10 あるじを待つ夢の家 ①

 ♢♦♢ ――ヴェスラン――


 王都を拠点とする毛皮商人ヴェスランは、北部からの買いつけに奔走ほんそうする日々を過ごしていた。秋冬に向けて毛皮の需要が増えるので、夏は彼にとって繁忙期だった。


 毛皮のある生き物たちは、古竜の気配を嫌う。そこで、伝統的に毛皮をあきなう者たちのなかにはハートレスが多かった。退役時の資金をもとに、ヴェスランもそうやってのしあがってきた一人である。


 しかし、この日はわざわざ仕事の手を休めて、客人をむかえる予定だった。ハートレスたちにとって、商談をひとつ潰してもしかたがないほどの借りがある相手である。

 ヴェスランは自宅の応接間に入っていった。

「リカルドさま


「ヴェス」短髪にまばらな髭、流れ者の兵士と大道芸人の中間のように見える男が、笑顔でふり向いた。

「きみは『リック』と敬称なしで呼んでくれなくちゃ。……元気かい?」

 二人の男は、前腕をぶつけあって旧友の挨拶をした。


「ええもちろん。……こちらはマルミオン閣下ですかな?」

「うん」

 ヴェスランが膝を折って挨拶しようとすると、子どもはリックの脚に隠れてしまった。「おやおや」


「男相手だと、人みしりするみたいでね」リックは苦笑した。二人は話しながら、館の外に向かっている。よく晴れて、今日は暑くなりそうだ。


「忙しい時期につきあってもらって、すまないね」

「ほかならぬあなたの頼みですからね」


 二人は町の乗りあい竜車で目的地へ向かった。男二人の脚なら四半刻もかからない場所だが、子ども連れだし無難だろう。マルはおとなしく座席に腰かけ、木彫りの兵士人形を戦わせて遊んでいた。


(あの人も、昔はこんなふうに無邪気な子どもだったのだろうか)

 砂色の髪にハシバミの目。相似形のようなマルを見ていると、どうしてもフィルバートのことを考えてしまう。かつてはこの子どもと同じ名前を持っていた男のことを。……今は、どこでなにをしているのやら。


 ごとごとと車輪の音が響き、振動が眠気をさそう。ヴェスランは腕組みをしたまま、もの思いも忘れてうたた寝しかかった。


***


「アベル、アルマン、ボードウィン、ブリス、クロヴィン、コンスタン、ケヴァン……」


 男の名前を読みあげていく、自分の声がする。目の前には、兵士たちのちょっとした列がある。日差しが強いせいか、兵士たちの顔は影のように黒くおぼろげだ。


「どの名前にする?」

 日差しをさえぎる天幕の下。簡易椅子に座るヴェスランは、顔をあげて尋ねた。

「『アベル』。点呼は早いほうがいいだろ?」列の先頭にいた兵士が答える。


「『アベル』ね」

 自分は、手もとのネームリストにある名前を墨で消していた。「よし、アベル。ネームタグはこっちだ、字は書けるか?」

「いや。あんたがやってくれるか?」

「いいよ。後で持ってこい」

「助かる」

 

 懐かしいやりとりだ。目の前の男たちは、すべて竜の心臓を持たない〈ハートレス〉。竜の末裔がすむ王国で、竜祖の加護なきはぐれものたちだった。……ヴェスランも物心がついた頃から戦ばたらきをしてきたが、これは珍しい大きな部隊の仕事になる予定だった。近隣のすべてのハートレスたちが集まったのではないだろうか。


「ドニ、エドマ、フェリクス……」また名前を読みあげ、次の兵士が次の名前を選ぶ。ヴェスが選ばれた名前を消し、タグを渡す。名前は使いまわされ、持ち主が死んだらまたリストに戻ってくる。


 列はしだいに短くなっていき、最後の一人が目の前に立った。いかにも新人ルーキーという感じできょろきょろしているのが微笑ましい。

 ヴェスは、まだ少年の面影が残るその新人を観察した。


 体格は普通、剣の心得はありそう。砂色の短髪にハシバミの瞳、育ちは悪くなさそうなので、商人か小金のある農家の出身ではないかとヴェスはあたりをつけた。まれに貴族の家に生まれたかわいそうなハートレスが混じってくることもあるが、かれらには特有の厭世えんせい的な雰囲気がある。目の前の青年にはそういう悲愴ひそうさはなかった。


「軍は初めてか?」ヴェスが尋ねた。

「ああ」

「仮の名前を決めるんだよ。ハートレスの部隊は匿名制アノニマスだ。汚れ仕事が多くて逆恨みされやすいし、詮索せんさくされたくないっていうヤツばかりだからね。……身寄りがないなら、そのままでもいいが」

「家族はいちおういる」青年は考えるような顔つきになった。「名前をもらおう。……あんたがいま、押さえてるところのでいい」

「ん? ああ」ヴェスランはネームリストに目を落とした。「ええと……『フィルバート』だな。いい名前だぞ」

「いいって、なにが?」

「前のやつは除隊だ、死んでない。縁起えんぎかつぐには最適だろ?」

 青年はそれを聞いても、特に感動した様子は見せなかった。軽く肩をすくめ、ドッグタグを受けとる。「タグは自分で彫るよ」

(なるほど、字は書ける、と)

 まずまず教育のある家の生まれらしい。(このお坊ちゃんと顔見知りになっておいても損はないな)とヴェスランは計算高く思った。


「あんたが新兵担当なのか?」

 フィルバートと呼ばれることになる青年が、タグをもてあそびながら尋ねた。


「いいや。俺は単なる補給係だよ。これは持ちまわりの雑務、兼、休憩」

 涼しい日陰で、座ったままやれる仕事は貴重だ。無駄な体力を使いたくないので、ヴェスランは率先してそういった雑務をこなしていた。


「要領がいいんだな」

「それが戦場で生き延びるコツだよ、坊や」ヴェスランはふくみ笑いで答えた。「おっと、今日からフィルバートだな。俺はヴェスラン、ヴェスだ。もちろんこれも、偽名だが」

 ヴェスは手を差しだした。「フィルでいいか?」

「ああ」握手をしながら、フィルは笑った。「でも、あんたは俺の名前を呼び捨てにできないかも」

「どういう意味だ?」

「今にわかるさ。……縁起のいい名前をどうも、ヴェスラン。前の名前より気に入りそうだ」

 後ろ手を振って去っていく新兵の背中を見送って、ヴェスランは首をひねった。まさかそれから半刻も経たないうちに、その青年が新しい部隊のトップとして紹介されようとは、もちろん夢にも思っていなかったのだった……。


***


 また、ハシバミの目。膝の上に乗りあげてくる子どものあたたかな重みで、ヴェスランはうたた寝から目覚めた。

「もう降りるって、リックが」

「ああ。ありがとう、マル」

 見ると、すでにリックは車を降りてにこにこと手を振っている。ヴェスランは慌ててマルを抱え、自分も歩道へ降りた。


 目当ての場所は、静かな住宅街のなかの一軒家だった。薔薇の盛りは過ぎてしまったが、いまは暑さにも丈夫なハイドランジアが清潔な彩りを見せている。庭はつやつやと水に濡れ、足もとからはタイムが香った。

「ここ、おうち?」

 見あげてくるマルの頭に、ヴェスはそっと手をのせた。「そうだよ。きみもよく知る人の、夢の家だ」


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