解決編

 羽黒祐介は、この洋食屋の内装をしばらく見つめていた。

(何から語るべきだろうか……)

 名探偵は真相を語るとき、誰にでも分かるように説明しなければならない。それは実はかなり難しいことだった。祐介はしばらくしてまとまったのか、振り返り、黒石に事件の真相を語り始めた。


「それでは、真相をお話ししましょう」

「頼むぞ」

「今回の事件の最も不可解な点は、襟山がどうやって、指一本触れていない珈琲に毒を盛ることが出来たのかということでした。すなわち、襟山の座っていたテーブル席と、被害者の座っていたテーブル席はあまりにも距離が離れすぎていたのです。襟山は、まさにこの不可能を強調する為に、煙草を吸うわけでもないのに、被害者とは異なる、喫煙席に座ったのです。ところが不自然な行動をしたのは襟山だけではありませんでした。被害者自身もまた、所持品に煙草があったにも関わらず、禁煙席に座ったのです」

 この言葉に黒石は頷く。

「確かに妙といえば妙だな。だが、飯を食う時には煙草を吸わない男なのかもしれんしな……」


「そうですね。この点に関しては、実際、気にとめるほどのことではないかもしれません。ただ、これが僕が被害者に対して不自然な印象を受けたことのひとつでした。なぜ、被害者は煙草を所持していたのに禁煙席に座ったのか? それで、肝心の毒殺トリックについてなのですが、僕はこの距離という空間的な問題を、時間的な問題に置き換えることによって、謎が解けるのではないかと考えたのです」

「時間的な問題だと……?」

 黒石は頓狂な声を上げた。なんなのだ、空間を時間に置き換えるとは、と黒石の頭は混乱した。


「ええ、時間です。二つのテーブル席は離れていた。でも、そんなことは関係なかったのです。実際に襟山が被害者に近づいたのは、被害者が珈琲を飲んで苦しんで倒れた後のことです。したがって、襟山が珈琲に毒を盛ったのは、これ以降の時間だと思われるのです」

「駄目だ……いつものことながら、何を言ってるのか分からん……」


「こう言えば、ご理解を得られるでしょうか。被害者の富岡さんが実際に毒殺されたのは、ちょうど僕たちが車で洋食屋に到着して、店の外で店主の和辻さんと会話していた、まさにあの時だったのです」

「馬鹿な……。しかし、その時はすでに事件が起こった後だったはず。だとしたら、何で被害者はもがき苦しんだんだ? 毒以外のものを飲んでもがき苦しんでいたのか……? カラシか? ワサビか? 何が入っていたんだ」

 祐介はかぶりを振った。


「何も。別にあの時、珈琲には何も入っていませんでした。第一、カラシにせよ、ワサビにせよ、襟山には珈琲に異物を入れることは出来なかったのですからね。そして、これは計画犯罪なので、偶然、病気の発作が起きたわけでもありません。実はあれは、富岡さんが発作が起きた演技をしていただけなんです」

「なんだって……何者なんだ…富岡って男は……」

 いよいよ、怪しくなってきた被害者、富岡。黒石は彼が何者なのか、見当が付かなかった。


「その手がかりは、先ほども言ったように、富岡さんが煙草を持っていたにも関わらず、禁煙席に座り、襟山が喫煙席に座ったにも関わらず、一本も煙草を吸わなかったという点です。それはなぜかというと、二人は示し合わせて距離の遠い席に座ろうとしていたんです」

「まさか。二人は知り合いなのに、知り合いでない振りをしていたということなのか。おいっ、一体、二人の正体は何者なんだ!」


「その謎を解く手がかりは、電話線が切られていたということです。それを踏まえて、ここで、一旦状況を整理しましょう。それと同時に、もしも、僕たちがあの時、車で到着しなかったらどういう事態となっていたのか想像してみましょう。まず、襟山と富岡は知り合いでありながら、知り合いではない振りをして入店しました。そして、この洋食屋は携帯は圏外で、電話線は切られていました。ここで、富岡は何らかの発作が起きた振りをして倒れました。店主はすぐにでも救急車を呼ばなければならないが、あろうことか電話が通じない。もう一人の襟山はバスで来ているという状況ですから、当然、店主が近くの民家に電話を借りる為に車を走らせることになるでしょう。さて、富岡の体を運んで車に乗せるのは非常に骨が折れるので、一先ず、富岡を店内に残し、店主が一人だけで電話を入れに行くという形になりますよね。そして、富岡が店内に倒れていることになるので、襟山は当然、それを看る為に店内に残ることになるでしょう。さて、こうなると店主のいない洋食屋の店内には、襟山と富岡の二人だけが残ったことになる。富岡はお金に困っています。実は、二人はその後に、店の金品を奪って逃亡するつもりだったのです」

「何! まさか……やつらは窃盗犯だったのか……?」


「そうでもありますし、そうでもないとも言えるでしょう。何故ならば、今喋った話は、襟山が富岡に持ちかけた架空の犯罪計画に過ぎないのですから。襟山の最大の目的は、最初から、共犯者、富岡の抹殺にあったのです」

「発作の演技を始めるタイミングは、珈琲を一口飲んだ瞬間と決めてあったんだな」

 黒石は、だんだんと真相に気付き始めているらしい。


「ええ。犯罪者である二人が計画を実行する時には、息を合わせる必要がありますから、あらかじめ演技を始める具体的なタイミングを決めていたはずです。襟山はそれを富岡に、珈琲を飲んだ瞬間と指定していたのです」

「すると、二人の関係は、襟山が主犯という立ち位置だったのだろうな」

「ええ、襟山は富岡に巧みに窃盗の犯罪計画を持ちかけながら、その実、共犯者を、殺害が不可能に見える状況下で殺害しようと目論んでいたのです」

「なんて恐ろしい男だ」

 黒石はぶるぶると唇を震わせた。


「襟山にとって予定外だったことは、僕たちの存在です。彼は、店主が下の民家に行って電話をして帰ってくるまでの二十分以上の時間を、犯行時間に予定していたはずです。それなのに、僕たちがすぐに現場に到着してしまいました。これは予定外の出来事でした。襟山はそのことで焦って、テーブルの上に置かれていた水の入ったコップに青酸カリを注いで、富岡に無理に飲ませたのです。富岡も、その意味は分からなかったでしょうが、主犯の言うことには咄嗟に従うものです。かくして、富岡は即死しました」

「毒殺に使われたのは珈琲ではなく、コップに入った水だったというのか」


「ええ、なぜならば、店主が倒れた富岡に水を飲ませようとした後、テーブルの上にコップを置いた時、そのコップには、水が半分以上残っていたと供述しています(事件編)。それなのに、現在残っているコップは空になっています。ということは、店主が店の外にいた時、このコップの水は誰かに飲み干されたのです」

「気付かなかったな。それで、珈琲には、その後に毒を入れたわけか。しかし、コップからは青酸カリの反応が出なかったじゃないか」


「ええ。襟山はコップから青酸カリの反応が出たら、すぐにトリックがばれてしまうと思ったのでしょう。犯行に使ったコップはどこかへ処理して、すぐに厨房から新しく洗いたてのコップを持ってきて、テーブルの上に置いたのです。コップに水を注ぐ暇はなかった。何故ならば、すぐに僕たちが店内に入ってきたからです」

「だから、君は、店主にカップの数を確認させたのだな。数が減っているはずと推理したから。すると、青酸カリの毒物反応が出るコップが、この店のどこかにあるのか。しかし、店内の毒物反応はすでに調べ済みだが、そんなものは見つからなかったぞ」


「ええ。僕は、犯人の心理として、とにかく証拠は店外に捨てたいだろうと考えたのです。そして、店主の和辻さんによれば、やはり店内のコップの数は一つ減っていました。ということならば、恐らく犯人は窓から外にコップを捨てたのだろうと考えたのです。では、窓の下を調べてみて下さい」

「分かった」

 黒石が、早速、店外の窓の下の植木鉢の裏をひとつひとつ覗いていくと、果たして植木鉢の裏に隠れて、割れたコップの破片が落ちていた。


 このコップから、青酸カリの毒性反応と共に襟山の指紋が出てきたということである。


           *


 襟山は逮捕された。

 その後の捜査の成果と、襟山の自供によって、襟山と富岡は、以前から窃盗の共犯者であったことが判明した。金に困っていた富岡は、襟山の犯罪計画に乗り、二人はこれまでに二回の窃盗事件を成功させていたのである。


 ところが襟山は、だんだん富岡の存在が疎ましくなってきていた。犯罪を成功させたところで、金は山分けされて取り分は減るし、襟山は富岡と性格が合わなかった。そして、富岡が金に困る度に危険な犯罪を犯すようにせっついてくるのが、襟山はもう嫌で堪らなくなっていた。

 さらに襟山は、自分が犯罪者であることを知っている人物がいるということに対しても、段々と恐怖感を募らせるようになっていた。いつか、露見するのではないか。


 そこで襟山は、共犯者の富岡を殺害する為に、偽の窃盗事件の犯罪計画を持ちかけて、富岡を騙し、彼自身を上手く操ることによって、本人を殺害してしまったのである。

 襟山がこの洋食屋を現場に選んだのは、第一に客が少なかったからである。第二に人里から離れていて携帯電話が圏外になるからであった。襟山は、第三者が入店することはないと踏んで殺害計画に及んだのだが、予定外に黒石警部と羽黒祐介が入店してしまったのが命取りとなったのである。


          *


 翌日、黒石警部と羽黒祐介は近くのビジネスホテルに泊まっていた。まだ肝心の失踪事件の捜査が残っていたのである。それでも、二人の頭の中は昨日の事件のことで一杯になっていた。


「しかし、なんとも、恐ろしい事件だったなぁ」

 と黒石は唸るように言って、熱い煎茶をすすった。猫舌なので、ふうふうと息を吹き付けながら飲んでいるその姿はどこか滑稽だった。

「ええ」

「俺たちがあの時、あの洋食屋に行かなかったら、襟山は見事に犯行を成功させていたかもしれないな」

「そうなりますね」

「だから言ったろ? やっぱりあの時、昼飯を我慢しなくて良かったなぁ」

「…………」

「やっぱり、空腹感は敵だな」

 なんで、そういうことになるんだろうなぁと、祐介は少し呆れて、思わず苦笑いをした。それでも、祐介は、そんなことをさも楽しげに語る黒石警部のことが微笑ましく感じられたのだった。



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毒入り珈琲の謎 Kan @kan02

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