しばらく歩く。ふと何か思い立ったのか宗一はりーなに足を止めずに話しかけてくる。


「ところでさ、あれのことだけど。なんて呼べばいいのかなぁ」


 りーなは宗一の視線の先を見る。ひしゃげた、光あふれる穴と、それを貫くように立つ柱。この地平線上に見える物はそれしかないし、宗一が言っているのもそのことだった。りーなはわかったというようにうなずく。


「たしかに。なんか一言で形容しがたいよね」


「だから、名前をつけようと思うんだ」


「目的地に?」


 歩みを止めずにりーな。


「そう、なんかいいアイデアあるか。無ければこちらで決めるけど」


「特にない」


 そっけなくりーなは答える。歩くのに集中して考えなんて浮かばなかった。


「そう、それじゃあわかった。……夢にできた穴で、『夢の穴』と言うのはどうかな?」


「いいんじゃない。実際に穴空いてるし」


「でもよく考えれば変だよな、空に穴が空いてるのって」


「変だけど、そこに向かっている私たちもたぶん、変だよ」


「そうだな」


 りーなの言葉に宗一は同意する。


「それにしても二十キロかぁ。遠いね」


「一応、目安だからな。休み休み行けばいいさ」


「うん」


 二人はそんなことを話しながら夢の穴に向かって進んでいった。


▽▽▽


 そうして、二人で歩みを続けていると、りーなの耳に小さな音が聞こえてきた。


「ねえ、何か聞こえない?」


「波の音、みたいだな」


 宗一が応じる。波の音。確かに言われてみればとりーなは思う。


「この先に何かあるのかな」


 何かある。何もない世界に何かある。二人は少し期待して歩みを進める。

 しかし少し進むと湖が二人の進路を邪魔するかのように現れただけだった。


「あちゃー……」


 まっすぐ進めないことに気づいた宗一が落胆の声を出す。


「回り道しないとだね。あれが見えるところで良かった」


 りーなは指さす。そこには変わらずひしゃげた穴とその向こうから差し込む光が見えている。宗一も同意した。


「そうだな……。目標が見えるだけましか」


「それより湖だよ。ちょどいいし、少し休んでいこうよ」


「ああ、そうだな」


 りーなと宗一は湖のほとりで座り込む。湖はたゆたい、裂けた穴の向こうからの光を受けてきらきら輝いていた。波が立ち、岸辺に白波を打ち付けている。それを眺めて宗一が言った。


「真新しい湖だな」


「なんで?」


 宗一の言葉にりーなは聞く。


「岸が波に削られてない。というか石そのものが無い。まるで、水だけここに運ばれてきたみたいだ」


「湖の水、なめてみようか」


 ふと、りーなは口に出してみた。


「止めておこうぜ。腹壊したら元も子もないし」


 宗一が止める。


「でも、なめてみないと真水か塩水かわからないよ」


「海なら磯風でわかるだろ。……。この水は海水だな。たぶん」


 宗一は立ち上がると両手を広げ鼻をひくつかせ言った。


「わかるの?」


 りーなが言うと宗一は驚いた顔をしてりーなを見た。


「なんだ、お前、もしかして海見たこと無いのか?」


「うん」


 りーなはうなずいた。都会に住んでいる時に両親に海に連れて行って貰ったことは無かった。いまの場所に越してきてからは山ばかりで海なんて行ったこと無い。小学校の修学旅行も山と湖だった。だからりーなに海の記憶は無い。


「宗一君は、海見たことあるんだ」


「まあな、引っ越し続きの家だったしな、海のそばに住んでたことも、まあある」


「そうなんだ……。ねえ、宗一君のご両親って、どんな人?」


「別に。転勤の多いサラリーマンだよ。お前は?」


「私? 私の両親は……」


 りーなは少し考える。はっきり言ってしまっていいのだろうか? でも宗一の方が先に語ってくれたのである。自分も言わなくてはいけない気がした。口を開く。


「お父さんは東京で研究してる。お母さんと私はおばあちゃんの面倒を見るために、東京からこの街に引っ越してきたの」


「ふーん、何年ぐらい前?」


 引っ越しに興味を抱いたのか、宗一が尋ねる。


「もう五年かなぁ」


 りーなは答えた。


「都会とか、懐かしくならないか?」


「うーん、別に。こっちで友達も出来たし」


 りーなはるーのことを思い出しながら言う。


「……ふうん」


 ちょっぴりさびしそうに宗一は言った。そういえば宗一に友達はいるんだろうか。引っ越しを繰り返してきたと言っていたから、親しい友達と呼べる者はいないんじゃ無いだろうか。


「宗一君は。さ、友達とかいる?」


 だからりーなはそっと聞いてみた。


「そりゃいるさ。でもあのるー、だっけ、ああいう何でも話せる親友みたいなのは、俺にはいない」


「そう……」


「友達に話せずにいたんだ。お前が出てくる夢の話。でもお前には話せる相手がいた。それがうらやましいよ」


「……」


 それっきり二人は黙って湖を眺める。どれくらい眺めていただろうか。りーなは妙なことに気がついた。宗一に言う。


「ねえ、気のせいだったらいいんだけど、なんか、湖、こっちに近づいてきてない?」


「……気のせいじゃ無いな」


 宗一が立ち上がり、身構えて言った。りーなも慌てて立ち上がる。そう、気のせいでは無かった。湖がゆっくり二人がいた方向に迫ってくる。遠かった岸辺がすぐそばまで迫り、波が渦を立てて湖面を揺らす。そして――。


「か、怪獣!」


 りーなは思わず口にした。そう、りーなが言うように湖面から奇妙な怪物の顔が姿を現したのだ。怪獣の顔には目は無く、とげとげしい歯がいくつも生えた大きな口とその先に鼻があるだけ。鼻をひくつかせ辺りの様子をうかがっている。


「私たちを襲うつもり?」


「シッ、静かに、動いちゃ駄目だ」


 宗一がりーなに小声で言う。


 怪獣はしばらく辺りの様子を探っている。すると怪獣は大きな声で鳴いた。


「キュォオオオオオオオオオォォォォン!」


 その声で湖が波立つ。と、急に湖が小さくなっていく。怪獣の長い胴体が湖から伸びていくのにつれて、湖がどんどん小さくなっていく。まるで怪獣に吸い取られているように。


「キュォオオオオオオオオオォォォォン!」


 そして最後に一声鳴くと、なんとまわりの水ごと怪獣は宙へ飛び立っていった。


 二人はそれを唖然として見送る。

 液体の水を体にまとわりつかせながら、翼も無しにどこか遠くへ飛んでいく、目の無い怪獣。そんな後ろ姿と、今まで湖だったところ交互に見て宗一が言った。


「そうか。水を怪獣が運んできたというか、水も怪獣の体そのものなんだ!」


「え? どういう?」


 そこで宗一は笑い出す。


「よかったな、お前。怪獣の体を飲まなくて」


「!」


 りーなは宗一の言うことを理解して、顔を赤く染めた。


「さあ、迂回する必要は無くなった、行こう!」


 宗一が言う。怪物と共に水が引いた後は、水に濡れた跡も、くぼみすらもほとんど見えない。また一面の何もない世界。あの湖は本当にあっただろうか。それすらももう、確かめることはできない。二人は湖だった場所を渡り、先へと進む。


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