墓標と第三者

ここ、登っているみたいね」


「ああ、少しだけど坂になってる。……何だ?」


 湖だったところを渡ってしばらくして、二人は坂を登っていることに気がついた。

 そしてその物体を先に見つけたのはりーなよりも背の高い宗一だった。

 りーなも気づく。登った先、小高い丘に、黒い、影のような低い建造物が、いくつも規則正しく並んでいる光景に。二人は顔を見合わせる。


「なんだろ?」


「わからない、このまま進んでみよう」


 しばらく歩くとわかった。辺り一帯、黒い墓標のような長方形の人工物が規則正しく並んでいる。


「どうする? 回り道、する?」


 その光景にぎょっとしたりーなが宗一に聞いた。


「うーん、危険は無いみたいだし、このままつっきろう」


 宗一は答える。


「でもなんか薄気味悪いよ」


「でも、どこまで続いてるかわからないぜ、これ」


 果てを見渡して宗一が言う。もう進む方向はこの黒い人工物が並んでいるところしか無いようだ。黒い人工物は近づいてみると腰ほどの高さで、前後左右、規則正しく並んでいる。


「そうだね……」


 りーなも仕方なく了解した。さらに近づき、黒い標(しるべ)がある領域へ踏み込む。


「ちょっと調べてみたいけど、いいかな?」


 そう言ってりーなは近くにあった一つの標(しるべ)の前にしゃがみ込む。


「なんか書いてあるか?」


 宗一が聞く。どうやら標(しるべ)には何も記されていないようだ。りーなは立ち上がり、首を横に振った。


「ううん、別に」


「そうか。じゃあ、進もう」



……。

……。



 自分たちの足音しかしない中を二人は黙々と歩いて行く。規則正しく置かれた標(しるべ)は延々と続いていく。終わらない標(しるべ)の並びと寂しい情景にりーなの心はざわつき、不安になった。


「何も音がしないのが気持ち悪い……」


「何か音がしたらそれこそ気持ち悪いだろ」


 りーなの不安に宗一が返す。


「でもなんか出てきそうだよ、ここ……」


「……夢の穴だけ見て歩こうぜ。そうすれば、大丈夫だ」


「でも……」


「……ほら、顔を上げて進もうぜ」


 歩きながら、りーなの不安に答える宗一。けれどりーなはどうしても上を向いて歩けず、下の薄気味悪い光景が目に入ってしまう。そしてこの光景を見ているのが耐えられなくなってしまった。突然しゃがみ込む。そして言った。


「ちょっと待って。休む」


「ここでか?」


「うん……」


「……」


 宗一は無言で頭をかいた。りーなはそんな宗一を見て謝る。


「……ごめん」


「ほら、手、だせ」


 すると宗一がりーなに手をさしのべてきた。


「え?」


「だから、手だせ。握っててやるから。早く先に進もう」


 宗一は手を伸ばし、りーなを促す。


「……え? やだよ、恥ずかしい」


「そうか。じゃあ自分の足で歩こうぜ」


 手を引っ込め、宗一は言った。


「それは……、ちょっと」


 りーなはそれもできないでいる。だからといって何かする当てもなく。そんなりーなを見て宗一が突然叫ぶ。


「あーっ、まどろっこしい!」


 そして、一人天を振り仰ぐ。


「ちょっと! 何かいたらどうするの?」


 りーなは言うが宗一は意に介さず叫んだ。


「どうしていつもの夢のようにならない?」


「私だって知りたいよ! なんでこんな夢で!」 


「俺だってもっと楽しい夢でお前と閉じ込められたかったよ!」


「私だって!」


「はぁ……」


 そして二人でため息をついた。長い沈黙が訪れ、やがて耐えきれなくなった宗一がりーなに向かって呼びかける。


「なあ、とにかく、ここから先に進まないことにはどうしようも無いと思わないか?」


「……ごめん、もう、無理」


 りーなは声を振り絞る。本当は今すぐ帰りたい。こんな夢から覚めたい。けれどそれができなくて。何かもが思い通りにならなくて。それが苦しい。


「……」


 反対に宗一は困ったように頭をかしげ、こめかみにて指を当てる。いや、実際に宗一は困っていた。同じ年の女の子の扱いなんてどうすればいいかわからない。一体どうすればいいのか。どう扱えばいいのか。それがわからなくて宗一は困って、いや、戸惑っている。


「……」

「……」


 二人して途方に暮れていると。


「何かお困りですか、な? あなたがた?」


 そんな二人のものでは無い声が近くでした。



▽▽▽



「誰?」

「誰だ?」


 二人は弾かれたように声をした方に振り返る。けれど宗一は声の主は見つけられない。さっきの声はたしかに近くでしたはずなのに。宗一は視線をきょろきょろさせてなんとか声の主の姿を探そうとする。


「宗一君、下!」


 りーなは思わず助け船を出す。座り込んだりーなからはその声の主が見えていた。


「ははは。その通り、もっと下です、下」


 声の主も助け船を出す。宗一もようやくその姿を捕らえた。全長十センチぐらいのふわっふわのクマのぬいぐるみ……のような生き物? なんだろう、これ。りーなと宗一は二人して顔を見合わせる。


「なんだろう、これ?」


「さあ、なんだ、これ……? クマ?」


「おやおや、私をクマ扱いとは、失礼です、な、失礼かもです、な」


 二人が言うとクマのぬいぐるみのような生き物は不機嫌そうに言った。とにかくこの変な夢に初めて出てきた話ができそうな相手である。りーなはすばやく謝るとその生き物に逆に聞いてみた。


「ごめんなさい。あなはのこと詳しく知らなくて。あなたはなんと呼べばいいの? それとここはどこ? だれの夢なの?」


 りーながまくしたてると、クマのぬいぐるみのような生き物は困ったように言った。


「ムム、質問が三つもです、な。答えるのは大変です、な」


「それじゃあ、あなたの名前からでいいわ」


 りーなが言うとクマのぬいぐるみみたいな生き物は右手を大きく回して、優雅に騎士がするような一礼をすると答え始めた。


「かしこまりました、な。私はこの夢世界を管理するのが使命のネスと申す者。お二方がお困りのようなのでこうして姿を現した次第でございます、な」


「ネスさん? 私たちさっきからずっと困ってたんだけど……」


 りーながいうとネスはもう一度優雅に一礼する。


「それは失礼。この夢世界はただいま絶賛拡大中でありまして、お二方の声が拾えなかったこともあるかと。申し訳ございません」


「夢世界って言ったぞ、このクマ」


「クマではございませぬ、な! 二度も言われては我慢できないのです、な!」


 宗一が口を挟むとネスはいきり立つ。


「宗一君、合わせて、合わせて。それとネスさん。ごめんなさい。怒らせてしまったみたいで」


 りーながそう言うと宗一は不機嫌そうにそっぽを向いた。反対にネスの機嫌は直った様子だった、ネスはりーなの方を向き直る。


「失礼しました。マドモアゼル」


「ううん、いいの、あ、わたしはりーな、向こうの男の子は宗一って呼んで。あと、それと私からも質問なんだけど、ここ夢世界って言ったわよね。誰かの夢の世界なの」


 りーなの問いにネスは表情を変えずにゆっくり首をかしげた。


「その答えはイエスでありノーでもあります、な。難しいです、な」


「難しいの?」


 りーなが驚くとネスは小さく頷いた。


「まず夢の世界というのは正しいです、な。ビンゴです、な」


「うん。それで?」


「けれど誰かの夢というのは正しくないですな。間違っているですな」


「え? どういうこと?」


 りーなが首をかしげると、するとやおらネスはぴしっと姿勢を正す。


「ここは生き物全て、共通の夢世界になることを希望しております、な。そう、なりたいのであります、な!」


「なにそれ!」


 ネスの高らかな宣告にりーなはあんぐりと口を開けて問い直す。


「まあ簡単に言えば地球そのものが、夢を見ていると思えばいいでしょう、な。たぶん」


「え、地球の夢? 地球って夢を見るの?」


「いまこいつ、たぶんって言ったぞ」


 いままで話を聞いているだけだった宗一が口を開くが、ネスは聞こえなかったのかそれともわざと聞かなかったのか、りーなの方だけを向いてく言う。


「とにかく、お二方は大きな、大変大きな夢に取り込まれたわけです、な。しかも、地球人の皆様方より一足早く。いや大分早く」


「それで帰る方法は?」


 りーなが聞くとネスは首をかしげる。


「なぜ帰る必要があるのです?」


「帰してくれないと困るよ」


「なぜ困るんです」


「えっと……。なんで、だろうね……」


 りーなは思わず口ごもる。こんな空っぽの世界で男の子と二人きりなんて! ってネスに言いたいけれど、なんか急に恥ずかしくなって言えなくなってしまった。


「普通に困るだろ。明日も学校あるし」


「そう、私たちは学校があるのよ!」


 宗一の助け船にりーなは飛び乗った。けれどもネスの答えは意外なものだった。


「そんなもの、もう行かなくて良いですな」


「えーっ!」


「えっへん。この辺りを見て回るといいでしょう、な。このあたりは建設中でもそれなりにできてきている部分なので、いろいろと見て回っても楽しめる……と思います、な」


「おい、じゃああの穴は?」


 学校なんて行かなくていいと言われて唖然としてしまったりーなの代わりに宗一が口を挟む。


「何ですかな?」

 

 ネスが言った。宗一が指さす。


「何って光っているあの穴だよ。あれはなんだ? なんでああなった? 夢世界を管理しているならわかるはずだろ?」


「さあ、いったい何でしょう、な。とりあえずこの辺りを見て回るのをオススメします、な!」


「おいクマ、この辺りって、墓標みたいのばっかりで何もないじゃ無いか! ……本当に退屈な夢だな。俺はこんな夢、早く覚めたい」

 

「退屈とは失礼です、な! それにクマとは二重に失礼な奴です、な!」


「実際退屈だし。第一この世界は建設中なんだろ。ならできてからまた来るよ。それでいいだろ」


 宗一は言うとネスはうなった。


「ムムム。それはそうなのですが……」


 そんなネスに呆然から覚めたりーなが尋ねる。


「ねえ、私も宗一君と同じでここから帰りたいの。帰る方法ってあるの?」


「お二方はイレギュラーな存在なのは確かなのですが……。帰る方法は……です、な……」


「どうなの!」


 りーながネスに詰め寄る。


「申し訳ありませんな。今のところここから帰る方法はございません、な。はは、ははは」


 ネスはおどけたように言う。そんなネスを宗一は両手でつまみ上げ前後に揺さぶる。


「おい、クマ! なんとかしろよ! 俺達は帰りたいんだよ」


「あいかわらずクマよわばりとは、失礼な奴です、な。四度も言うなんて失礼千万な奴です、な」


 ネスは揺さぶられながら声を出す。


「そんなことはどうでもいいだろクマ。おい、ここから帰せ!」


「五度目。失礼な奴には……。ツウシンをテイシします」


「ん? 急に声が変わったぞこいつ」


「待って、いかないで!」


 怪訝そうな宗一に叫ぶりーな。けれど全ては遅かった。ネスは『ツウシンをテイシします』と言ったきり電池が切れたように動かなくなってしまった。りーなは声を出す。


「えーっ」


「あ、あれ……これ、マズい?」


 宗一も事の重要さに気づいたようだ。もう動かなくなったネスに呼びかける。


「おーい、ネスさん」


「……」


「ネス様?」


「……」


「だめだな、これは」


 そういって宗一はネスを地面に置こうとする。


「ちょっと、諦めないで!」


 そんな宗一からりーなはネスを強引に奪うと抱えて頭をなでた。


「お願い。ネスさん。もう一度声を聞かせて」


「ちぇ」


 宗一はそう言って横を向く。りーなは何度かネスのことをなでて赤ちゃんにするようにあやしてみたが、声を出すことは無かった。電池が無いかと背中を見たり、軽く叩いてみたりして、りーなは色々試してみるが、結局諦めてネスを地面に置く。


「ダメみたい」


「そうだな」


 やっぱりどこか不機嫌そうに宗一。そんな宗一を見ながらりーなは言った。


「どうしよう」


「……むー」


 考える宗一、りーなの視線に気がついて言った。


「……あの、これ、……俺のせいだよな」


「うん」


 りーなは当然のようにうなずく。


「うーん、そっか。……でもいいよな。必要な情報は得たし」


「え?」


「だから必要な情報はあのクマから得たよな、お前もそう思うだろ?」


 宗一は逆に聞いてくる。りーなはなんて答えればいいのかわからずまた声を上げる。


「ええーっ。なんでそんなこと言うの宗一君?」


「ええーって言われても困るっていうか……というかそいつ敵だろ?」


「敵?」


 宗一の言葉にりーなは首をかしげた。


「つまり、俺たちを夢に引き込んだ、敵」


「ネスさんが敵って、どこで決まったの?」


「このおかしな夢の管理者って堂々と名乗ってたんだぞ。敵にきまっている」


 宗一はネスを指さして言う。りーなは思う。確かにそういう考え方はしなかったけれど……。


『敵だからって、ああいう扱いしてもいいの?』


 そうとも思う。宗一のやり方は乱暴すぎたようにも思える。もう少しネスの話を聞いていたかった。そうすれば色々わかったし、この宗一との二人旅ににぎやかな三人目が加わったかも知れないのに。


「でもさ、敵っていわれてもぴんとこないよ」


 りーなが言うと、宗一は頷いた。


「じゃあ整理してみようか。あのクマが言った情報を」


「うん」


 クマじゃ無くてネスだけど。りーなは心の中で付け加えながらうなずいた。


「まずここが夢の世界であること。それも俺やお前の夢じゃ無い、別の誰かの夢の中であると言うこと」


「そういえば地球の夢、って言ってたね。地球って夢を見るのかな」


「それは次に言うつもりだった。……次いいか?」


「はい、どうぞ」


 話したがりそうな宗一をりーなは促す。


「次にこの夢の世界が建設中の作りかけの世界と言うこと、そしてその目的は、地球上の生き物全ての夢になることだっていうこと。クマが言うには地球の夢、だな」


「うん。だから?」


 首をかしげるりーなに宗一はややあきれたように言った。


「だからってだな……俺は作りかけの夢なんて聞いたこと無い。地球が夢を見るなんてこともだ。お前あるか?」


「ない」


「だろ、それに地球の夢って変だろ」


「そうかな、わたしはわりかし普通に受け入れられたけど」


「マジで?」


 りーなの言葉に宗一は驚いた。


「うん、地球が夢を見るって、なんとなくわかる」


 けれどもりーなはそんな宗一の顔を見はっきりと答えた。その答えを聞いて、宗一は戸惑っているようにも見えた。何か変だっただろうか? りーなは思う。


「……そう。うーん、まあお前の考えはいいや、次のヒント、言っていいか」


「うん」


「あいつはここから出る方法は今のところ無いって言ってた」


「言ってたね……困ったね」


「でもな。俺はそれは嘘だと思う」


「嘘?」


 りーなはおうむ返しに言う。宗一が力強く頷いた。


「そう、これが一番最後のヒントだ。クマが、いやネスが、俺たちを行かせようとしなかったところにこそ、答えはあると思う」


 そこまで言って宗一は、言葉を一度切る。


「ネスが、行かせようとしなかったところ。それはあそこだ」


 手を伸ばし宗一は遙か遠くの夢の穴とそこに伸びる柱を指さす。


「あいつはそれを口にした時、明らかに態度が変わった。だから、そこへ行けば何か変わる、ここから出られる、かも知れない」


「……」


 りーなは答えることができない。宗一の言葉を聞いて、理解できはしたが、何も言うことができない。何を言えばいいんだろう。りーなはわからなくて言葉を失う。宗一はネスがさっきしたように、姿勢を正す。


「りーな。俺はあそこへ行きたい。どうしても行きたいんだ。ついて来てくれるか?」


 宗一は言い、言葉を続ける。


「迷惑かけるけど。ここでずっと何もせずに、ネスの言うように、いつできるかも知れない夢の世界の完成を待つなんて俺は嫌なんだ。りーな、お前はどうだ?」


 宗一はりーなのことを真剣な顔で見ている。断ったら、もし断ったら宗一は一人でも行きそうな気がした。


「……」


 だからりーなは決めた。ずっと宗一と一緒にここまで来たんだから、最後まで宗一と一緒に行くと。


「……そうだね。ここでずっと待っているなんて私も嫌だよ」


 少し考えりーなは言う。その答えを聞いて宗一の顔があからさまにほころんだ。


「じゃあ」


「行きましょ。あの夢の穴と柱のあるところまで」


「ありがとう! 助かる!」


 宗一は心底嬉しそうにりーなの手を取ろうとする。


「あ、それとネスは連れて行くからね」


 りーなは付け加えるように言った。宗一の手が止まる。


「え? なんでさ」


「ひとまず動かなくなったけど、貴重な情報源でしょ」


「それはそうかも知れないけどさ……」


「何よ?」


「……何でも」


 宗一は口ごもる。何か面白くないらしい。


「それじゃあ、行こうか」


「うん、悪いな」


「いいって、いいって」


 りーなはネスを抱きかかえて立ち上がると、夢の穴を見た。宗一も並んで同じ物を見る。そしてどちらともなくまた歩き出した。黒の標(しるべ)はさらに続いていく。


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