第53話 どうして、俺の子どもじゃないんだ

「やはり、別のもくろみがあったんだな」


 怒り心頭の様子の王に、竜騎手ロールが思わず半歩あとずさったのが見えた。無理もない。デイミオンは激しやすいというわけではないが、いざ怒りを表出すると周囲を震えあがらせるような威圧感がある。


 ところが、『魔王』エリサはまったく気にした様子もなく、王に呼びかけた。「ねえ」

 デイミオンはむっつりと子どもを見下ろした。

「リアナと話があるんだ。おまえは出ていなさい」


 エリサは子どもっぽく肩をすくめた。

「別に、すぐ済むけど。……明日、北部領に戻るって言いたかったの。それだけ」

「明日?」

 デイミオンが問い返す。「なぜだ? せっかく王都に来たんだから、慣れるまでしばらく滞在しろ。たまに向こうに帰省するぶんには、かまわんが」

「そっちこそ、なんで? ずっとここにいるって、まだ決めてないのに」

決めたんだ」

「王様の命令ってこと?」

「私はおまえの保護者だぞ」

 デイミオンが凄んでも、エリサはまったく気にするそぶりもない。大人のように腕をくんで、平然と言いかえした。

「あたしの法的な後見人は、リアナ・ゼンデンでしょ。あなたはリアナの配偶者だから、それに準ずる立場だけど」


「家族は一緒に暮らすものだろう」

「家族じゃない」エリサも負けじと声を強めた。「そんなものが欲しいと思ったことない」

「できたことがないのに、欲しいかどうかわかるはずもないだろう。おまえは北の老人たちのたくらみで、男女のふた親以外から生まれたんだから」

 デイミオンは、いつもの馬鹿にしたような顔つきになった。あれでは逆効果なんじゃ、とリアナははらはらして見ている。

 案の定、エリサは即断した。

「なにが欲しいかも、なにが必要かも、あたしは自分で決める。王様だろうが、言いなりになったりしない」

「王命にさせたいのか? ……おまえは、私とリアナの養子こどもになるんだ」

「イヤだ!」

 言うがはやいか、少女はぱっと身をひるがえし、扉のほうへ駆けていった。

「おい、……待て!」


 隣に目線を送ると、合図に気がついたロールが彼女を追いかけていった。……さて、どうしたものか。



「別に、無理に養子にしなくてもいいのよ」

 リアナは、なだめるように言った。「〈冬の老人たち〉の都合で生みだされたとはいえ、北部にとっても大切な子どもでしょ。あの子が居たいと思うほうでいいわ」


「なぜ誰もかれも、俺とつがいの仲をこうとするんだ」

 雨の中を帰ってきたせいで濡れた長衣ルクヴァを、夫はイライラと床に放り捨てた。

「子どもがいなければ、本当の意味で夫婦つがいとは認められないんだぞ。だからこそ、俺がこんなに骨を折っているのに、エリサもおまえも……」

 近くに侍従じじゅうもいないので、自分で服を取りに行き、また戻ってきた。むっつりと黙りこんだまま袖をとおしたが、シャツの前は開けたままにしている。


 近寄っていってボタンを留めてやろうとするリアナの手を、デイミオンがはらってこばんだ。「形だけ、妻らしいそぶりを見せるな」

「デイ……」


「契約書を見たぞ。ブリギット卿とおまえのあいだのやりとりも聞いた。子どもが生まれた場合の条件。親権者のなかに、おまえの名前がなかった。なにをたくらんでいる?」

 デイミオンは憎々しげにリアナを見下ろした。

「いろいろ理由があったのよ。配偶者に政治的見返りを求めるのは、あなたも同じでしょ」

「おまえたちに与えた契約は、つがいの誓いを尊重したものだ。これとは、まったく話が違う」

「子を産むだけの結婚では、エサル公が納得しないわ。あちらの立場をむことも必要で――」

「そんなことは、いまいていない」

 夫がさらに距離を詰めてきたので、リアナは逃げ場を求めて半歩下がった。視界のはしで、燭台が黒竜の王の怒りを映して煌々こうこうと輝きだしている。 

「俺とフランシェスカとのあいだに子どもができれば、その婚姻が第一のものになるんだぞ。どういうつもりだ?」

 肩を強くつかまれ、リアナは思わず顔をしかめた。「デイ、やめて、痛いわ」


「俺と離婚するつもりなんだな」

 冷たく問われ、とっさに嘘をついた。「違うわ」

「いいや。おまえの言うことは信用できない」


 デイミオンはさらに一歩、彼女のほうに踏みこんだ。怒鳴られれば言いかえそうと身がまえていたリアナは、見あげた夫の苦しそうな表情に息をのんだ。

「今回のことも、これまでのことも……全部おまえの陰謀じゃないのか。記憶がなくなったのも、全部、俺と離婚して、フィルと暮らすために……」


 弁解を求められているわけではないとわかっていたので、リアナはなにも答えなかった。部屋のなかにいるのに、冷たい雨に打たれているような気分だった。

 デイミオンが彼女の肩に頭をのせ、そのまま二人はおし黙っていた。しばらくすると、夫は絞りだすような声で言った。

「……どうして、俺のつがいが生む子が、俺の子どもじゃないんだ」


 それは糾弾きゅうだんする言葉だったのに、リアナはなぜか、この瞬間を待っていたような気がした。妊娠したと夫婦に告げられたときからずっと聞きたかった言葉を、ようやく聞けたという気がした。

(わたしは、責められたかったんだわ)

(そして、責めたかった)

 だから、リアナはなぐさめの言葉をて、夫の広い背に手をまわして言った。

「こうやって全員がずたずたになるのに、どうしてこんなことをはじめたの? たった一年でも、あなたがアーダルを選んだことの結果なのよ」


「俺は――」デイミオンはのろのろと顔をあげた。

 頬を手ではさみ、男性らしい顎に指をすべらせる。

「覚えていないんでしょ。わかってる。でも言わずにいられないのよ。……わたしだって、あなた以外の夫を知らないままでいたかった。子どもができてもできなくてもずっと二人で暮らそうって、どうして言ってくれなかったの?」


 デイミオンは答えなかった。答えを思いだせないのだから、当たり前だった。こんなふうに八つ当たりして、彼を苦しめるのは最低だった。

 たがいに相手を思いやっての行動からはじまったはずなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。愛情を証明するために、おたがい自身を失ってしまったようなものだ。

「たしかに嘘をついたわ。どんなに努力しても、わたしたちは家族にはなれない。あなたとわたしも、エリサも、お腹の子どもも。……ここが行きどまりなの」


「それが本音か」

 夫の声は怒りを取り戻していた。太い前腕の上に手のひらを置いていたので、彼が拳を握りしめたときの筋肉の動きが感じられた。


「そうよ」

 リアナの返答を聞くと、デイミオンは彼女から身体を離した。さっき見せた弱さが嘘のようだ。

「……よくわかった。おまえがそういうつもりなら、こちらにも考えがある」


 夫が怒りに任せてドアを閉めた音が、背中で聞こえた。


 ♢♦♢


 わんわんと子どものように泣いたので、疲れたのだろうと思う。気分が高ぶっていたにもかかわらず、気がつくと眠っていた。頬にあたる枕に涙がしみて冷たくて、もうなにもかもがイヤだと思った。

 デイは記憶をなくし、フィルは父親のくせに行方不明で、エリサにせよお腹の子にせよ単なる後継者としてしか子どもは必要とされておらず、そのあいだもずっとこのつわりだ。あんまりだ。


 泣きすぎて吐き気がしてきた。この予兆のあとはたいてい頭痛がともなうので、リアナは重苦しい気分で水差しから水をいで飲んだ。前にもこんなことがあったっけ。イーゼンテルレへの外遊中で、デイとはケンカ別れで。……


 あのときは侍女たちの軽口に救われたのだった。ミヤミは勤務中だろうが、ルーイはまだ起きているかもしれない。彼女としゃべれば、少しくらいは気がまぎれるかも。……それに、そろそろなにか口に入れたほうがよさそうだ。妊娠してからというもの、食事の時間帯というものがすっかりあやふやになってしまっている。


 元侍女に取りついでもらおうと、隣の子ども部屋に向かおうとして、リアナははっと聞き耳を立てた。ふたつの居住区をつなぐ廊下から、夫と誰かの声が聞こえたのだ。……慣れた声なので、竜騎手団の副長で王の補佐でもあるハダルクだとすぐにわかった。


「それは、お認めになるということですか?」


「ああ。責任を投げだすのは主義に反するが、やむを得ない。ものごとには優先順位というものがある」

「それにしても急なお話では……」

「おまえにはいろいろ手間をかけるが、頼む」


(離婚の話なんだわ)

 自分の計画にとって、これは機会チャンスかもしれない。でも、夫の口からそれを聞きたくない……。

 扉の手前で心を乱しながら、リアナは続きを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る