんで、会長である天センパイをどう見たらいいのかって悩む奴も出てきたみたいです。そのせいじゃないっすかね」

「そんな話が……」

「そのうち慣れる、ってのも、言い方悪いですけど。気にしない方がいいっすよ。今は天センパイのクラスも、そんな感じだと思います」


 当然ながら、天はそのような話など知らなかった。真波が教えてくれなければ、居心地悪い気分のまま過ごしていたに違いない。

 喜んでいいのだろうか。確かにいたずらはなくなったようだが、今までの出来事を忘れることもできない。


「天さん」

「ん? なに海智留みちるさ……」


 振り向くと、口の中に何かを突っ込まれた。思わず噛みしめ、


「せっかくのお昼御飯です。明るく食べましょう」


 もぐもぐと食べてみると、どうやら卵焼きだったようで、甘い香りが口に広がった。


「お前が話振ったんだろうが」

「はい、失敗したと反省しています。なので、お詫びに私の卵焼きを」

「はあ? ……んじゃあ、天センパイ、アタシのとんかつ上げますよ。その代わり、これくださいね」


 真波が天の弁当箱に一口かつを乗せ、肉団子を持っていった。


「対抗するなら、食べさせてあげるくらいとしないと」

「……いや、それはなんつーか、ハードルが高いっていうか」

「では、天さん、このきんぴらも差し上げます。お口を開けてください」

「あっ、テメッ!」


 苦笑して、丁重に辞退する。


 天の知らないところで、話は大きく変わっているらしい。

 どう受け止めたらいいのだろうか。悩みながら、パックの茶を飲む。いきなり周囲が変わったと知っても、天に思いつけるものはない。

 真波が言うように、気にしなければ一番いいのだろうが、そう簡単には割り切れない。

 

 二人の喧騒を真ん中で聞きながら、天は青い空を仰いだ。

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