第三章 別れの物語

病院

 目を覚ますと、いつものベッドでは無かった。


「ここ……どこ……」


 りーなは寝ぼけ眼でこうつぶやく。指に血中酸素濃度を計る機械が挟まっている。それと透明な点滴。


 しばらくぼーっとしていると、パタパタと音を立てて、慌てた様子の看護師の女性がやってくると、起きぬけのりーなの顔をのぞきこむ。


「あら、りーなさん起きたの?」


「はい、ここは?」


「病院。それよりもあなたがた、五日も起きなかったのよ」


「そんなに……」


 眠っていたのか。せいぜい一日、二日のことだと思っていたけど。そこであることに気づく。


「宗一君は?」


「そういえばもう一人の彼も起きたかしら。今見てみるね」


 看護師は出て行った。一人取り残される。一人異質な空間にいると、ここは夢の続きでは無いだろうか、そんな気がしてちょっと怖い。


 何か夢ではない痕跡を探してりーなの目はうろうろする。七時を指す時計、掛けられた布団、寝た時とは違うパジャマ、枕元の病院机の上に置いてある、るーの置き手紙。


 置き手紙?


 そうだるーは? 私たちを夢世界から助けてくれた? るーは。どうしているんだろう? いやそもそも何者なんだろう? りーなは慌てて置き手紙を読む。


 おかえりなさい、りーな。

 都合でしばらく会えません。

 必ず戻るので、戻ってきたら、

 また仲良くしてね!


「るー」


 そう言って手紙を胸にかき抱くりーな。なぜだか悲しくって悲しくって仕方なかった。


 しばらくして、車いすに乗った宗一がりーなの部屋までやって来た。


「りーな!」

「宗一君!」


「あらあら」


 そんな二人の互いの呼びかけに楽しそうな顔をする、宗一を押してきた看護師。


「足、痛いの?」


 りーなは宗一に聞いた。


「目が覚めてからは痛くない」


「じゃあ、なんで車いす?」


「いきなり歩いたりは危険ですからねー」


 看護師が代わりに言った。そして器用にりーなの枕元まで看護師は宗一を移動させる。


「で、どうでしたか、夢の世界は」


「!」


「なんで知ってる……の?」


「もしかして夢の続きか?」


 身構える二人に看護師は違う違うと手を横に振る。


「りーなさんのお父様が言っておられたのですよ。二人は夢の世界で同じ夢を見ているって。まあ信じがたい話ではあったけれど、病状も、脳波とか計ってみると全く同じで……。そういうこともありえるのかなぁ、と」


「お父さんが?」


 それを聞いてりーなは驚く。看護師は一旦呼吸をおいてまた話し始めた。


「そうですよ。りーなさんが目覚めなくなったと聞いて東京から飛んできて。高名な脳科学者さんなんでしょう?」


「ええ、まあ」


「お忙しいだろうに、つきっきりで。りーなさんをそちらの矢部君と一緒に病院に運んだのもりーなさんのお父様なんですよ」


「お父さん、なんで夢世界のことを知っているんだろう?」


「それはわかりませんが、まあ、高名な先生ですからご存じなのかも知れませんね」


「そういえばお母さん達は?」


「はい。お元気ですよ。昨日もお見舞いにいらっしゃいました」


「俺の両親は?」


「はい、そちらも」


「よかった……」


「おやおや、心配される側が心配するなんておかしなこともあるものですね」


 そう言って看護師は笑った。そして車いすの宗一を促す。


「そろそろ……おいとましましょうか」


「え、俺はまだ話したいこととかあるんだけど?」


 宗一は看護師を振り返り、軽く腰を浮かす。


「それは後、後。検査とか、着替えとかありますし、それともいっしょにします?」


「!」


 気恥ずかしさにりーなの顔が赤くなる。それは宗一もだ。断固として宗一は言った。


「結構です!」


 宗一は去って行った。もう一人、新しい女性の看護婦がいろいろと検査とか着替えとかを手伝ってくれた。


「ねえ、退院っていつできるの」


「とりあえず検査が終わってからね。それにご両親に元気な顔を見せてあげないと」


「ご飯は?」


「それも検査後ですね。ごめんなさい」


 着替えた後、女医がやって来てまた簡単な検査をしていった。りーなは時計を見る。普通なら学校へ行っている時間。なんだか手持ちぶさただ。


(宗一君はどうしているかな)


 なんか急に日常に戻された感じ。夢の世界でのことは全部覚えているのにあれが夢の中だけで行われていたなんて信じられない。それくらい生々しい夢だった。そんなときだったりーなの個室をノックする音がした。


「はい」


「俺だよ。りーな」


「宗一君!」


「点滴取れたんだ。だからこうしてお前の顔を見に来た。迷惑だったか?」


「ううん、そんなことないよ」


 りーなは首を横に振る。宗一は椅子を出してりーなの枕元に腰掛けた。


「よかった」


 りーなの顔を見て、微笑む宗一。


「何が?」


「忘れてなかった。お前への気持ち。夢が覚めたら忘れちゃうんじゃ無いかと思っていたけどちゃんと覚えていた」


「宗一君……」


「好きだよ。りーな」


「ありがとう、私も……好きだよ」


「うん」


 そのまま二人はしばらく互いを見つめて黙っていた。それだけで幸せになれたのだ。本当に、それだけだけで、人というものは幸せになれるのだ。


「……」


 そろそろ何か言わなくては、いやそろそろさらに二人の関係を前に進めなければ、そう二人のどちらともが思い始めた時。


 トントン。


 りーなの個室をだれかがノックする。しばらくして看護師が顔を出した。


「お父様がおいでですよ。今大丈夫ですか?」


「は、はい、大丈夫です」


 りーながそう言うと、ひょっこりと、りーなにとって懐かしい顔が飛び出した。りーなの父親だ。背広姿かと思ったらラフな姿をしている。宗一は軽く挨拶し、脇にどいた。


「りーな、久しぶりだな、こうして無事に会えて嬉しいよ」


「お父さん」


「元気そうだな。心配したぞ。今医者に聞いたら食事は昼から食べられるそうだ。ところで……」


「どうも、矢部宗一と申します」


 りーなの父親の視線を受けて、宗一はりーなの父親に挨拶をした。


「君のことも知っているよ。娘が色々世話になっただろう、ありがとう」


「ねえ、なんでお父さんは夢世界のこと知ってるの? 東京の研究と関係あるの?」


 りーなは期待を込めて尋ねたが、りーなの父親は首を横に振るだけだった。


「ないよ。ただお前の友達のるー、って子が教えてくれたんだよ。りーなと矢部君、二人は一緒の夢を見ているってね」


「るーが……」


「私がしたことはそれを確かめることだった。どうやらその子の言うことが正しそうだってわかったのでね。こうして病院に移した。迷惑だったか」


「迷惑なんてそんなことないけど……」


「どうした、言ってみなさい」


「るーは? るーは今どうしているの?」


「連絡が取れない。学校も休んでいるようだ」


「そんな……」

「マジかよ……」


 その言葉を聞いて二人ともうなだれる。あのとき、確かにふたりはるーの声を聞いたのだ。そのるーがいま現実世界で連絡が取れない。なにか嫌な予感が二人にはあった。


「それより夢世界というのは本当にあったのか、矢部君と同じ夢をお前は見てたのか?」


「それは、はい、そう、だけど」

「間違いありません、そうです」


 りーなの父親の問いに、二人は口々に言う。


「そうか……」


「どうしたの、お父さん」


「この子も大人になったなぁと」


「やめてよ、その言葉。子供はけっこう傷つくんだからね」


 気まずそうな宗一の顔を見てりーなは言う。


「悪かった。そして何らかの理由でその夢から抜け出してきたというわけかね。ここからは私の推測だが」


「うん、そうだよ」


「危険は無かったか」


「危険だらけだった」


 思い返してりーなは答える。するとりーなの父は姿勢を正して頭を下げた。


「そうか、すまない……」


「なんで謝るの」


「親がいないところで子が危機に瀕していると親はすまなく思うものなんだ」


「それで退院はすぐできるの?」


 りーなは聞いた。


「まあ、そうだな。でも、一日ぐらいここで休んでいけ」


 それを聞いてりーなは父親に言った。


「ごめんお父さん、また夜になって夢を見たくない。宗一君と一緒に夢を見る原因は取り除かれてないから」


「また同じ夢に落ちて目覚めない可能性があると?」


「うん」

「はい」


 父の言葉にりーなと宗一はうなずいて答える。


「……」


 りーなの父親は少し考える。そして言った。


「私はどうすればいい」


 いままで黙っていた宗一が口を開く。


「行きましょう、三人で」


「どこへだね、矢部君」


「山です」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る