第25話 言う奴、言われる奴

 土曜日、慎重に服を選んで家を出た。

 財布よし、ハンカチよし、髪の寝ぐせも直したし、服装に乱れも無い。

 勢いに流され了解してしまったが、一応、女性とのお出かけだ。隣に並んで恥ずかしくならないように、気を配った。

 九時に、駅で待ち合わせ。なので天は八時半を目指して家を出たのだが、


「……早いね」

「天さんなら、待ち合わせよりも前に来ると思っていましたので」


 空色のワンピースは、いつか家で見せてもらったものだったか。五月の新緑によく映える色合いだ。


「予定よりも早くなりましたが、行きましょう。今からなら、ちょうどいい時間で入れると思います」

「う、うん」

「ところで、私を見て、何か言うことはありませんか?」

「え?」


 言われて、すぐ思いつく。


「そうだね、えっと……」

「はい」

「えーっと」

「はい」

「……可愛いと思う。なんか、海智留みちるさんの雰囲気に合う色だし」


 おそらく、これが望まれた答えだろう。まさか、自分が女性に対してこんな言葉を作る機会が来るとは。

 制服姿とは違う海智留みちるは、たしかに可愛い。元々、顔が端正なので、シンプルで整った髪型と合わせればどんな服も着こなせそうだと思う。

 もっとも、天には女性の服装や、ましてや流行など分かるはずもないが。

 答えとしては及第点だと思うのだが、


「……え」


 海智留みちるが、少し固まった。


「か、可愛い、ですか、そうですか」

「え? なんか、俺、変なこと言った?」


 いつものすまし顔が、少し赤い。なんでもきっぱりと言い切る口が、もごもごと音にならない言葉を作ろうとしている。


「に、似合っている、くらいは予想していたのですが、その、可愛い、とまでは……」

「えっ、あっ、で、でも、可愛いから、きちんと伝えようと思ったんだけど……」

「わ、分かりましたから、二回も言わなくていいです」


 うつむいた海智留みちるは、ささっと天の傍らに立った。腕を絡めようとしてきたのだが、


「……ぅ」


 寸前で、手が止まる。この前は有無を言わさずに腕を取ったというのに。


海智留みちるさん?」

「きょ、今日は止めておきます。暑くなりそうですし」


 天気予報では、例年通りの過ごしやすい気候と言っていたが。

 自分の一言が、海智留みちるの調子を狂わせてしまったようだ。

 小動物のように縮こまる、ある意味で珍しい海智留みちると共に、駅の改札をくぐった。

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