日常の話
「……うー」
りーなは時計を見る。いつも起きる時間だ。そして思う。
「今日は、近かったな」
くちびるにそっと指を当てる。そこにはぬくもりはない。でも本当にキスする寸前のようなリアリティのある夢だった。まあ、りーなにその経験は無いのだが。
「……」
残念なような。救われたような。そしてりーなは夢のイケメンのことを考える。
あのイケメンはりーなの夢にいつも出てくる同年代の男の人で、いつも様々な形を取って夢の中のりーなを助けてくれるのだ。
報われない恋人同士だったこともある。
反対に甘い恋人同士だったこともある。
アイドルとマネージャーの関係だったときもある。
血の繋がっていない兄と妹、はたまたいとこ同士の関係だったときもある。そんなことはありえないけど、そのときは確かにそう思ったのだ。
そして、そして、そして……。
思い出してみてきりが無いと立ち上がる。今日は月曜日。休みは終わって今日から学校、明日も学校だ。夢を片隅に追いやってりーなは学校の支度をする。
自室から階段を降りリビングに行くと母親がちょうど朝食の用意をしていた。
「おはようございます」
りーなが朝の挨拶をする。
「おはよう、りーな、ポタージュを人数分作ってちょうだい」
母も返事をして頼み事をしてくる。頼み事と言ってもインスタントの粉を三人分のマグカップに注ぎお湯を入れかき混ぜるだけだ。
三人とは自分と母と父方の祖母。父は脳科学者で東京へ単身赴任してここにはいない。
祖父はすでに亡くなり女ばかりの家。ここは祖父が残した取り残されたような山あいの地方都市にある一軒家だ。
今日の朝食は切り分けた食パンと目玉焼きと生野菜サラダ、それとりーなが淹れたポタージュ。朝は基本洋食だ。祖母も文句も言わずに食べている。もう洋食は当たり前の時代に祖母も育っていた。
と、祖母が自立する杖をつきつきやって来た。大分前に脳卒中を患い、家事がうまくできなくなった。それから東京に住んでいた母とりーなは介助のためにこの家に暮らしている。
「おはようございます」
「おはよう、りーな」
祖母とも朝の挨拶を交わす。祖母はゆっくりとした動きで自分の席に座った。母親も席に着く。そして。
「「「いただきます」」」
そう手をあわせ食事をはじめた。食事中は賑やかだ。母親が話す近所の噂とか、りーなが話す学校の友達についてとか。祖母は昔のことを語り、二人ともそれから話を膨らませて話をする。家族で作る賑やかな会話。
だけどりーなには秘密があって、それを家族の団らんでも話せないでいた。それは夢でいつも出会う少年のこと。りーなはそのイケメンにあこがれていること。きっと笑われるだろうなと思って言ってはいない。
いやそれどころか。
『欲求不満』
『それも思春期特有の』
『『この子も大人になったわねぇ』』
そんな生暖かい目で笑い話みたいに言われたらりーなは恥ずかしさのあまり死んでしまう! ……かもしれない。とりあえずご飯は美味しく食べられなくなる。
しかしりーなが夢に出てくるイケメンにあこがれていることは事実で、これは一体誰に相談すればいいんだろう。東京にいる父親? 冗談じゃない! 祖母をお母さんに任せて東京で研究を続けるような人でなしだ。祖母が言っていた。ああいうのを親不孝の人でなしっていうんだよって。りーなもそれに同感だった。
そんな父は東京で研究を続けてずっと帰ってこない。たまに電話が母のスマホにかかってくるだけだ。それでおしまい。りーなとの話は無し。まあ別に父と話したいことがあるわけじゃない。りーなは父親を無視し、父親もりーなを無視する。それが二人の関係だった。
やがて食事が済み、りーなは後片付けを手伝い中学校へ。学校へはなんとか徒歩で通える距離にある。
登校途中。いつもの光景。夏と冬の間の短い秋という季節。寂れた町並みをりーなは歩く。考えることは夢に出てきたイケメンのことだ。
なんであんな夢を見るんだろう。
なんでいつもあのイケメンは夢に出てくるんだろう。
なんであの夢は妙にリアルなんだろう。
りーなは考え、考え、そうして答えは出なかった。けれどもイケメンのことを考えるのは心地よかったので、さらに考えようとしたところを友達の瑠美に背中を叩かれる。
「おはよ、りーな!」
「あ、おはよ、るー」
瑠美は『るみ』ではなくるーと呼ばれるのが好きだ。家族や親しい友達に半ば強制してそう呼ばせているし、その中には大親友のりーなも当然のごとく含まれていた。
「ぼーっとしちゃってどうしたの?」
「う、まあね」
「何? なんかあったの?」
るーの言葉にりーなは少し濁してものを言う。
「えーとね、夢の中のキスってファーストキスに数えていいのかなぁ? って考えてた」
「何バカなこと考えてるのよ、りーなは」
「答えは?」
「含まない!」
快活にるーは言った。
「そうだよね……」
ちょっと残念そうにりーな。それを見て、るーは声をかける。
「んー、りーな、悩み事?」
「まあね」
「役に立てれば聞くよ」
るーの提案にりーなは考える。ずっと心を悩ませている夢の中のイケメンのこと、もうこうなったらこの大親友に相談してしまおうか。るーなら笑わずに真剣に聞いてくれると思う。
りーなは言った。
「後で。決めたら話す」
そう、気がつけば学校は目の前だった。
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