エピローグ

ハチドリとスイカズラ

 ♢♦♢ ――ロール――


 その日の朝は、本来なら夜勤明けの扱いになるはずだった。


 昨日の竜神祭はさんざんなものだった。同輩たちに襲われかかったし、それを止めに入ったエリサは黒竜の力で竜舎を焼きつくしかねなかった。おまけに、王の新しい婚姻の件で上王リアナがナーバスになっていた。

 ところが、思いもかけずデイミオンが早々に帰城したことで、随身ずいしんとしてのロールの役目は宙に浮いた形になった。夫婦のもとを飛びだしたエリサのこともあったが、彼女はロールに対しては素直で、寝かしつけがすぐに済んだのはありがたかった。


(おそらく、今ごろは誤解もとけ、仲直りされているだろう)

 国王夫妻についてはそのように楽観していた。デイミオン・エクハリトスは黒竜の化身のような男だ。その鋼のような翼で、がっちりとつがいを守っているのに違いない。

(リアナさまは、どうにも周到に考えすぎるところがある)

 おそらくは、まだ成人にも達しないような節年齢から、陰謀うずまく王宮に身を置いていたせいでもあるのだろう。


 騎手団の副長であるハダルクに報告をしてから、城内の自室に戻るつもりだった。しかしそのハダルクは大慌てであちこちに〈呼ばい〉の連絡を飛ばしていて、どうやらそれどころではないらしい。「仮眠を取り、早朝に私のもとに来てくれ」との命令を受け、ロールは首をひねった。

 緊急時の命令にしてはのんきだし、何があったのだろう。


 ♢♦♢


 ふたを開けてみれば、国王の突然の休暇にともなう移動が告げられた。外遊ではなく休暇、国王としての政務は王太子がになう。その王太子も当日の発表という珍事だった。城の守りについては竜騎手団長のグウィナ卿がいて盤石ばんじゃくとはいえ、突然が過ぎる。


 しかも、その王太子役というのが――。


「これが玉座か! 良い眺めだな!」

 〈王の間〉。高みにある玉座にふんぞりかえってご機嫌なのは竜騎手サンディだ。だが、王太子役を任されたのは、その隣で死にそうな顔をしている竜騎手フラニーだというのだから、いったい王はなにをお考えなのか。

「フラニー……大丈夫か?」

 声をかけると、フラニーは青い顔のままうなずいた。「お腹が痛くなりそう。……ロール、あとで胃腸薬もらってきてくれない?」

「私のでよければ、今やるよ」


「なに辛気臭いことを言ってるんだ。王太子だぞ? もっと喜べよ」

「そんな気分じゃねえだろ」

 眉をひそめるサンディに、ザックはしぶい顔を向けた。彼にも王の命があったとみえ、いつもの緋色のではなく、竜騎手団の紺色の長衣ルクヴァをきちんと着ていた。

「フラニーの好意につけこんで、自分の仕事をやらせるなんて。それで自分は、つがいと休暇なんて、虫のいい話すぎるだろ。……デイミオン王に腹が立つ」

「それじゃおまえは、王がフラニーを妻にしてもよかったのか?」

「それは嫌だけど!」

「じゃ、これですべて解決じゃないか。丸く収まったんだ。喜べよ」

「それはそ……そうなのか?」


「なんて自分勝手なやつらなんだ」ロールはこれ見よがしにため息をついた。「おまえたち二人で、フラニーの仕事を手伝えという王命なのだろう? なら、さっそく取りかからなきゃ」


「ありがとう、ロール。あなたがいてくれれば本当に本当に心強いのに」フラニーが惜しむように言った。「本当に本当に残念だわ」


「あー! おまえ、そういうとこで点数かせぐのな!」と、ザックが糾弾きゅうだんした。

「あいつがフラニー相手に点数をかせいでどうする。自分の基準で考えるなよ」

「おまえにだけは言われたくねえよ」

 サンディとザックがやりあい、ロールとフラニーがため息をつく。


「おまえは手つだわねえのかよ?」ザックが尋ねた。

「すまない、私はリアナ王配さまの随身だから、ご一緒しなければいけないんだ」

「そうよね」フラニーの顔がわずかにこわばったのを、ロールは見逃さなかった。いろいろ言いたいことはあるだろうに、仮の王太子役なんて貧乏くじを甘受しているのが、いかにも責任感の強い彼女らしくて心配になる。

(同族感情というやつかな)と、つい苦笑が浮かぶ。



 ありきたりな別れのあいさつの途中で、フラニーはロールにだけ聞こえる声で教えてくれた。「好きな人に愛されたいと思うけど、それで自分らしさをなくしてしまうのはやっぱり違うと思ったの。……王太子役を受けた理由」

「君らしいよ」ロールはそう言って、親友の頬に友情のキスを贈った。空気だけが触れるような軽いキスととともに、フラニーが笑った。

「あなたがそう思わせてくれたのよ。……そっちもがんばって。行ってらっしゃい」



 ♢♦♢


 国王の竜車はあれよあれよと出発してしまったので、ロールが王配のもとに駆けつけたのは、最初の休憩所でのことだった。


 デイミオンが車の外であれこれと命令を出しているすきに、ロールはリアナの座るシートに近づいた。

 ロール同様、なにがなんだかわからないという顔をしているのが、どうにもおかしい。

「籠からお出ししますか?」

 笑いながら尋ねると、リアナは齧っていたリンゴを窓枠に置いた。

「いいえ。でも、あなたに渡すものがあるわ、ロレントゥス卿」


 リアナに指定された長持を開けると、そこにはひと振りの剣が収まっていた。宝石細工で飾られた美しい細身の剣だ。ひかえめなスイカズラの印章は、その剣が竜王リアナに属していることを示している。


「これは、わたしの竜騎手のために、母が作らせた剣なの。隠れ里の里長さとおさウルカがひそかに与えられて、これを持っていた……」


 その説明で、ロールはすべてを理解した。

『私をあなたの、誓願の竜騎手ライダーにしてくださいませんか』

 北部への道行きで自分がそう懇願したことを、リアナはもちろん覚えていたのだった。


「あの申し出は、今も有効?」

「はい」ロールは簡潔に告げた。


「デイミオンはわたしをつがいの相手と信じて、すべての愛情をそそいでくれている」リアナはひとりごとのように呟いた。

「でもわたしは自分を信じきれない。おなかの子どものことだけじゃないわ。わたしはデイの力に対して脆弱すぎる。それに……いつかは本当に、デーグルモールになってしまうかもしれない」

「……」ロールは口をはさまず、ただ聞いていた。


「自分の手で、竜の翼をもぐようなことはしたくない。だから――これは保険よ。あなたの力が必要になるかもしれない。絶対に裏切らず、どんな後ろ暗い命令でも従ってくれる、自分だけの竜騎手が。受けてくれる?」



 スイカズラの王の竜騎手がハチドリなんて、おかしな符合だ。ロールはかすかに微笑んだ。あのあだ名は嫌っていたものだが、ここに来てこんな偶然の一致を産むとはな。……だがもちろん、決意は変わっていなかった。自分の人生には苦しい恋だけがあり、人生を分かち合う伴侶つがいがあらわれることはない。だからせめて、よりどころとなる使命だけでも欲しかった。


〈ハチドリの竜騎手〉、ロレントゥスは低くこうべを垂れて恭順きょうじゅんの意を示した。



身命しんめいしておつかえし、かならずお守りします――私が、あなたの剣になる」




【第五部 終わり】

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