9 ナイル、妻アイダの処遇を決断す


「やれやれ、誰かあのご老人どものごとを、私にわかるよう翻訳してほしいものだ」


 それが、アイダの軟禁されている部屋に入ってきた夫ナイルの第一声だった。ものものしい見張りの兵士たちが、さっと脇に退いて居ずまいを正す。

 柔和でありながら人を食ったようなところのあるこの青年が、こういうふうにぼやくのは珍しい。老人たちによほど手を焼いたのだろう。……すでに、長い薄明の時間に差しかかっていた。


 〈揺籃ようらんの城〉とも呼ばれるノーザンキープの、とある一角である。もともとの自室は取り調べのために出入り禁止になっているので、ここは何百室あるかもわからない客室のひとつだった。


「お帰りなさいませ」

 とまどいは顔に出さず、アイダは深々と頭を下げた。


 スワンの一族と協力者たちは、領主家に隠れ、かつての英雄王たちを複製しようとこころみていた。出産に成功して生まれた二人の子どもの養育は、アイダの手引きで行われたものである。

 希少なライダーの卵を得たことも事実だが、竜祖を冒涜ぼうとくする行為と非難する声も多い。そもそも、領主であるナイルに隠れて事を運んだという点での咎もある。老人たちはもちろん、自分についても、なんらかの処罰がくだってしかるべきだった。それもしかたがあるまい、とアイダは投げやりに考えていた。むしろ早く、自分の行き先を決めてほしかった。宙ぶらりんの、この退屈のほうが耐えがたい。


 茶を注いでわたすと、ナイルはそれを一気に半分ほど飲んだ。首を傾けると、癖のない亜麻色の長髪が肩から落ちた。

「適温だったよ、ありがとう」

 


「それで……わたくしはどうなるんでしょうか?」夫が茶を飲み終わるのを待って、アイダは尋ねた。



「結論から言えば、あなたはスワン家の最後の一人になる」

 ナイルは事務的に言った。「領地、竜騎手と竜、兵と使用人は、カールゼンデン家に接収される。……ケイリーク、カイと言ったかな?……あの子は、当家で引き取る。北部領主家の旗手は、以降、ホガート家がつとめる」


 予想通りの処遇であったので、アイダは「閣下の御心どおりに」とだけ答えた。


「それで、あなた自身の処罰についてだが――正直、決めかねているんだ」

 ティーカップを手でもてあそびながら、ナイルはつづけた。「竜祖神殿に一生閉じこめておくこともできるだろうが、あなたはそれを苦にしなさそうだしね」

「そうでしょうか?」

「考えてごらん」

 夫にうながされ、アイダはとっくりと考えてみた。「……そのようですわね」


「あなたはもうずっと、この揺籃ようらんの城に幽閉されているようなものだ」

 カップをトレイに戻し、ナイルが昔の話をする。「はじめて会ったときには、子どもだった私はあなたを幽霊と間違えたくらいだしね。長い銀の髪の、きれいな幽霊」


 アイダは細眉をぴくりと動かした。「しつけのなっていない子どものことなど、覚えておりません」

 もちろん、それは虚勢だった。

 自分の肩ほどの背丈しかなかった頃のナイル・カールゼンデンのことを、アイダはよく覚えている。当時はまだ、大人と子どもほどの年齢差があったのだ。男児のようにヤンチャだったあのそばかすのエリサとは違い、自分はいかにも北部らしい深窓の姫君で……。

 そして、不妊を理由に最初の夫に離縁されてすぐ、この少年に会ったのだった。


 ナイルはかすかに笑って反論もせず、部屋の隅に置きっぱなしになっている鳥籠の前に立った。その中に閉じこめられていた若き領主夫人ルウェリンは今、子どもたちとともに王都に滞在している。竜神祭が終わるまでは、あちらで過ごすことになるだろう。


「ルーイを閉じこめた、このカゴ

 檻に指をからめて、青年領主はおもしろそうに続けた。「あなたは、これが彼女への罰になると信じていたんだろう? 昔から病弱で、外に出られなかったから」


 言い当てられて、アイダは面白くなかった。

「ほんとうに体力だけはご立派なお方ですわ、ルウェリン様は。ハチに刺された荷運び竜ポーターのように暴れまわって。見てください、檻のその部分。もうちょっとでこじ開けられるところでした」


 指さされた箇所をたしかめ、ナイルはくっくっと笑った。「立派な体力だなぁ」


「罰ですのに、あなたはゲーム盤やらおやつを持ってくるし」

「すまない、だけどあんなに食べる子がお腹をかせるなんて、かわいそうじゃないか。……あなただって黒ベリーやらナッツやら用意していただろう?」

「果物はおやつに入りません」

 その答えを聞いて、ナイルは腹を抱えて笑った。ひとしきり笑い終わると彼女に近づいてきて、「かわいい人だ」と言った。


 耳の下から顎を優しく撫でられ、アイダは思わずぎゅっと目をつむった。骨ばって細いが、自分とは違う男性の手。自分の鼻の位置にある彼の喉もとから、シダーウッドとローズマリーの清潔そうな匂いがした。

 形ばかりの第一夫人となってしばらく経つが、夫と親愛を超えたふれあいをしたことはない。自分が情愛を望んでいるなどと考えたこともなかった。


「わたくしは……女として機能しません」

 かろうじて答えたものの、自分の口から出た声はかすれていた。


 そんな虚勢は、ナイル・カールゼンデンにはお見通しだったのに違いない。彼女の銀髪のひと房を手に取って、許可を得るように口づけてから、こう言った。


「夫婦の営みは繁殖のためだけにあるわけではないよ、かわいい人。それを今夜、教えてあげよう。……世間を知らぬ姫君への、私が下す処罰だよ」

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